第20話 迷路

 


 先ほど小夜子が無理矢理に隠された地とどう云う風に繋がっているかは定かではないが、あちらこちらに岩や石の塊はあるものの広大な一本道とも取れそうなこの地も、よく見れば大小様々な隧道のようなものが垣間見え、それらは大きなものは見上げるほどに、小さなものは小夜子が屈んでやっと入れる程のものまでと様々な大きさがあり、二人を途方に暮れさせた。「ここだけでこんなにも広いのに更に脇道があるなんて、この地に果てはあるのかしら」 


 小夜子は半ば呆れたように言葉を放った。現に二人は試しに一つの隧道を抜けてみたのだ。そこはセドナのいた地と同じように青く暗く薄暗い岩と石とに囲まれた場所で、セドナのあの悲しげな煌めきがない分余程陰鬱に見え、しかしセドナがいなかったらきっと違いが分からぬ程に酷似していた。見渡せばその場所にも更に隧道は繋がっていて、これは闇雲に進んでも迷い子になるだけだと判断した二人は、一度、もう目印と化しているセドナのいる地へと戻って来ていた。


「困ったね」


 ガーゴイルと手を繋ぎながら歩いていた小夜子は、セドナの光が遠く淡く立ち上る辺りで止まりガーゴイルに向かってなんとなしに呟いた。いつもだったら「ああ」とか「うむ」とか返事をくれるはずのガァちゃんの答える声の届かないことを不思議に思った小夜子はガーゴイルの顔を見上げて見た。ガァちゃんはいつになくそのトカゲのように鋭利な瞳を更に鋭くさせて、辺りの気配を伺っているようだった。小夜子が「ガァ…」と呼びかけようとすると、ガーゴイルは小夜子の口先に己の人差し指を添え、小夜子はそれに倣って口を「あ」の形にしたまま沈黙した。ガーゴイルは小夜子を見ず、何やら一点を注視して居り、その厳しい横顔に小夜子は場違いながらに見惚れてしまった。やっぱり父の書架で目にした数々のガーゴイルとは違う面差し。云うならば竜族に近い。もしレプティリアンがこの世に存在するのならば、ガァちゃんのような見た目なのではないかしら。


「尾けて来ているな」


 ガーゴイルが突然鋭い声を発したので小夜子はビクッとした。


「そこの岩陰だ。気付いている。さっさと姿を晒した方が幾分かマシだぞ」


 小夜子はガーゴイルが何を云っているのか分からずポカンとした表情で、しかしガーゴイルに指示された通り声には出さず、目線だけでガーゴイルの見遣る方向とガーゴイルの表情を追っていた。ガーゴイルが鋭く見つめる先は少し大きめの、かつては誰かであったであろう石くれで、小夜子にはそこに潜んでいるのであろう気配がちっとも分からなかった。「出て来ないつもりなら実力行使で行くぞ」


 云うや否やガーゴイルは己の二の腕辺りから鱗を数片ぶちぶちと抜き、指の間に挟んで石くれに向かい構えた。「ちょ、ちょっと待って!ガァちゃん何をするの?」 ガーゴイルの構えた腕に手を伸ばし、縋るようにして小夜子は必死に問うた。「岩ごと壊す」「だ、ダメだよ、そんなことをしたらあの何かだったものが崩れちゃう!」「どうせいつかは崩れる運命だ」キッと前を見据えたままそう吐き捨てたガーゴイルを今にもこぼれ落ちんほどに目を見開いて見た小夜子は、「本気で云っているの…?」とガーゴイルに問うた。 


 そこでやっとガーゴイルは石くれに向きっぱなしだった視線を小夜子へと下げ、泣けないのに泣きそうな顔をしている小夜子の顔を見て、己の気持ちのたかぶり具合に気付かされた。

 ガーゴイルは構えた腕をすんなりと下げ、その拍子に指から離れた鱗たちがきらりことりと金属質の音を立て、地へと落ちた。小夜子は下げられた腕に己が手を添え視線もそのままに「ガァちゃん…」と一言呟いた。「すまない、警戒する余り心にも無いことを云った」

