3 そして、三太と舞奈はため息を漏らす‥‥‥
放課後に突入したばかりの教室は、喧噪であふれかえっていた。
部活に急ぐもの。
他愛のない話題で盛り上がっているグループ。
そこここに、笑顔があった。
そんな中、どんよりとした空間が、教室後方の一角に佇んでいる。
その中心には、浮かない表情の三太がいた。
幼なじみのことが、頭から離れなかった。
ぐるぐるのわやくちゃだった。
「「はあ~っ」」
三太は近年まれに見るような大きなため息をついた。
はからずも、そんなため息が隣からもう一つ。
それは、三太のそれと見事にユニゾンしたのだった。
「「ん?」」
三太ともう一つのため息の主は、同時にお互いを見た。
「ど、どうしたの、星川さん?」
パンチラ統制委員会の協力者、
「青っちこそ」
二人はお互いのしょぼい顔を、しばらく見つめ合っていた。
「あれ? 星川さんて、めがねなんかしてたっけ?」」
小さな顔に、大きめのくろぶち丸めがねが鎮座していた。普通の人だったらギャグにしか見えないそれが、舞奈のかわいらしさをさらに引き立てていた。
「う、うん。二年生になってからだけど……おかしい?」
「い、いや、とっても似合ってて、その……かわいい、かな」
ぼん、と一瞬で舞奈の顔が赤らんだ。そして、三太から自分の机に視線を落とした。
「なな、何言ってるのかな? あああ、あたしが、かか、かわいいなんて……」
「ぼくは一年の時からそう思ってたけど……あれ? よく見ると、かなりイメージチェンジしてない?」
二人は、一年の時も同じクラスだったのだ。以前の舞奈はツインテールにもしていなかったし、制服も着崩していなかった。なんというか、もっとおとなしい感じだった。
「ちょ、ちょっと色々あってね……」
「そうなんだ」
「ま、前のほうが、よかった……かな?」
チラチラと不安そうな視線が、三太周辺を漂う。
「う~ん、前の感じもよかったけど、今の感じもいいかな。ほら、星川さん、もとがいいからね。どんな格好しても似合うんだよ」
「っっっ!?」
陽炎が立ち上りそうなほど紅潮する舞奈。
『イメチェンしてから一週間以上たってるのに今頃気づくなんて、どんだけニブチンなのかな? しかもその顔で、よくそんなセリフ吐けるよね!』
「え? ほ、星川さん?」
不意に響いた声に、ニブチンは戸惑った。
「え、や、ちょちょちょ、ちょっと、ご、ごめんね?」
焦った様子の舞奈は、あたふたと三太に背を向け、何やらごにょごにょ言っている。
(こ、こら~っ! なんてこと言うの、あんたはっ!?)
(だって、ほんとのことじゃん)
(そ、そうだけど、言っちゃだめ)
(なんで?)
(なんででも! とにかく今は黙っててよ、でにっしゅ)
(へ~い。しかし、あんなののどこがいいわけ?)
(わわわ、そういうことも言っちゃだめっ!)
「ほ、星川さん? どうしたの?」
心配と不信感が絡まった声で、三太は尋ねた。
「なな、なんでもないよ、なんでも。あは、あはははは……」
不自然極まりない笑顔をはりつけて舞奈が振り返る。
「そう? でもなんだったんだろう、今の声。星川さんの声とも違ってたようだけど……」
たとえるならば、デフォルメしまくった中の人の声。
「ね、ね~。空耳かな~?」
『すんげー空耳』
「っ!」
こめかみをひくつかせながら、舞奈は再び背を向けた。
(おい! でに公)
(今のは舞奈ちゃんが悪いよ。空耳って無理ありすぎ。げらげら)
(だ、誰のせいだと思ってんのよっ! と、とにかく、今度やったら承知しないんだからねっ!)
(努力はしてみるね。げらげら)
(もう! 笑いすぎ!)
