6 桃と舞奈と統制委員会。

『うう、ひっく……び、びえーんっ!』


 舞奈のめがね辺りから、突然おかしな泣き声が響いた。


「「っ!?」」


 抱き合ったままの二人が、ぎくりとしてその腕に力がこめられた。

「ぐ、ぐふぇっ!?」「く、苦し……」『ひっく、ひっ、ひっく』

 三者三様、阿鼻叫喚であった……。


 舞奈はすぐに我に返ると桃を開放し、ご、ごめんね、と言って背を向けて屈みこんだ。


(こ、こら~っ! でにっしゅ!! なんであんたが泣いてんのよう?)

(うう、だって、だって~っ)


 桃はもにょもにょつぶやいたり、時々大きく動くその小さな背中を見て、首を傾げた。


(対象者に感情移入しちゃダメなんでしょう?)

(そうだけど……ボクには桃ちゃんの半生が、全部見えちゃったんだもん……ぐすぐす、舞奈ちゃんが抱きつくのがいけないんだーっ)

(……もう)

 呆れながらもお供のその優しさに、口もとが緩む舞奈であった。


「ほ、星川さん、大丈夫?」

 桃の手がそっと舞奈の肩に置かれる。

「ふひゃいっ!?」

 飛び上がって直立不動が、ぎぎぎ、と振り返る。かちこちの顔が、ぐぎぎ、と微笑んだ。

「なな、何でもないよ?」

 当然何でもないようには見えなかった。


「ふふっ」

「や、山尻さん?」


 だが、舞奈の心配をよそに、桃は心底楽しそうに笑っていた。

「ご、ごめんなさい。星川さんの顔が、お、面白くて……ふふふっ」


 えー、山尻さんや、それはちょっとひどくないですかい? と、舞奈は真顔になった。


『ぷーっ、げらげら』

 そして、人目もはばからずに笑いめがねを握りしめるのだった。



「ねえ、星川さん。笑ったらなんだかお腹すいちゃった。何か食べていかない?」

 桃がにっこりと提案した。本当は誰かを自分から誘うなんて初めてで、どきどきしていたのだ。でも、驚くくらい自然に言葉がでてきた。

「うん、いいね! 何食べようか?」

 舞奈もすぐにその提案に乗り、目を輝かす。新しい友達、始めての寄り道。何だか胸がぎゅっ、となって、飛び上がりたい衝動を押さえられそうになかった。


 目を合わせると、自然と笑みがこぼれた。


 二人は駆けだしそうな勢いで駅前の商店街を探索した。いつの間にかできた雲のすきまから夕日が差し込み、その頬をオレンジに染める。もう、涙はすっかり乾いていた。






「舞奈ちゃーん、おはよう!」

「あ、桃ちゃん、おはようっ!」


 翌日。朝の通学路で二人は親しげにあいさつを交わしていた。どこにでもある光景が、でも、朝日に負けないくらい輝いていた。


「ねえねえ、桃ちゃん。数学の宿題なんだけど……わかった?」

「ん? わかったけど……舞奈ちゃんは……」

 ずーん、と沈む顔を見て、桃は苦笑した。

「ああ、あたしは文系脳だからいいのっ!」

「あ、じゃあ、古典でわからないところがあるんだけど、今度教えてくれる?」

「こ、て、ん?」

 文系脳でもないらしかった。

「きーっ!」「まあまあ」

 そんな風にきゃいきゃいと女子高生らしく会話を弾ませていると。


「ねえ、朝からウザいんだけど?」


 田島由起子たじまゆきこ。2-B所属。桃をクラス委員に推薦したあの女子だ。

「そうだよ、朝からうっせーっての」「はー、やなもん見た」「ほんと、それ!」

 取り巻きたちも悪態を吐く。


「あのさー、佐野さんがああ言ったから黙ってあげたんだけど……調子のんなよ?」

 押さえつけるような言葉に、桃は色を失う。

「ちょっと胸がでかいからってなめんなって話。わかる?」

「わ、私は──」

「桃ちゃんは、調子に乗ってないよ?」

 俯いて反論しようとした桃を、舞奈が庇った。

「はあ? なに? 星川さん、こいつの事庇うんだ?」

 由紀子の顔が、怒りに歪む。

「なになに~? お友達ごっこでちゅかあ?」「なにそれ? ウケるんですけど?」「陰キャ同士お似合いじゃん!」

 げらげらと笑う四人。

 しかし、舞奈は負けなかった。三太が桃をかばおうとしていたのを、すぐそばで見ていたのだ。それに、今では桃は自分の友達なのだから。


(青っち……あたしだって魔法少女なんだからねっ! 負けないよっ!!)


