5月編 第4章

1 放課後の教室で……

 五月も下旬に突入していた。


 すっかり大人しくなったあの女子四人と野郎二人の様子から、『花村』の諸々のうわさや神様の祟りなどがまことしやかに囁かれて浮き足立っていた校内も、ようやく落ち着きを取り戻していた。


 そんな穏やかな放課後の教室では、あの日以来日課になった女子二人のおしゃべりが繰り広げられていた。


「でね、その時青っちがね──」

「ふふっ」

 クラス日誌を書きながら聞いていた桃が、舞奈の話に笑みを漏らした。

「な、なに? なんかおかしかった?」

「舞奈ちゃん、さっきから三ちゃんの話ばっかり」

 きょとんとしている親友に優しく告げる。と、その顔がものすごい勢いで真っ赤になった。


「ななな、そんな事、ないよ?」

「ふふっ」

 反論してみても、桃は微笑むばかりで舞奈の頬はますます熱くなっていった。

「もう、桃ちゃんのいじわるっ! って言うか、桃ちゃんにだってそういう人位いるんでしょう?」

 その言葉に、微笑みが愛想笑いに変わっていった。


「え~、いないよ、そんな人」

 明るいトーンなのにどこか物悲しくて、痛みを覚えたのは舞奈の方だった。

「……桃ちゃん、大丈夫?」

「え? なんで?」

「だって……涙が……」

 舞奈の指摘に目元を指で拭ってみる。


「あれ? なんで? あれ?」

 伝わる悲しいぬくもりに、桃は動揺を隠せなかった。

「桃ちゃん、ちょっと待っててね。今……」

 そっと抱きしめると、舞奈は教室を後にした。



 誰もいないA棟屋上に、二人の声が響いていた。

「ねえ、でにっしゅ。他の人に自分から正体をばらすと……どうなるの?」

『え? 今さら何言ってんの?』

「どういう意味かな?」

『だって舞奈ちゃん、少なくとも六人にバレてんじゃん』


 あ、と口を開ける魔法少女。


「でもでも、青っち達には自分からは言ってないし、会長さんたちにはお仕事の関係で女神さまが伝えたんだよ? 今からやろうとしてるのは──」

『あ~、何だかボクは、変化の時間が長くて疲れちゃったよ。だから、何にも見えないし聞こえないし、仮にあっちの世界のお偉いさんが何か言ってきても、ボクの怠慢として処理するしかないんだろうなー』

