3 パンチラ盲信者と、忍の決意。

 三度目の全校集会を行った日の深夜、美麗は不意に目覚めていた。


「……あら、めずらしいですわね……あの時の夢なんて」


 身体を起して枕もとの時計を見る。午前二時。本来の起床予定時刻まで 、あと三時間。


 あふ、とあくびをし、ベッドから抜け出す。


 胸に『魔法の歌姫パスカルちゃん』のプリントがでかでかとあるピンクのパジャマが、似合いすぎていた。その上にさっとシルクの白いカーディガンを羽織ると、照明のリモコンを操作して部屋を間接照明のような柔らかい光で満たした。


「初心忘るべからず、ということなのでしょうか?」

 美麗の身体には不釣り合いな大きなソファーにちょこんと座る。

「ええ、ええ。忘れるものですか。あの衝撃! あの熱量!!」

 おーっほっほっほー! と高笑いが広大な部屋に響いた。その笑い声は防音ばっちりな部屋を突き抜け、そのドア前で待機していたメイドさんを驚かせたのだった。


「……忍は、どうしているのかしら?」

 美麗が物心ついた時には既に仕えていた操神忍は、スカートがめくられたあの日以降、その姿を消していた。

「お父様に、お伺いしてみようかしら……」


 美麗の脳裏にあの日の事が、鮮明によみがえった。




「はあ、はあ、忍! すごいのよっ! 大の大人が寄ってたかって小さな子供にお説教してたのよっ!」

 帰宅して自室に戻った途端、上気した顔で捲し立てる小二の美麗。

「これはね、わたくしのパンチラに、パンチラが持つ熱量に誰も彼もが浮かされた結果なのっ!」

 忍はただただ頭を下げていた。

「ああっ、パンチラってなんてすごいんでしょう!」

 どこかイってしまった瞳が、虚空の一点を取られえていた。


「お嬢様、お話が──」

「わたくしはこのパンチラの力で、いつかきっと何かすんごい事をやってみせますわっ!」

 忍の言葉は、その耳に届いていなかった。美麗は話しかけているようで、実際には独り言を言っているのと同じ状態だったのだ。


(お嬢様、お世話になりました……この忍、いずれまたお嬢様のもとに必ず戻って参ります)


 深々と一礼すると、影のように部屋から出ていった。


(里に帰る前にあの男、藤代と言ったか? 奴だけは、奴だけは成敗して見せる!)

 忍は花村邸を後にすると、夜の闇に紛れて消え去った。





 北関東の山深い場所に、操神の里はあった。

 そこでは花村家に仕えるべく、あらゆる人材が育成されているのだ。


 忍はあの日以来再修業を命ぜられ、すでに十年の月日が流れていた。十八になった忍は、すっかり大人びた美しい少女に成長していた。今はそのすらりとした長身を黒装束で包んでいたが、その上からでもわかる女性らしく美しいボディラインが目を引いた。切れ長の目は、鋭さを増し、薄い唇からも気の強さがうかがえた。長い黒髪を後ろでまとめ、いかにも大和撫子ないでたちであった。


