第19話 邂逅



「あれ?」「小夜子?」


 同時に声を発したガーゴイルと小夜子は、呆然とした顔付きで互いを見合った。 ガーゴイルは目をごしごしと擦りながら「さ、小夜子、おまえいま一瞬消えなかったか?」と問うた。

 小夜子は小夜子で本当に戻って来られたのか確認しようと、まだ少しく震える手でセドナ(だったモノ)を少し掬い上げその煌めきを確認してからそうっと戻し、ガーゴイルへと向き直って、「…一瞬だったの?」と逆に問い返した。小夜子が長く長く途方もなく長く感じたあの時間がガァちゃんにとって一瞬のことだったなんて。でもそう云えばあの老爺は云っていた。『望む場所その時間ときに』と。と云うことはガァちゃんが小夜子を求めて探し回るようなこともなかったのか。そう考えると小夜子は胸をホッと撫で下ろした。全く、親切なのか非道なのか分からない翁だ。


「大丈夫か?小夜子」


 ずっと聴きたかった声が天から落ちて来て、小夜子はガーゴイルの顔を見た。ああ、ガァちゃんだ。小夜子は自分でも不思議なくらい自然とガーゴイルへと両腕を差し伸べた。

 ガーゴイルは一瞬逡巡したのち、少し照れながら小夜子の両脇に手を差し入れ、小夜子をふわりと抱き上げた。幼い手付きでガーゴイルの首にぎゅうと腕を回した小夜子にびっくりしつつ、その後頭部を優しく撫ぜながら「ほんの一瞬の間に何かあったようだな」と優しく尋ねた。小夜子は未だ小さく震えていたけれど、ガーゴイルの堅牢な鱗と、それに相反するような優しい手の動きに少しずつ緊張も解け、ガーゴイルの柔らかな立髪を指先でいらいながら『ほんの一瞬の間』に何があったのかをガーゴイルへとゆっくりと話し出した。


 気が付いたら真っ暗闇にいたこと。

 コケの精霊に出会ったこと。

 元いた世界で時折通っていた廃神社の御神木の霊に会ったこと。

 どうにも気難しい老爺で小夜子は幾度となく腹を立てたこと。

 この地に毒が蔓延っていると聞いたこと。

 そうしてそれは−−–小夜子でなければ立ち向かえないモノだと聞いたこと。


 小夜子は老爺に『消してやろうか』と云われたくだりは敢えて話さずにいた。

 もしもそんなことをガァちゃんが耳にしたら怒り狂って老爺をとっちめに行くであろうし、そしてそんな気まぐれな老爺の一言でガァちゃんを振り回したくなかったのだ。 ガーゴイルはしばし呆気に取られた顔をしたあと、

 「よくぞ無事に戻って来られたものだ…」と呆れつつ安堵の表情を見せた。

 その一言に「ガァちゃんは彼らを知っているの?」と尋ねた小夜子はすっかり身体の震えも融けていて、心なしか少し大人びたように感じられた。ガーゴイルは「ああ、知っている。だがどうにも我らとは相容れん。神だか霊だか知らんがどうにも気に食わん。あいつらは人の子を隠すからな」「私も隠したって云われたわ」「ああ、だから驚いている。神隠しは日本のあやかしのお家芸ではあるが、奴らは大抵元の場所に還す。奴らにとっては遊びのようなものだからな。だがあやかしと違ってあいつらは本当に人の子を隠す。そうして還さない−−–」 ガーゴイルにまじまじと見られ恥ずかしくなった小夜子はその肩に顔を埋めるようにした。「よくぞ還してくれたものだ」ガーゴイルはそんな小夜子の頭を愛おしげに、そして安堵したように再び撫ぜ、ほうと一息吐いた。ガーゴイルの安堵の気持ちが伝わって嬉しくなった小夜子は「あのね、実は私その老爺のご機嫌を損ねたの」と笑いを堪えながら云った。ガーゴイルは再びびっくりして「機嫌を損ねたのに還してくれたのか!?」と思わず大声を出した。小夜子は耳元で大声を出され耳内をキーンとさせながらも「ふふふ、そうしたらね、お前みたいなのは還れ!って」と呪詛の言葉は省いて答えた。これからきっと老爺の呪詛は形となって小夜子に襲い掛かるのであろう。それでも今、この平和な時はガァちゃんと出来るだけ笑っていたい。ガーゴイルは「そりゃあいい!」と大笑いをし、心なしか足元のセドナも楽しげに煌めいて見えた。


 一通り報告も済んだあと、ガーゴイルは小夜子に詫びた。毒の茨の存在を話していなかったからだ。と、云ってもガーゴイルにもドラゴンから聞いた程度の知識しかなかったし、小夜子の力を借りたとて、どうやって奴らを排除すれば良いのかも分からなかったのだが。


