3 三太は佳奈と遭遇しました。

 難題を突きつけられた三太の足どりは、今日も重かった。


「ったく、孝明のヤツめ。今、ぼくとみどりがどうなってるのか、わかってるくせに」

 無意識に、愚痴がこぼれる。

「だいたい佐野さんの前だからってカッコつけすぎなんだよ。な~にが『おまえが直接中谷の目を見て誘え。そうすれば必ずうまくいく』キリッ! だよ」

 八つ当たり気味に吐き捨てた。

「あ~、なんかまた腹立ってきた」


 イライラと、しかし、ゆっくりと歩を進める。


「……そういえば、お腹減ってきた気がする」


 そして唐突に、自分が空腹であることに気がついた。


 思えば呪いをかけられたあの日から、きちんと食事をした記憶がない。


「家まで我慢できるかな……」


 そう思っても、足どりは重く牛歩は続く。だが、いったん気になりだした空腹は、その音で主張を強めてくる。


「はあ……なんか食べようか……」


 前方には学校近くのあのコンビニがあった。少しだけ歩く速度を上げると、三太はその光に吸い込まれていった。


(夕飯のことを考えて軽めにするか……それとも欲望にまかせてドカ食いするか……)

 パン類、おにぎり、弁当などを見つつ、高まった食欲に伺いを立てる。

(それとも、レジ横のホットスナックで……)

 思いながらレジ前に視線を飛ばし固まった。

 今は会いたくない人物がそこにいたのだ。

 素早くパン類の棚に身を隠し、息を潜めて彼女を観察する。


(なにを見てるのかな?)


 三太が息を潜めてから、軽く五分は経過していたが、彼女はその場で微動だにしない。そして、レジ前の何かを凝視しているようだった。


(なんだ?)

 気になりすぎた三太は迂闊にもパン棚から離れ、身をさらしてしまった。


 と。


『『ぐうぅ~っ!』』


 お腹からの盛大なエマージェンシーが二つ、店内に響きわたった。


「あ……」

「…………」


 そして、ばっちりと絡み合う視線。


「え、え~と……」

「……」


 パンチラ統制委員会副会長、相馬佳奈は、ゆっくりと何事もなかったかのように視線を外し、出口へ向かった。


 だが、無表情なその頬の端に、うっすらと恥じらいがはりついていたことに、なぜだか三太は気づいてしまった。


 そして、レジの前の彼女が見ていたものを見た。


「……ま、まんじゅう?」


(なんでまんじゅうなんかを長時間みつめていたのかな?)

 思いながら、さっきの佳奈の表情が脳裏をかすめる。


「……うん。まんじゅうで、いっか」

 三太はまんじゅうを二つ手に取り、会計を済ませ急いで店を出た。

 そして、街灯がともりだした通学路をきょろきょろと窺う。


「あ、いた」

 最寄りの駅方向に歩を進める佳奈を、すぐに見つけられた。しかし、ゆっくりとした動きからは想像できないくらいコンビニから離れている。

「って、は、早っ」

 慌ててその後を追い、声をかける。

「せ、先輩! 待って下さい!」

 だが佳奈は、その歩を止めない。

「待って下さいよ~」

 まったく振り返るそぶりもなかったので、三太は埒が明かないと思ったのか、走って一気に佳奈の前に出た。


「先輩、聞こえてますか?」

 通せんぼするような形で、三太は彼女を見る。

「……」

 無表情が不躾な後輩を見据える。


 めがねの奥の瞳が、鋭くなっているようだった。


「あの先輩?」

「キミは私のこと、知ってる?」

「はい、一応は」

「そう」


 感情の読めない口調だったが、三太には彼女が見えない壁をつくり、警戒しているような感じがした。


「副会長さん、ですよね?」

 それでも、なぜだか声をかけずにはいられなかった。


 無機質な彼女が見せたささやかな人間味。たったそれだけのことが、三太を動かしていたのだ。


「……」

 無言で首肯した佳奈が、探るように口を開いた。

「今、統制委員会では、佐野ましろの件で容疑者を捜索している。あの場所にいたキミにも、もちろん嫌疑がかかっている。それなのにキミは──」

「副会長さんて、そんなに長く話せたんですね」

「な……キミは私のことを馬鹿に……」

 話の腰をくだらない話題で折られ、若干苛ついたように彼女は後輩を見た。


 そして、言葉を失う。


「バカになんかしてませんよ」


 そこには、屈託なく微笑むお人好しがいた。

 不意に自分に向けられたやさしい笑顔に、佳奈は言いようのない胸の苦しみを感じていた。


(……これは……何?)


