第15話 大鳥加代子



 加代子は加代子で寝付けずにウトウトとしては覚醒するを繰り返していた。

 最近は専ら息子の子供向けベッドに無理矢理這入り、身体を丸め愛し子を抱いて寝かし付け、そのまま己もその場所で眠ることが多く、夫婦の寝室は冷え冷えとした空気に包まれて、空虚なままの日が続いていた。

 小夜子の部屋で何某かの音がしたようにも思えたが、起き抜けの頭は状況をはっきりと知覚せず、ぼんやりしたまま腕の中でトクトクと眠る息子の和毛に顔を埋めた。幼子特有の汗の匂いとシャボンの匂いが混じり融け合い、むわっと鼻腔に押し寄せて来る。 愛しい子。愛しい我が子。


 俗に「男の子は発育が遅い」などと云われるが、小夜子の五つほど下の悠介もその類なのかなかなかにきちんとした言葉を発しなかった。言葉どころか行動も多分に幼稚で、おむつ離れもなかなかに進まず、いつまでも赤児が如く無垢な瞳をキラキラとさせながらも芒洋とした様に日々焦りは募るばかりで(小夜子の時はあんなに手がかからなかったのに)と心の中で比較してみては落ち込んでいた。夫は「男の子はそんなものだ」と知った風な口を利くばかりで育児に参加はせず全く役には立たないし、姉の小夜子−−−


 −−−小夜子、あの娘は。


 多分に夫に似たのであろうあの娘は、自分の子供の頃とは余りにも趣味嗜好が違って居り、加代子にはその常が理解不能であった。加代子は虫や爬虫類と云った世に云うゲテモノは苦手な質であったし、小夜子の好きな妖怪なんかもただ気味の悪いモノとしか映らず、お人形さん遊びやおままごとなんてを好まずに野原を駆け回っては気味の悪い生き物を捕まえて得意げな顔をする我が子を異端とすら思った。

 小夜子は口も達者で物覚えも早い子どもであったから、今の悠介と同い年の時分には夫の書斎から本を持ち出しては読み耽っていたように思う。小夜子は幼児期から加代子の好むもの、小夜子に好んで欲しいものに全く興味を示さなかったし、近頃は服装も男の子寄りのものを好むようになって来て、余計に加代子を苛立たしくさせた。美しく着飾れば華やぐものを、あの娘はわざと穢す。小夜子を見ていると己の生まれ育ちを否定されているようでつい苛々としてしまう。

 それは多分に悠介の発達の遅さや日々の世話、夫の無関心さなどが蓄積されたものの発露でしかなかったけれど、己が常に正しいと信じて止まぬ加代子には己の領域テリトリーに侵入した者の中で己の意に背く者は皆敵だし、そしてその領域の中に常に敵がいないと気が済まないと云う厄介な質で、蝶よ花よと大事に育てられ、仙姿玉質とばかりに褒めそやされ、我儘放題に生きて来た加代子にとって、今の敵は小夜子そのものであった。大人しく家の中でぬいぐるみでも抱いていてくれようものならば波風など立たぬのに。 先だっても小夜子の通う小学校のクラスの担任教師(これがまた新卒なのか若いばかりでなんとも頼りがない)から注意とも勧告とも取れぬ云わば告げ口めいた電話があった。


 −−−小夜子さんがそちらの近所の××地区にある廃神社へ通っているそうですが…

 −−−あの辺りは人気もまばらなので注意するようお家の方からも云って頂けますと…

 −−−いやあ、昨今厭な事件も多ございますから…


 どうにも話し振りが慇懃無礼な感じを抱かせるその担任の、未だ痘痕の消えない間の抜けた面立ちを思い出して受話器を持っていない方の手の爪をキリリと噛んだ加代子は、「あの娘は強い子ですのでお気遣いなく」とピシャリ電話を切ってしまったのであった。ちょうど夕餉の支度をしている最中であったし、悠介はテレビを見飽いてかこちらに来ては何やらもそもそと言葉らしきものを発し、ニコニコしながら己が着用しているエプロンの裾を汚すので、加代子はなんだか何もかもが嫌になってしまったのだ。普段、小夜子の前では気丈に母親然とした態度を取ってはいるが、結局己は子を成した今となっても大人に成り切れていないのだ。


 子を持つ資格のないもの同士が子を成した末路がこれか−−−


 と、加代子はひとつ嘆息して、湧いた欠伸を堪えることもなく、浅い眠りの底に堕ちて行った。

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