5 友達初心者。

 穏やかだった午前から一転して、鈍色の雲が空を覆いつくしている放課後。教室の窓を開けると、雨の匂いが近づいてきているようで、何だか落ち込むような感覚にとらわれている舞奈であった。


『舞奈ちゃん舞奈ちゃん、おセンチになってるところ悪いんだけど、早く帰ろうよ』

「なっ、おセンチになんてなってません!」

 少しだけ図星なでにっしゅの発言に、舞奈は照れ隠しで怒ってみせた。

『そんなことより、雨に濡れておひげがたれちゃうのがイヤなんだよ』

「そんなって……はあ、まあいっか」

 いつもなら反論する舞奈であったが、今日はなんだかそんな気分になれなかった。

『早く早くっ!』

「はいはい。でも、めがねになってるんだから、おひげは関係ないでしょう?」

 せかすお供に呆れつつ、もっともなことを言ってみる。

『なに言ってんの! めがねから元に戻ればそのままお顔が、いや、全身が濡れちゃうの!』

 あーそうですか、と流し気味に答え、舞奈は教室後ろのドアへ向かった。


「……あ」


 その途中で不意に視界の端に映り込む桃に気づいた。


 足を止めて視界の真ん中に彼女をとらえる。桃はまだ自分の席でクラス日誌を書いていた。その周りにはだれもおらず、寂しそうな背中が舞奈の心を締めつけた。それと同時に、四月初めのクラス委員を決めるクラス会での出来事が、その脳裏をよぎる。



「クラス委員に立候補する人、誰かいませんか?」

 もちろん誰も手を上げない。担任の先生も、毎年の恒例行事なのでさして気にもとめていなかった。

「じゃあ、誰か推薦する人はいませんか?」

 その声に、待ってましたとばかりに挙手したのは、クラス内のヒエラルキーが高そうな女子だった。

「クラス委員は、山尻さんがいいと思いま~す」

 ニヤニヤとした表情でどこか小馬鹿にしたような物言い。その背後には、明らかに悪意がちらついていた。

「……」

 内心驚きながらも桃は何も言わなかった。言っても無駄なことを今までの経験で分かっていたのだ。


 取り巻きと思える他の女子たちも、それがいい、みたいなことを口々に言っている。その空気が、教室全体を侵食していき、桃がクラス委員になる雰囲気が醸成された。


「山尻さん、どうですか?」

 担任が、とどめを刺すように聞いた。

「……」

 無言のまま、諦観したように桃が立ち上がった。

「……は──」

 がたん、とイスを倒して立ち上がったのは三太だった。言いだしっぺの女子を殴りそうな勢いで睨みつけた。

「ひっ」

 その女子の顔が、恐怖に歪む。

「おい三太、トイレなら早く行ってこい」

 だが、孝明が首を横に振って睨んでいた。その瞳を見て何かを感じ取る三太。


「せ、先生ー、もも、漏れそうですよ? いいですかあ?」

 瞬時におどけて、股間を手で押さえた。


 一瞬の間を経て、笑いの渦が巻き起こる教室。


「は、はい、青山くん。いってらっしゃい」

 呆気にとられ、怒る事すら忘れた担任の許可が下りた。

「す、すいませ~ん!」

 だだだっ、と駆け出す三太。

「走ってはいけません!」

 今度はきちんと注意する担任であった。

「あ、無理です、もうでそう」

 しかし、そのまま教室を出ていった。


「はいはい、静かにして! 騒がないっ!」

 担任の叫びに、教室は静寂を取り戻した。

「では、山尻さん、いいですか?」

「……はい」

 消え入りそうな声で、ぽつりとつぶやいた。



 舞奈はその声を思い出し、自責の念にとらわれる。あの時の舞奈は、自分に火の粉が降りかからないようにと小さくなって、気配を消して、ただただ嵐が通り過ぎるのを待っていた。本人にそのつもりがなかったとしても、結果的には桃を生贄にすることに加担していたのだ。


 不意に、舞奈の足が桃に向かう。


「山尻さん、終わった?」

「え?」

 どきりとして桃は振り返る。

「あ……星川さん。どうしたの?」

「うん、せっかくお友達になったんだから、一緒に帰ろうかなと思って……だめ、かな?」

 もじもじとうつむき加減で聞いた。

「あ、う、うん。いいよ。もう少しで終わるから、ちょっと待っててね」

 慌てふためきつつも、どこかうれしそうに日誌に向き直る。

 舞奈もどこかぎこちなくだが微笑んだ。




 並んで校門を出るころには、雲行きはさらに怪しくなっていた。

「雨、降らないといいね……」

「そ、そうだね……」


 会話はなかなか続かなかったが、二人に気まずさは見受けられない。それどころかどこか楽しそうに並んでゆっくりと歩を進めていた。



 最寄りの駅が近づいてきた。もうすぐお別れだ。と、桃がごく自然に口を開いた。



「そういえば星川さんは、三ちゃんのお隣だったね?」

「三ちゃん……あ、青っちの事?」

「うん、そう」

「山尻さんは、青っちの幼なじみなんだよね?」

「そうだよ……ふふっ」

 桃は何かを思い出したように静かに笑った。

「あー、なになに?」

「えと、三ちゃんて、おもしろいでしょ?」

「う、うん」

 二人の足が、自然と止まった。


「小学校の入学式の時にね、みんなで記念写真を撮ったんだけど……ふふふ」

「あー、ずるいずるい! 早く教えてよ~」

 はたから見れば、どこからどう見ても仲のいい友達同士の会話になっていた。

「ふふっ……三ちゃんがすっごい変顔してね、それで三ちゃんのお母さんに怒られて、その間に孝ちゃんの顔が引きつっちゃって……あれ?」


 桃の瞳からとめどなく溢れ出す涙に、舞奈も言葉を失った。今まで友達がされてきた仕打ちが、脳裏をめぐる。


 無意識に、身体が動いていた。


 すっ、と包み込むように舞奈は桃を抱きしめた。


「ご、ごめんね、色々……助けてあげられなくて……」

 その頬にも、涙が伝う。


 ぽつぽつと降り出した雨の中、二人はしばらくの間、無言で抱き合っていた。


 すすり泣く声が、雨粒と一緒に地面に吸い込まれていった。

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