「そ、それはだめだよ」

『ま、そんなこと言ってくるような人はいないんだけどね。現に今も何も言ってきてないしね』

 めがねがそう言ってウインクしたようだった。

「でにっしゅ……」

『いざとなったら女神さまの力を借りようか。あの方、結構ボクたちの世界に関りがあるみたいなんだよね~』

「う、うん」


 不安は拭いきれなかった。だが、はじめてできた『親友』のために、舞奈は決意を固める。


「じゃ、じゃあ、いってみよーっ!」

『ぷーっ、いってみよーっ! って緊張感ないなあ』

 げらげらと笑うお供の方がよっぽど緊張感がなかったが、そのおかげで舞奈の心は幾分軽くなっていた。



「おまたせーっ!」

 色々と吹っ切ったような表情で舞奈は戻ってきた。教室後ろのドアから現れた彼女はズンズンと桃に近づく。

「桃ちゃん、来て!」

 手を取ると、ぎゅっ、と握りしめた。

「ま、舞奈ちゃん?」

 そして、困惑する彼女を教室から連れ出す。その姿は、まるで可憐な女騎士のようだった。



 B棟屋上に二人で立つ。梅雨の気配をはらんだ風が、その頬を撫でていった。

「舞奈ちゃん?」

「あたしにまかせて」

 委員会室に続くドアの前に立ち、セキュリティカードをブレザーの内ポケットから取り出した。

「……」

 一瞬、舞奈の胸に不安がよぎる。それでも。


「えいっ!」

 読み取り機にそれをかざした。

『ぴーっ』

 認証完了の電子音と共にドアのロックがガチャリと解除された。心底ほっとした様子の舞奈は、桃の手を引きその中へ滑り込んだ。


「え? え? ここ、やばいんじゃ……」

 桃は驚きと同時に恐怖感を滲ませていた。

「大丈夫」

 落ち着かせるような声色で、舞奈。

「じゃあ、今から──」

「あら? 星川さんではないですか。どうかなさいましたか?」

 上の階から美麗がひょっこりと顔を出す。その横に、すー、と佳奈の顔も現れた。


「あ、あの、すいません。ちょっとここで変身させてもらいたいんですが……だめ、でしょうか?」

 美麗の瞳が鋭さを増した。

「あ……そうですよね……失礼しま──」

「まあまあまあっ! またあの変身を拝めるなんて! 相馬さん、お茶をご用意なさって! あ、おまんじゅうも山盛りでお願いします!!」

「了解」

 両腕をぶんぶんと振り回して興奮する美麗と、どこかうれしそうな佳奈。

「そんな所ではあなたの尊い変身に失礼ですわ。ささ、こちらにいらして下さいな!」

 舞奈は恐縮しつつも階段を上っていく。その後ろに戸惑いながら桃が続いた。


「あ、あの、会長さん。セキュリティカードはどうして……」

 少しの間だったがお世話になった部屋に入るなり、舞奈は聞いた。

「ん? 星川さんは、わたくしたちのお仲間ですわよね? 違いましたかしら?」

「で、でもこの間……酷い事を言って……」

「それはお相子ですわ。わたくしも大人げなく取り乱してしまいましたし……」


 二人の間に、やわらかい空気が流れだす。


「意見の相違は往々にしてございます。今は袂を分かっていますが、星川さんならいつでも歓迎いたしますわ」

「……はい、ありがとうございます」

 四月のあの一件を、二人とも気にしていたのだろう。お互い譲れない部分は今でもあるはずだ。でも、ほんの少しなのかもしれないが、二人は思い合う心を共有できたようだ。


「はーい、おまたせしましたー」

 佳奈が趣味のいい木製のティーワゴンを押して戻ってきた。その上にはカップやポットなどが整然と並べられていた、のだが……。


「そ、相馬さん? その後ろに引いているもう一台のワゴンは……」

 目を丸くする美麗に、佳奈は小首を傾げた。

「ん? これ? これは、おまんじゅうワゴン」

 そして、ドヤ顔? で胸を張った。

「山盛りとは申しましたが……」


 絶句する美麗の目の前には、戦闘民族も裸足で逃げるような、そんなまんじゅうの山がそびえ立っていた。


「……こんなに食べきれませんわ。戻してらっしゃい」

 ぴしゃりと美麗。

「えー、大丈夫」

 だが佳奈は、ぽす、とその控えめな胸をたたいた。

『そうだよ、会長さん。ボクもいるんだから、このくらい余裕でしょ』

 舞奈の顔に鎮座していためがねが、ぼん、と煙を上げた。


「ひっ!?」

 桃が小さく悲鳴を上げて、心配そうに見ていた。

『はじめまして』

 舞奈の足もとに現れた黒猫が、ぺこりとお辞儀する。

『ボクはでにっしゅ。舞奈ちゃんのお友達になってくれて、ありがとう』

 ?? な桃だったが、つられるようにお辞儀を返した。


『それでは遠慮なく』

「ん、受けて立つ」


 挨拶もそこそこに、でにっしゅは戦闘態勢を整えた。佳奈も臨戦態勢だ。


『おまんじゅうバトルぅ、レディ、ゴー!』

「ごー」


 あむあむ、とぱくつく黒猫に対し、まんじゅう魔人はばくばくと勢いよくそれを屠っていく。


 厳しい戦いに、なりそうだ……。


 はあ、と美麗はため息を漏らした。

「おバカさんたちは放っておきましょう。さあ星川さん、華麗にお決めくださいな!」


 美麗は見た目通りの幼女のような純粋なきらめきを、その瞳に宿していた。

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