「なんで桃ちゃんの事傷つけるの? 桃ちゃんが、あなたたちに何かした?」

 きっと睨みつけた。

「存在がウザい。イライラすんだよ」

「なっ、そんなことで──」

「それで十分だろ? ってか、おまえもムカつくんだけど?」

 由紀子が舞奈を睨み返す。そこへ、音もたてずに黒塗りの長ーいリムジンが横付けされた。


 そこにいる全員が、ぽかーんと口を開けていた。


 初老の、だが背筋のしゃっきりとした男性ドライバーが無駄のない所作で降車し、後部座席のドアを静かに開ける。


「おはようございます」


 花村美麗が優雅に降車すると、恭しく一礼して見せた。途端。

「「「「おお、おはようございます! 花村様!」」」」

 四人は頭を自分の膝につくような勢いで下げた。


「あなた方は……何をしていらっしゃるのかしら?」

 呆れたように口を開いた美麗が、その後頭部たちに鋭い視線を叩きつけていた。

「は、はい。この二人の態度がなっていませんでしたので、教育的指導を──」

「それは、ない」

 突然すっと現れた相馬佳奈が、静かに遮った。

「あら、相馬さん、おはようございます」

「ん、会長、おはよう」


 パンチラ統制委員会のそろい踏みに、彼女たちの額から脂汗が流れた。


「あら、星川さん! お変わりはなくて?」

 美麗がわざとらしく声を上げ、親しそうに舞奈に向かう。

「は、はい、会長。この間はすいませんでした」

 舞奈もごくごく普通に会話を交わす。


 え? と四人が固まったのは言うまでもない。


「それで……こちらの山尻桃さんは、わたくしの特別な恩人なのですが、何かございましたか?」


 固まりすぎて粉々になりそうな女子ども。


「……あ!」

 桃は目の前にいる女児? の容姿をまじまじと見て驚いていた。あの、小学生の時のあの記憶が、鮮明によみがえる。

「あなたは……あの時の……」

「その節は大変お世話になりました。あなたのおかげで今のわたくしがあるのです」

 美麗がひょこひょことポニーテールを揺らして頭を下げた。


「ときに……あなた方は坂崎東小学校のご出身ですね?」

「2-Bの田島由紀子。関口浩美せきぐちひろみ村山多香子むらやまたかこ小暮昌子こぐれまさこ


「は、はい……」


 佳奈の感情のない声に肝を冷やしつつ、由紀子が答えた。


「あなた方が小学一年生の時に、お二人ほど転校された方がいらしたのは、ご存じかしら?」

 知らないわけがない。それくらい、当時はその話題で持ちきりだったのだ。

「「「「……」」」」

「……たしか、半年程はどうされているのか報告がございましたが……はて? その後はどうされたのでしょう?」

 総毛だつような笑みを漏らす美麗を見て、四人はへたり込んだ。

「あらあら、どうかなさいましたか? あ、そう言えば……あなた方のご家族も、わたくし共の関連会社にご尽力くださっていましたわね?」

「会長、みんな、息してない」

 佳奈の指摘通り、四人全員の口から白い何かが抜け出ているようだった。

「で、でも、あなたにそんな権限は──」

「あるのです。こう見えてわたくし、フラワーヴィレッジ全体の人事権を任されておりますので」

 最後のあがきと口を開いた由紀子を、美麗が冷たく叩き潰した。


「では皆さん、参りましょう」


 そう言うと、佳奈、舞奈、桃を車内に招き入れる。そして、リムジンは音もなく滑るように発車した。


「……あ、あの、花村さん。ありがとうございました」

「いいんですのよ。わたくし、卑怯なことが大っ嫌いですの」

「私も、きらい」

 ふふ、と委員会の二人は顔を見合わせていた。


「それに比べてあなたたちはいいですわっ! 藤代さんはあなたのためにわたくしのスカートをめくり、あなたはあなたでそんな彼の事を思いやる……くぅっ! わたくしの、わたくしのラブレーダーは破裂寸前ですわよっ?」

 車内にもかかわらずじたばたと暴れる美麗を、佳奈がどうどう、となだめた。


「まあ、色々あるのでしょうが、今一度、彼と向き合ってみては?」

 虚を突かれ桃はたじろいだ。

「あの方もあの方で迷走しているようですし……」

 なぜ? と桃の疑問の視線が訴えていた。

「統制委員会は、何でも知っている」

「その通りですわ。わたくしたちは統制者……いえ、支配者ですから」


 おーっほっほっほー! と車内では迷惑極まりない笑い声に、なぜだかつられて笑ってしまう桃と舞奈であった。

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