第12話 かっぱ池のなんたるや



「ねぇガァちゃん、『妖怪 小夜子』にはどんな能力があると思う?」


 先ほどの、地に初めて舞い降りた際のようにパジャマの裾を翻しながらヒラヒラと舞う小夜子は、実にご機嫌な調子でガーゴイルにそう質した。実際小夜子は飛び上がりたいくらい上機嫌であったし、それは園児の頃に初めてあのすばしっこい仕草でいつも小夜子を翻弄するニホントカゲを素手で捕まえて、その黒光りするツルツルとした鱗に触れ頬擦りした時以来、否それ以上の舞い上がりぶりで、小夜子はガーゴイルのように己にも翼が着いていたらと至極残念にも思えた。今の小夜子なら、きっとヨタカよりも高く高く空に舞い上がってみせるのに。


「『妖怪 小夜子』の能力を決めるのはオレじゃない、人間さ」


 ふわふわと、まるで心ここに在らずと云った体で舞う小夜子をただ見守っていたガーゴイルからの返答は、幼い小夜子には余りにも意外だし難問でもあり、小夜子をしばし混乱の渦へと招き入れ、その小ぶりな足を止めさせた。


「人間…人が−−−決めるの?」

「そうさ、小夜子も云っていただろう、『ガーゴイルは雨樋の守り神として人が造った石像だ』と」

「でもそれは石像のガァちゃんのことだわ、妖怪のことじゃない」

「おんなじ事さ」


 小夜子はますますわけが分からなくなって、

「どう云うこと…?」

 と、果敢無げに問いかけ直すことしか出来なかった。 ガーゴイルは小夜子の顔が不安な色に染められるのを見てとり若干慌てたが、ここは少し分かりやすく解きほぐして行かないと埒がないし、この好奇心旺盛なくせにカルメ焼きが如くほろほろと繊細な娘の心に僅かばかりの傷も作りたくないと云う己の強欲さにうんざりしながら、どうしたらこの娘に上手く伝えることが出来るかと考えあぐねた。


「小夜子の身近に何か妖怪にまつわるモノやコトはないか?」「私の廻りに?」

 小夜子は京極堂のファンなくらいだから日本の妖怪もある程度はお手のものだけれど、いざソレが自分の廻りにとなると考えたこともそうはなかったので、今度は小夜子が考えあぐねる番であった。


「うーん、家からそう遠くないところに『かっぱ池』と云う池があるとクラスの子が云っていたわ」


 小夜子はかつてクラスメイトの男子が、小夜子の妖怪好きを知り教えてくれた情報を何とか頭の片隅から引っ張り出した。その時確かその男子は「夏休みに一緒に行こう」と小夜子を誘ってくれたのだけれど、小夜子は元来人見知りをする子どもだし、そもそもその男の子自体と今や校内で接するほど仲良くもなかったので、返事をなあなあにしてしまったのだった。かっぱ池、ものすごく行ってみたいけれど。もしここから無事に帰れたとしたら一人で行ってみようか。ん?無事にってなんだろう。そもそも私は帰りたいのだろうか。あの場所に、あの家に、彼処あそこに。戻りたいと思っているのだろうか。


 否、帰りたくない。このまま『妖怪 小夜子』でいられるならばそのままがいい。


 流れるように湧いた己の思考を叱咤するように頬をペチペチと両の手で挟んで叩き、小夜子はガーゴイルにかっぱ池の詳細を伝えた。それは全国津々浦々によくある河童譚と同じくして、池に遊びに行くと河童が出て来ては尻子玉を抜くので余り立ち入ってはいけない、と云ったものだったけれど、ガーゴイルは興味深げに耳を傾けてくれていた。