 戸惑うそぶりを見せる先輩に、後輩は続ける。

「あ、そういう表情もできるんですね」

「キ、キミは失礼すぎ」

 熱くなる頬をごまかすように、佳奈は無邪気な笑顔をたしなめた。

「す、すいません。先輩を見てたらつい」

「……それで、私に何か、用?」

 しおらしく頭を下げる後輩のペースから逃れるように、無機質を装う。

「あ、そうでした。これ、よかったら一緒に食べませんか?」

 三太はレジ袋から、まんじゅうを取りだす。

「あ……」

 佳奈は隠せそうにないくらい、赤面しているのが自分でもわかった。

 そんな様子を気にもとめずに三太は続ける。

「なんだか急にお腹すいてきちゃいまして」


(この後輩は、何を考えているんだろう? 何が目的で私に接触してきたんだろう? もしかして、先手を打ってきた……と言うことはなさそう……)


 浮き足立つ感情を抑えようと、冷静に状況把握に努める佳奈だったが、三太ののんきな笑顔に自然と笑いが込み上げてきた。


「…………ふふっ」

「な、どうしてぼくの顔を見て笑うんですか? 先輩こそ失礼ですよ」

「ごめんなさい。キミのまぬけ面を見ていたら、つい……ふふふっ」


 どこかぎこちない、でも本当に楽しそうな笑顔だった。

 いや、ほかの人間が見たら、それは笑顔に見えなかったかもしれない。

 それでも三太には、そう見えた。

 そして、まんまと不意打ちを食らってしまっていた。


「そ、そうですか。なら、仕方ないですね……って言うわけないでしょう! もう、どうしてぼくの顔を見て、みんな笑うのかな?」

 照れ隠しのように、怒ってみせる。

「ふふっ、ごめんなさい。でも、それはたぶん違う。キミが……」


 言いかけて、佳奈は、はっとした。


(今日の私は変だ。ほとんど初対面の、それも敵の男子なんかに心を許しかけているなんて)


「そこで言葉に詰まると、よけい傷ついちゃいますよ?」

「本当にごめんなさい」


 すべてを断ち切るような、無機質な謝罪だった。

 再び現れた見えない障壁に、一瞬戸惑いをおぼえたが、それでも三太は構わずに続ける。


「……だめです。罰として先輩には、このまんじゅうが贈呈されます」

 言いながら、佳奈の華奢な手にまんじゅうを押しつける。

「……ぼくも人間だからいろいろあって、イヤな感情があふれちゃう事もあります。それで、他の人なんてどうだっていいや、なんて思うことだってあります。現に今も……」

 うつむいて、三太は言った。

「でも、どうしてなのかなあ。困っている人がいたら、その人に手を差しのばしたくなっちゃうんだよなあ」

「え?」


 三太の瞳が、佳奈の瞳を捉える。


「今日はありがとうございました。先輩のおかげで、気分が少し晴れました」

 警戒すべき先輩なのに、三太は不思議と心が和んでいた。

「じゃあ、ぼくはいきますね」

 軽く会釈をし、駅に向かう。


「……あ」


 その背中に声をかけられず、佳奈は立ち尽くす。

 そして、見えなくなるまでその姿を見つめていた。


「……なんだろう?」


 自分の胸のざわめきが何なのか、わからなかった。

 不安のような、うれしいような、今までに味わったことのないような、そんな感情だった。


「……」


 ふと、手の中のまんじゅうを見る。


「ふふっ」


 三太のまぬけ面と重なったのか、なんだかおかしさが込み上げてきた。


 丁寧に包装をはがし、一口食べてみる。

 甘すぎない、やさしい小豆の味が口に広がった。


「……それはたぶん違う。キミが、みんなを笑顔にしているんだと思う」


 ぎこちなくもやわらかい、そんな微笑みが、そこにあった。

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