「と、云うことは、いきなり連れ去られたのは癪だったけれど、あそこに行けたのは成果でもあったのね」と、ガーゴイルの腕に未だ抱かれながら、顎に手を添え考えあぐねる仕草をした小夜子は本当に幾つか大人びて見え、ガーゴイルを少し不安にさせた。時の流れに変に乗せられてしまい、歳を取ってしまったのではなかろうか。あいつらの地でならあり得る。しかし己がかいなで抱き締める小夜子のやんわりとした重さや表情の幼さは変わったようには見えず、ほんの一瞬の(小夜子にとっては長い長い時ではあったけれど)少女の息づかいの変化に戸惑った。 


 小夜子はそんなガーゴイルの戸惑いなど露知らず、どうしたらガァちゃんの地を元に戻せるか考えていた。焦がすのは、嫌だ。例えソレらが悪いモノであったとしても、そんな都合の良い手段など早々はないであろうけれど、元が(そして今もなお)生きているモノならば出来るだけ救いたい。そう思うのは小夜子の傲慢であろうか。でも小夜子は仮令傲慢だと思われようとも自らの手で命を屠るのはもう金輪際ごめんであった。それに、その茨の規模がどのくらいだか知れないけれど、あまりにも広大過ぎたら小夜子が怒り狂って血管が切れるほどでなくてはならないし、そんなに怒るようなことがそうそう起きるとも思えないし、焦げた場所は元に戻らないとも聞いた。ガァちゃんの地を焦げ焦げにするのはどうにも避けたい。

「どの辺りまで来ているのかしら」

「そうだな、ここいらでは未だ気配は感じないからもうちょっと奥の方ではあろうが」

「ここはどのくらい広いの?」

「どう…なんだろうな」

 そうか、そうだった、ガァちゃんはここでの記憶を喪失してしまっているのだった。小夜子は己のうっかりを詫びる気持ちでいっぱいだった。忘れられるのも相当に辛いけれど、忘れてしまうのも同じくらい辛いに違いない。

「『隠された地』での毒の規模はどのくらいだったんだ?」

 反省している小夜子を他所に、ガーゴイルは小夜子の髪を撫ぜながら問うた。「暗くてよく見えなかったけれど、ほんの一部だけだったみたい」

 小夜子は煙水晶の色をした焦げた流れを思い出しながら、少し胸を切なくさせた。アレらもヒカリゴケだったのだ。きっと毒されずにいたならば、小夜子の足元でふわふわと明滅していたに違いない。そう考えて、小夜子はハッとした。「ね、ねえガァちゃん。ヒカリゴケに精霊がいるのならば、毒の茨にも同じように精霊がいるのかな」小夜子はガーゴイルの出す答えを分かり切りながらも訊かずにはいられなかった。声を聞いただけでもあんなにも戦慄させるモノの姿を見て、小夜子は正気でいられるだろうか。「そうだな、いるだろうな」

 やはりと云う回答がガァちゃんの口吻から放たれて、小夜子は空恐ろしくなったが、相手のことを知らなければどうにもしようがない。「オレがまだ石像に囚われていた頃、巻き付いていた茨があったろう。小夜子の手にも盛大なるダメージを与えた。アレが奴らだ」

 小夜子は毒草のこととなると恐怖がどうにも勝ち過ぎていて頭が思うように回らなかったので、ガーゴイルの言葉にひどく合点が入った。そうか、あの茨か。ガァちゃんを己のものだと云わんばかりに絡み付いていた、あの憎々しい茨の群れ。確かに小夜子はあの時果敢に挑みかかり、見事撃沈した。包帯は痛々しく巻かれたままで、しかし不思議と痛みは伴わずにいた。元の世界ではガァちゃんを我が物顔で縛っておいて、この地でも侵略しようとするなんて、自分勝手も甚だしい! 小夜子は未だ恐ろしくもあったけれど、俄然闘志がむくむくと湧きでて来た。

 ガァちゃんが側にいてくれるのならば小夜子はきっと闘える。方法は未だ分からないけれど、二人で考えればきっと何かしら方法が、良い解決方法が見つかるはず。 小夜子はガーゴイルの頬を両手で挟んで「ガァちゃんとこの地は絶対に私が守るからね」と宣った。小夜子が余りにも真剣な顔付きで宣うのでガーゴイルはプッと吹き出してしまった。


「なんで笑うのー?」と云う小夜子の叱り声に笑い返すガーゴイルの、その二人のやり取りを石くれの陰で覗くそのモノは、自分も一派の仲間気取りで「イシシ」とほくそ笑んでいた。

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