「なるほど、小夜子の暮らす地には斯様な妖怪がいるのか」


「そうだでよ」


 と、突如どこからともなく聞き慣れぬ馴れ馴れし気な声がして、咄嗟に小夜子を庇うように身構えたガーゴイルであったが、そのモノの姿を認め愕然と力が抜けた。


『妖怪 河童』がこの地に顕現したのだ。


 ソレはなんとも奇妙な出立ちをしていた。

 ぬらぬらと粘膜に塗れてでもいるような表皮は緑青色とも見えるし青鈍色が如く燻んでも見え、それらには痣のような斑点が処々に散っている。にょろりとひょろ長い手足と胴体には似つかわしくなく膨れた腹、その胴腹と繋がる手先足先には指一本一本の合間に水掻きが付いており自ずながら水辺の生き物だと語っている。顔は菱を形取っており、半分に開かれ、端から涎を垂らした嘴が如く口吻と、死んだ魚のようにうつろな瞳が鎮座まし、頭周りには申し訳程度に毛が生えている。そしてなんとも珍妙なのは頭頂部だ。白緑色のそれは窪んだ皿のような外観をしており、僅かばかりか水を張っているようにも見え−−−、


 と、ソレは唐突に、


「オラば呼んだンはこォの娘っ子だな」

「まぁた随分珍妙なとっころに呼ばわれたもんだー」

「なんだぁ、廻りに水っけのひっとつやふたっつもないんじゃかー」


 と奇妙な言葉遣いで独り言ち、「なーオマエ、見たっこともねーだでなー」とガーゴイルを見て素っ頓狂な声を発した。 ガーゴイルはガーゴイルで小夜子の想像力のたくましさと云うかなんと云うかに恐れ入った気持ちでいたし、小夜子は小夜子で初めて(まさか!)初めて目にする河童に興奮を隠し切れないでいた。河童って、こんな変な喋り方するんだ!


「んー。なぁんかおっかしでなぁー?」

「なぁんでこォの娘っ子にはオラが見えてるーんだズラ?」

「って云うかーなんでーオラはーこんなに喋れるんだっぽ?」


 珍妙な話し方の割に表情が変わらない河童は相も変わらず空な瞳でぬらぬらと、小夜子をまるで珍しいものを目にしたが如く舐めるように眺め回した。ガーゴイルはその不躾な視線を少し(否、かなり)嫌ったけれど、小夜子がそれを諭したかのように己が指を握って来たので気炎をグッと呑み込んだ。ガーゴイルは些か構えつつ、


「貴様が河童なのだな」と、問うた。


 河童は小夜子観察にも飽いたのか、己が指先を弄りながら「そだよー」と答えた。


「あんたが河童云うんならー河童じゃろがいのー」

「しかしーこんなー話せるなんておかしのー?」

「ソレにーなんでオラはソレがおかしいとー知ってるんじゃろべ」


 小夜子が顕現させたからなのか元からこう云う性分なのか分からないけれど、その態度や話し振りに若干イラついていたガーゴイルであったが最後の河童の言葉に強く頷いた。


「小夜子、コレだ」

「コレって…?」

 小夜子のガーゴイルの指を掴む手が少しく強まる。


「今ヤツが云ったろう?己は何故に話せるのか、そして何故それが平時と違うことだと知っているのか、と」

 小夜子はコクリと頷いた。河童と話したい気もするけれど、今はその時ではないみたい。


「元々オレらには顕現させられた際に何かを『思う』とか『感想を抱く』なんてことはないんだ。ましてや人に−−−人の子らに見られると云うこともない。だからもちろん話すこともないし、それを疑問に思うことすらない。

「だけど目の前のヤツは−−−もちろんオレもだが−−−それがおかしいことだと知っている」「ソレは−−−小夜子が、あ、私が妖怪になったからじゃないの?」

 小夜子は思わず幼少期の頃の己の一人称が出て来てびっくりした。小学校に上がった際、恥ずかしいから止めなさいと母に云われてから必死で直したところだったのに。


「確かにこの地に戻って来た際は、妖怪同士でたわいも無い会話とも付かないような話しはしたさ。でも仮令妖怪のような身の上になったとして小夜子は人の子、人の子に顕現されてこうなると云うのは今までになかったことなんだ。そしてソレは日本の妖怪たちの間にも広がっている−−−」


