4 三太とみどりとラブマスターと‥‥‥
今日を逃したら、今週は終了であった。
三太の顔は、明らかに憔悴していた。
いつもなら、惰眠を貪ることにおいては右に出る者なし、と自負している三太であったが、あれ以来まったく熟睡できていなかった。目の下の盛大なクマも、痛々しさを倍増させていた。
そんな、朝にまったく似つかわしくない男が今、さわやかな朝日を浴びて駅前に立っていた。
自宅最寄りのそれほど大きくない私鉄の駅も、ラッシュアワーをむかえ徐々に人が増え始める。
(ぼくはこんな朝っぱらから何をしているんだ?)
普段ならまだ家でダラダラしている時間だった。
(みどりのヤツ、いつもこんなに早いのかよ。運動部って大変なんだなあ)
帰宅部の三太には、今まで想像すらできなかった。
(陸上部ってのはまあいいよ? でもなんで一番きつそうな長距離走なんてやってるんだよ、あいつは……)
みどりを待つ間、普段は特になんとも思っていないようなことが、頭の中を駆けめぐった。
(あれ? ぼくは今のみどりの事、あんまり知らないんじゃないのかな?)
「え? 三太!?」
そこで思考は分断された。
声がするほうに素早く視線を飛ばすと、みどりが驚いた面持ちで立っていた。
「みみ、みどり……お、おはよう」
「お、おは……ふん」
出かかったあいさつを飲み込むと、彼女はしかめっ面で三太の横をすり抜けた。
(もう、わたしのバカっ!)
そんなつぶやきは、もちろん三太には届かない。
一瞬呆然とした三太だったが、すぐに気を取り直しみどりの後を追う。
すでに人でごった返している改札をぬけ、彼女を見失わないよに早足でついていく。
ホームはもう戦場のような様相だ。
そこで二人は、無言で電車を待った。
永遠にも思える数分が過ぎ、列車がホームに滑り込んできた。
その車内を一目見て、三太はうんざりする。
ここは人がいるべき場所じゃない、そう思えるほどの混雑っぷりに、めまいを覚えた。
「はあ……」
ため息を漏らしながら、しかしみどりはその地獄に切り込んでいく。
三太も覚悟を決めその後に続いた。
(ぐ、ぐええ……し、死ぬよ?)
想像を絶する圧力に、三太はあえいだ。
(お、男のぼくがこのありさまなんだから……)
みどりを見ると、ドアに押しつけられながらも細い体で踏ん張り、健気にその圧力に耐えていた。
(ちぇっ、なんだよ。こんなところでも、がんばりやがってさ)
車両が揺れて偶然できたみどりと人ごみの隙間に、三太は体をねじ込んだ。
自分でも驚くくらい自然と体が動いた。
「さ、三太……」
そして、その隙間をキープすべく、全身全霊を持って踏ん張る。
「こんな早い時間から、大人って大変なんだね……あと、みどりも……ぐぬうっ!?」
「だ、大丈夫?」
絶え間なく襲いくる圧力で、ちょっぴり歪んだらしくない笑顔を、その答えとして提示した。
「三太……近いよ」
そして二人は、お互いの近さに改めて気づき顔を逸らした。
長かった戦闘を終え、二人は学校最寄りの駅に降り立っていた。
なんだか妙に赤らむみどりの隣には、燃え尽きて灰になった三太だったものが立ち尽くしていた。
「あ、あの三太……」
改札を出たところでみどりが口を開くが、その言葉を三太は一方的にさえぎった。
「みどり、話があるんだ。今日の放課後、中庭にきてよ」
有無を言わせないような真剣な瞳が、彼女に注がれていた。
見たことのない幼なじみのその瞳から、みどりは視線を逸らすことができなかった。
「あ、三太……」
そしてみどりを残し、三太は走り去った。
「な、なによ、三太のくせに……」
自分のものとは思えないほど速くなる鼓動。すでに夏日を迎えたように熱くなる頬。
みどりは三太が消えた方向を見つめて、しばらく立ち尽くしていた。
「で、今日が今週の最後のチャンスなわけだが、首尾はどうなってる? 中谷をここへ呼び出せているのか?」
放課後。
中庭のベンチに座る三太の後ろから、孝明は詰問していた。
「……今朝、ちゃんと伝えたよ。すんごく恥ずかしかったんだからね」
「本当か?」
孝明の声に訝しさが滲む。
「ほんとだよ。それでめちゃくちゃ疲れて動けなくなって……おかげで遅刻ギリギリになっちゃったんだからね」
「だから疑ってんだ。あの時間に登校したんじゃ、どう考えたって中谷に接触できないだろうが」
孝明の隣で、康司も控えめにうなずく。
「だから~、朝練前に捕まえて伝えたんだよ。ぼくにしてはすごく早起きしてさ、慣れないラッシュの電車なんかに乗っちゃってさ、がが、柄にもなくみどりを助けて体はったり……はっ!?」
「へ~。体張ったんだとよ、山瀬」
「やりますね~、青山さん」
ニヤニヤとする二人に気づき、三太は頭を抱えた。
「あ~もうやめやめっ! とにかくみどりには伝えたよ。あとはみどり次第なんだから、来なくてもぼくにあたらないでよね」
「あ~、大丈夫だ。中谷、きたから」
孝明の声に、三太は前を向く。
「ホントにきた……」
みどりがゆっくりとした歩調で、こちらへ近づいてきていた。
「だからそう言っただろうが。じゃあ、あとは任せたからな」
孝明は康司を連れ、ベンチから離れていった。
戸惑いの表情を浮かべたみどりが、一歩、また一歩と近づいてくる。
三太の全身をなんとも言えない緊張が支配していった。
「さ、三太、あの……」
ベンチの前で立ち止まったみどりは目を伏せ、振り絞るように声を出す。
「う、うん……」
すでに喉がカラカラだった三太も、かすれた声を絞りだした。
気まずい空気が、中庭に流れだしていた。
いつもなら心地よくさえずっている小鳥たちも気を利かせたのだろうか。
今日に限っては、その声も聞こえてこない。
「「あ、あの……」」
不意に声が重なり、驚いた二人は見つめ合う。高鳴る鼓動にお互いの頬が赤く染まっていった。
その時。
「危ないっ! そいつから離れてっ!」
重くのしかかる雨雲を払うようなかわいらしい声が、中庭に響いた。
鳩が豆鉄砲状態の二人は、わたわたとその声の主へ視線を飛ばした。
「ラ、ラブマスター!?」
そこには、およそ学校には似つかわしくない漆黒のマントを羽織り、そのフードで顔を完全に隠したまさに黒い物体が仁王立ちしていた。
「そ、その名前で呼ばないでっ!」
黒い塊はぶるぶると震えだす。
その声には、明らかに怒気が含まれていた。
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