第13話 御大
小夜子の父が幼い頃は幽霊現象や怪異現象を扱う番組がよく放送されていたそうだ。
そう云った怪異を専門にする雑誌も今よりもっとずっと多かったし、テレビの特設番組なんかでは、わざわざ怪異否定派と肯定派を集めて議論と云う名の口喧嘩を囃し立てる内容のものなんかもあったそうで、アレは随分と馬鹿らしかったななどといつだったか珍しく御酒に酔いご機嫌な体の父が口走っていたように思う。近年はCG技術の促進や映像合成技術の向上でそう云った心霊や怪異には欠かせない『心霊写真』や『未確認飛行物体やUMAなどの未確認生物の動画』などが容易く作り上げられてしまうので、怪異や心霊と云ったものはすっかり
日本の妖怪たちがまだそれでもこうして忘れ去られずに成り立っているのはきっと、小夜子の父が生まれるよりも前から放送され、今も脈々と続いている人気不動のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のお陰、云うなれば作者の水木しげる先生のお陰と云っても過言ではないと思う。
小夜子ももちろん『ゲゲゲの鬼太郎』は大好きだし、水木しげる先生の漫画『河童の三平』なんても殊更好きで、これまた父の書架から盗み出しては食い入るように読んでいた。父がいつだったかボソリと「水木先生は、アレはきっと妖怪の類なんだろうな」と宣った一言が忘れられず、水木先生が妖怪ならきっといつまでもこの世に止まって漫画を描いてくれる!とその一言に大層喜んだものだったけれど、水木先生は−−−水木しげる先生は小夜子が六つの折に亡くなられてしまわれたのであった。
小夜子は未だ幼稚園児だったけれど、幼い頃から生き物と遊び戯れていた小夜子には『死』と云うものがどう云うモノだか分かりすぎるくらい解っていたし、父は小夜子の水木しげる好きを知っていて敢えてはっきりと小夜子にその事実を(母にはだいぶん強く止められていたようだが)告げたので、小夜子はその日も、明くる日も、そのまた次の日も、幼稚園には行けなかった。空を見上げると空一面に水木先生の顔が広がっているようで、それが嬉しくもあり悲しくもあって、随分と泣いた。
そんな日が何日か続いたある日、小夜子は庭内に在る水の張られていない噴水の淵に腰掛けて、師走の曇り空の下、身を切るような寒さも感じることもなく、見えない水の張られた噴水の水面を眺めていた。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
張られてもいないのに揺れるそれはきっと小夜子の瞳から溢れる大粒の涙の群れだったけれど、小夜子はそれを水面だと感じていた。そうしている内にその水面にもやはり水木先生がゆらりと映し出されて、小夜子は「先生はどこにでもいるんだ」と確信した。肉体が無くなっただけ、思い出せばいつでも出て来てくれる、と。
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