7 ましろの真理。

 全てが飲み込まれてしまいそうな漆黒の中で、佐野ましろは神経を研ぎ澄ませていた。無数の殺意が、彼女を遠巻きにして蠢いている。と、少し離れた高台に陣取っていたその群れのボスが、遠吠えを上げた。不安をあおるようなその合図に、殺意の輪が小さくなる。


「……群れなきゃ何にもできねえのかよ?」


 ましろの鋭い眼光が、見えてはいないはずの野犬どもを貫く。弱い個体たちは、その一睨みでしっぽを股に挟み後ずさった。が、厳しい自然の中で勝ち抜いてきた猛者どもは、牙をむきさらに姿勢を低くした。


「来いよ、負け犬ども……」

 右手を軽く前に出し、手のひらを上に向けて挑発するように指だけで手招きをした。

『ガルル……』

 本能で何かを感じ取ったのか、唸り声にさらに怒気が上積みされたようだった。そして、一匹の野犬がしびれを切らしたのか、ましろに飛びかかった。

「OK、ぶっ壊れちまえ!」

 殺気をたどりながら両手を握るように突き出すと、二メートルをゆうに超える眩い大剣が形成された。

「へ、幾らかマシになったか……」

 ましろには似つかわしくない光の大剣。彼女は何故それを体得していたのか……。




 失踪したましろは、すぐに群馬県と埼玉県にかかる山地に赴いた。狼信仰が色濃く残るこの地方で再修行を開始したのだ。ここは、彼女が能力を最初に発現させた場所。いわば始まりの地なのだ。


 修行は瞑想から始まった。

 自分を見つめなおし、心を無にする。が、一向に無にはなれなかった。


 負けた理由、悔しさ、憤り。様々な感情が浮かんでは消え、消えては浮かび上がる。その中には三太たちの姿も交じっていた。


「なんで……」


 鎮まるどころかさざめき続ける自分の心に、嫌気がさしていた。



 三日が経過していた。

 瞑想していたのか、眠ってしまっていたのか……そんな混濁とした中で、ましろは一筋の光明を捕まえた、ように感じた。


「……あいつらを守るには……いや違う。俺が奴らに勝つためには、これが必要なのか?」


 戸惑いながら見つめる右手に、光が集まっていく。


「オレの心に、まだ、光があった……のか?」


 ありえない、と思う反面、彼らと過ごしたここ最近の時間たちが輝いていて、まぶしいくせに目を逸らすことができなかった。


「これで……本当に勝てるのか? いや、やるしかないんだな?」


 そこからは光を扱うことだけに集中した。練り上げ、凝縮し、それを開放させる。繰り返すほどに、ましろの新たな能力は強大なものとなっていった。



「で、できた!?」


 さらに一週間が経過したころ、その手には巨大な光の剣が握られていた。


「試し斬りだ」


 静かに言うと、ましろは辺りの大木たちをくるりと一周なで斬りにした。


 しぱっ、とかすかに斬撃音が響くが、大木はびくともしない。が、ましろがその剣を血糊を払うように振るうと。


 ずずず、と大木たちが滑り出し、最後にはその鋭い切断面をあらわにして、花が咲くように四散した。


「……よし」

 腹に響く倒木音を受けながら、ましろは笑みを浮かべた。




 そして、その翌日の夜。ましろは野犬の群れに囲まれていたのだ。


 飛びかかってきた一匹に、その大剣を力任せに叩きつけた。

『ぎゃんっ』と悲鳴を上げると、そいつは動かなくなった。呼応するように周りの唸り声が消え、静寂が訪れる。


「どうした? もう、おしまいか?」

 言うが早いか、ましろは素早く野犬との距離を詰め、その大剣を薙いだ。

「ん?」

 手応えが、ない。

 奴らは一斉に距離を取ってその包囲網を広げ、獲物を窺っていた。嫌な緊張が走る。


『うおーんっ!』


 それを合図に、四方八方から五月雨式に飢えた牙が迫った。


「く、やるなあ……」

 慣れない得物ではその攻撃を防ぐだけで精一杯だった。とめどなく続く攻撃に、次第にじり貧になっていくましろ。

「しまっ──」

 ひときわ大きな野犬の牙が、ましろの喉笛に迫った。

「ぐああっ!?」

 咄嗟に右腕をくれてやる。肉こそ持っていかれなかったが、その牙がましろの柔らかい前腕に食い込んだ。鮮血が、滴り落ちる。その匂いに、群れ全体から異様な興奮が沸き上がっていた。


 あ、とましろが思う間もなく、とどめとばかりに複数の野犬がその肢体に殺到した。


「やっぱりこんな付け焼刃じゃあ、だめか」


 じわじわとましろの身体から、闇がほとばしる。ボスと思しき個体は異変に気づいたのか、さっと距離を取った。が、平常心を失い飛びかかった奴らは、その闇に飲まれていった。声すら上げる暇もなく、ただただ飲み込まれていった。


「なら……こいつを使ってオレの闇の深度を増すだけだっ!」


 光の大剣を頭上に放り上げる。


「なんてこたあねえ……光が強けりゃ、闇もそれだけ強くなる」


 右こぶしを突き上げる。見れば、その腕の傷はすっかり癒えていた。


「爆散!」


 大剣が爆ぜ、閃光が瞬いた。漆黒の中から浮かび上がってきたましろは、神々しくも邪悪な笑みを浮かべていた。その背後には、圧倒的な闇が形成されている。


暗黒の鎧ダーク・アーマー

 静かにつぶやくと、ましろの身体にその闇がまとわりついた。妖しく蠢くそれが、徐々に形を整えていく。

「やっぱり……オレにはこっちの方が……心地いいぜ」

 堕天使を思わせるような神秘的で背徳的な漆黒の鎧は、ましろを別次元の強さに昇華したようだった。見ればあのボス犬でさえ、後ずさっている。


「ありがとうな、おまえら……」

 鎧の背中についているどす黒い翼が展開された。

つきまとう漆黒ホーミング・フェザー


 逃げ惑う間もなく、群れ全体が無数の羽状の闇に飲み込まれた。



「待ってろよ……ちびっこ、能面女」


 ましろは無表情につぶやくと、翼をはためかせ宙に舞った。


 月さえかすむ漆黒が、今、復活を遂げた。

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