 朝の修練を終えた忍は、朝焼けに美麗の姿を投影させていた。

「お嬢様……何か胸騒ぎが……」

 なかなかに大きく成長した胸を押さえ、忍もあの日の事を思い出していた。




「見つけたぞ、藤代っ!」

 校門前で制服のまま仁王立ちの忍が吠える。

「……見つけたも何も、ここにいれば会えるでしょ」

 朝からどんよりとしている孝明が、もっともなことを言った。

「ぐっ、そ、それより貴様……この前はよくもお嬢様のスカートをめくってくれたなあっ!」

 ごまかすように叫び、三日遅れのお礼参りの挨拶をした。

「す、好きでめくったんじゃない」

「関係ないっ! そこへなおれいっ!」

 はあ、とため息をつく孝明。


「あれ~、まだいたのお?」

「とっくに転校したかと思った」


 そこへ、あの二人が登校してきた。


「おまえさあ、今どんな気持ち?」

「周り全部敵って、最悪だよな?」

 そして、忍には気づいていない様子でげらげらと下品に笑い飛ばした。

「それにしても、俺たちがめくれって言ったおかげでいいもん見られただろう?」

「なあ! でも、あんなお嬢様が魔法少女のパンツって、超ウケるんだけど!」


 ぴくっ、と彼女の目元が動く。忍の全身が、小刻みに震えていた。


「……おい藤代。今の話は……本当か?」

「え? あ、ああ……ひっ!?」

 まさに阿修羅であった。

「そうか。貴様の前に成敗しなければならない輩がいたとは……」


 ひゅん、と残像を残して忍が消えた。


「「なな、なにを?」」


 振り返ると、忍が二人の首根っこを掴み宙を舞っていた。

 たーん、たーん、と民家の屋根を足場にして飛び、その姿はあっというまに見えなくなった。


「す、すげ……」

 何日かぶりに、孝明は生き生きとした表情をしていた。




「「すす、すいませんでしたあっ!」」

 小学校から少し離れた位置にある河川敷に、二人が転がされていた。

「お嬢様のパンツが、何だって?」

 ああん? と言葉と同時に凄みまくった視線を投げつける忍。

「かか、かわいらし──ぐふっ」

 模造刀の柄が、みぞおちにめり込む。

「ひひ、ひいいいっ!」

 二人とも、失禁していた。


「貴様らごときがお嬢様のパンツを語るな」

 柄を握る手に力がこめられる。瞳に宿る殺気は、殺人鬼のそれだった。

「ごご、ごめんなさ──あ、あひゃああ!?」

 そして続けざまに軽く蹴り飛ばした。

「あがっ」

 ずざざざーっ、と五メートルほど地面を削りながら吹っ飛んだ。

「ゆ、ゆるじでぐ──」

 そこで気絶したようだった。


「で、貴様……」

 くるりと振り返り、もう一人を睨めつける。

「あ、あああ……」

 情けなく腰を抜かしていた。

「私が言うのはおこがましい事なのだが……花村にたてついて、生きていけると思うなよ?」

「あ、あい──がはっ」

 鞘のまま手加減してみぞおちを打ちつけると、大の字になった。


 余談だが、この一件の後、美麗は転校していなくなった。そして、呼応するように二つの家族がこの地域からひっそりと引っ越していった。それにより、孝明への風当たりも徐々に弱くなっていき、やがてこの件は終息を迎えた。


 噂では、花村がその引っ越しを代償に許してやった、などと囁かれていたが、その真偽は誰にもわからないままだった。



「さあ、藤代。邪魔者はいなくなった。思う存分成敗してやるから、覚悟しろ!」

 その日の放課後、校門を出たところで孝明は忍につかまった。

「……はあ」

 あからさまにいやそうなため息を漏らす。

「き、貴様! 失敬なっ!!」

 詰め寄る忍。

「わかったよ。でも、ここじゃなんだから、場所を変えよう」

「う、うむ」

 なかなか自分のペースにできない忍は、顔をしかめながら同意するしかなかった。



 桃の家の近くの公園。そこで相対する。

「諸悪の根源は私が成敗してやった。だが、貴様の罪が消えたわけではない……私の罪も……消えてはいない……」

 自分を責めるかのように、声が小さくなっていく。

「よって、お嬢様の苦しみを理解するために……さあっ、めくれっ!」

 忍は若干頬を染めつつ両手を腰に当て、ふんぞり返ってみせた。恐らく、美麗は苦しんではいないのだが、忠臣にはそう思えたのだろう。

「え、ええっ!?」

 当然孝明はこの反応である。

「さあ早く! ズバッとめくるがよいっ!!」

 さあさあ! と詰め寄る忍。ええ? えええっ!? と後ずさる孝明。


「え~い、こうだろうっ!」

 孝明の手を取り自分のスカートを掴ませる、と、その顔が真っ青になっていく。口からはガタガタと音が漏れていた。

「すす、スカートめくり……怖い……」

「なっ!? なぜだ? お嬢様のはめくれて、私のは怖い……のか?」


 がーん、とその頭上に効果音が見えた、ような気がした。


「ちち、違います。俺がめくったせいで桃が……桃を悲しませたんです……だから……もう、俺にはできない……」

 後悔の涙が、孝明の頬を伝う。忍は、何も言えなかった。



「いいか、藤代。私はこれから里に戻る。だが、必ずお嬢様のもとに戻ってくる。何年かかろうと、だ」

 ベンチに座り、幾分落ち着いた孝明に忍は言った。

「そして、お前に勝負を挑む。私が認めた子供は、おまえが初めてだ」

 あの攻撃を避けた孝明の事が、自分を押し殺して友達を救おうとした孝明の事が、少しだが気に入っていたのだろう。

「だから、おまえも強くなれ。そして、私のスカートをめくって宣戦布告してみせろ」

 ぽん、と優しく肩をたたく。

 まだ涙に濡れる孝明の瞳と、決意に満ちた忍の瞳が交わった。

「じゃあな」


 ふっ、と忍が目の前から消えた。





「ふふっ……あいつは、強くなっているのか?」


 朝日に目を細めつつ、忍はそっとつぶやいた。

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