 と、云いながら視線を河童に送ると、河童は既に半身を砂つぶのような流動体に変化させ、この地から今にも消えようとせんでいた。


「オデはそろそろ次のとこさ行くだでー」

「人気者はつらいんじゃろーっピ!」


 小夜子とガーゴイルが一斉に「あああ〜!」と叫ぶも虚しく、人気者の河童は別の何処かへと呼ばわれて行ってしまった。小夜子は一言でも良いから河童と話しておくべきだったと大いに後悔した。「尻子玉ってなに?」って訊きたかったのに!「まあ何を訊いてもヤツには答えられんだろうよ」

 と、小夜子の思念を読んだかのようにガーゴイルから言葉が降って来て、小夜子はビクッとした。ガァちゃんは、私の心が読めるのかしら?もしも読めたのなら−−−などとまたもや恐ろしい方向に思考を持って行かれそうになった小夜子はブンブンと頭を振り、そうしてもはやその行動とセットになっている目眩をくらり起こしてガーゴイルの腕に寄りかかった。


「小夜子、なぜ人間たちが河童がいるから池に近付くな、などと云って河童を作り上げたと思う?」ガーゴイルに寄りかかったままその顔を見上げんと顎をつうと上げた小夜子は、「河童は本当にいるんじゃないの?」と問うた。

「いないだろう、ああ云う意味での河童はな」

 聡い小夜子も流石に妖怪が本当にいるとは思っていなかったけれど、本人から直接はっきりとそう云われてしまうとちょっと落ち込んだ。「昔は特に今ほどに管理されていなかったから、溜め池などに落ちて死ぬ子どもなどが多かったのだろう。そう云う時に子ども避けとして機能するのが異形なるモノ−−−得体の知れぬモノ、恐ろしいモノなんだ。「そう云う風に、時に災難除けとして、そして人間の知恵では解決出来ない不思議な出来事や事象に名前や形を与えたモノがオレら『あやかし、モンスター』などと呼ばわれるモノたちなんだろう。まあ、そう一概にも云えないが−−−」

 小夜子はなるほどと云う体で、ガーゴイルの語り口を邪魔せぬように首だけでコクリと返事をした。「だが、人間の文明が進むに連れ不思議だった物事は不思議ではなくなり、怪異は正当化され、その正体がバレていつの間にか怪異の名を呼ぶ者も少なくなって行った。「そうして余り名の知られぬモノ、崇める種族が潰えしモノ、他のモノにとって変わられたモノなどが次から次へと忘れ去られ、こうして石くれへと姿を変えている−−−まあだがそれ自体は昔から当たり前にあることなんだ」 そう云って、ガーゴイルは少しく懐かし気な眼差しを岩だらけの地に向けた。


「いつからだったろうな、ここまでの有り様になってしまったのは」


 ガーゴイルに寄せた肌から感傷のようなモノが朝霧のように小夜子の身体へと沁みて来て、小夜子は泣きそうな気持ちになった。仮令忘れ去られて行くモノがいたとしても、それでも賑わいのあったであろうかつてのこの地に思いを馳せてみる。小夜子は生まれた頃から父の仕事の事情で方々を転々としていたようで、郷愁と云うものはよく分からないけれど、きっと今ガァちゃんの胸の中を占めているのは間違いなく郷愁の思いで、その隙間を埋めてあげられる術を小夜子は一欠片も持っていやしないのだ。どうしたらガァちゃんの故郷を取り戻すことが出来るのだろう。どうしたら、どれほどの憎しみを持っていたらこんなむごいことが出来るのだろう。小さな小夜子の胸の内は、怒りや悲しみや憎しみや祈りやよく分からない後悔の気持ちや懺悔の思いで一杯になって今にも弾け飛んでしまいそうで、胸の辺りで己の手をぎゅうと握り、押し付けるようにした。

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