 ガーゴイルはそう謝ったけれど、本当に心にも無いことなのかは分からなかった。思念のどこかで諦めているような、もしくは滅びを期待しているような自分もいる、少し前からそんな気がしていたのだ。それはあの石像に囚われて諦念の虜となっていた時の自分に似ていて、ガーゴイルはこんなにも純粋無垢な生き物を前にしてこのような思考をも持つ自分に嫌気が差していた。そうして、そんな自分を決して小夜子にだけは知られたくなかった。そんな小狡い己にも、もちろん嫌気が差していた。


「あのォ〜」


 石くれの影から間の抜けた声がして、二人はビクッと身構えた。よく見れば石の表面に枝のように細い手腕が片方だけ覗いている。ガーゴイルはもう一度身構えて「誰だ!」と叫んだ。


「そんなに大きな声ェ出さんでも、充分聞こえてますゥ」

「一応ここいらでは害はないと思うんでェ、あんまり警戒しないでくれますとォ」


 小夜子はその喋り方で一瞬河童を想起したけれど、ガーゴイルも小夜子も何者をも想像していなかった。ので、誰かがここにいること自体が稀有な事例であったのだ。ガァちゃんが警戒するはずだ、これは異常自体なのだ。もしかしたらあの老爺の手下みたいなものなのかも知れない。小夜子はそう思うとあの時の嫌な気持ちが蘇って来た。


「姿を表しますからァ、鱗で刺したりしないでくださいよォ」

 のんびりした口調に似合わぬ金属質な声音でそう囁いたソレは、ゆっくりと石くれの影から身を覗かせて来た。


 最初に見えたのは毛であった。

 蓑を頭から被ったような、毛、毛、毛、毛の塊。

 頭頂部の真ん中だけ剃ったように毛がなく、ざらりとした感触を想起させる。

 その大量で丸々とした毛をモノともしないほどの目は大きく二つに見開かれ、まるで瞳孔が開いているかのように見える。

 その下に申し訳程度に穿たれた鼻の穴。

 よくもそんな毛量と眼球を支えられるモノだと心配になるほどに手足は枯枝の如く細く、

 そして歯抜けばかりの大きな口はニタニタと笑っているかのように大きく開かれている。 


 小夜子はやはりその姿を知っていた。


「ヨナルテパズトーリ…どうしてあなたがここに…?」


 メキシコの悪魔と呼ばれるヨナルテパズトーリがそこにいた。


「小夜子、知っているのか」

 小夜子はヨナルテパズトーリに向かって目を剥いたまま「知ってる…」と短く答えた。「…でも、でも、私が呼んだわけじゃないわ」「それは分かっている」

 ガーゴイルと小夜子の混乱振りを興味深げに見ていたヨナルテパズトーリは、「オラァさっき着いたばっかでなァ。ドラゴンさんの奴は乱暴だからいけねェや」と、のったりのったり近付きながら宣った。ガーゴイルはその動きに即座に反応し、小夜子を庇うように立つと「近付くな」とまた語気鋭く言の葉を放った。「なんだよゥ、別に怪しいもんじゃないよゥ。あやかしだけんど」と云って「イシシ」と笑うヨナルテパズトーリに苛立たしさを大いに感じながら、ガーゴイルは「尾けていただけで充分に怪しいだろうが」と返した。

 ヨナルテパズトーリはモジモジとしながら、「だでどもオラ、だでどもオラ、どう話しかけていいんか分からんでェ」と恥ずかしげに云った。

 その姿を見た小夜子は「ねえガァちゃん、どうやら悪い子じゃなさそうだし、ドラゴンさんのくだりも気になるから、お話だけでも聞いてみようよ」と提案した。実際初めて見るヨナルテパズトーリは動きから話し方からなんとも可愛らしく、小夜子は先ほどのもじもじとする姿にキュンキュンとしてしまったのだ。「まあ…小夜子がそう云うのなら…」とガーゴイルは溜飲を下げ、ヨナルテパズトーリに向かい「どう云うことだか初めから説明しろ」と凄んだ。

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