「え、え~と、星川さん?」
「ごご、ごめん。なんでもないよ?」
再び振り返ったその顔には、うっすらと疲労の色が見えた。
「ならいいけど……」
「そ、それより青っち、なんかあったの? 今日はず~っとむずかしい顔してるけど」
いぶかしむ三太の気を逸らそうとしたのか、舞奈は話題を変えた。
「ぐっ……じ、じつは……」
普段の三太なら、みどり以外の女子に愚痴めいたことは言わない。たとえそれが、親しい間柄の舞奈であっても。しかし、今日は違った。
「みど……じゃなくて、中谷とちょっとやりあっちゃってね」
むっつりとした口調で話し始める。
「幼なじみの中谷さん?」
「そう。あいつ、ぼくが佐野さんに告白したと勘違いしてさ、なんか急に噛みついてきたんだ」
「ええっ!? 佐野さんに、ここ告白したの!?」
舞奈の顔が、若干青くなっていた。
「星川さんまでやめてよ。ぼくだってそんな無謀なことしないよ」
「ほ、ほんとに?」
「ブサイクでモテないって、みどりに言われたときはムッとしたけど、そんなの自分が一番わかってるからね」
あはは、と三太はどこか自虐的に笑った。
「そ、そんなことないよっ!」
不意に舞奈が立ち上がった。
「ほ、星川さん?」
「青っちは、青っちは、その、やさしくて、かか、かっ……」
ぎゅっとつむっていた瞳が開く。と、三太の困惑した顔が視界に入った。
「かかか、か、そのあの……ごにょごにょ」
尻切れトンボは、赤とんぼなみにまっかっかだった。
「ありがとう。気をつかってくれたんだね」
「え、や、ほほ、ほんとのこと……」
ぶんぶんと首を振る彼女に、三太はやわらかい微笑みを投げかけた。
と、舞奈の顔がさらに赤らみ、きゅ~、とイスに不時着した。
「あ~あ、みどりに星川さんの十分の一でいいから、そういう優しいところがあったらなあ。そうすれば、ぼくだってあんなこと言わずにすんだのに」
ぼんやりとつぶやく。
その愁いを帯びた瞳に、舞奈の表情も沈んでいくようだった。
「やっぱり、青っちは中谷さんのこと、大事に思ってるんだね」
「そ、そんなこと言わないで……」
三太は焦りながら舞奈に視線を飛ばした。
そして、彼女のさびしげな佇まいに言葉を失う。
思いがけない表情に、彼は戸惑いを隠せない。
どう接したらいいのかわからずに、重たい時間が流れていった。
「え、え~と、そう言えば星川さんは、どうしてあんなため息をついてたの?」
やっとのことで三太は口を開いた。
話題を変えることくらいしか、できなかった。
「うん?」
舞奈は一瞬、なんのこと? といった顔をした。
「あ、ああ! 最初のあれ」
そして数瞬後、得心の声を上げた。
しかし、彼女は何か思うところがあるのか、その先を言い淀む。
「星川さん?」
舞奈の瞳が、三太を捉える。
(青っちだって話してくれたんだもんね。うん、よし)
「何?」
「えとね、じつは今、お手伝いをしてる委員会があるんだけど、ちょっと方針に疑問があってね。どうしたらいいのかな、なんて考えちゃってて……」
「そうだったんだ。う~ん、ぼくだったら単純にやめちゃえとか思っちゃうけど」
「あはは、青っちらしいね。でも、いったん引き受けたんだし、そうもいかないよ。それに、まだお手伝いはじめたばっかりだし」
「そっか。なんか星川さん、大人だね」
「そそ、そんなことないよっ!」
少し、ほんの少しだけだが、舞奈の雰囲気が明るくなったように感じられた。
「謙遜謙遜。ところで、星川さんは何委員会を手伝ってるの? よかったら教えてよ」
「え? ええと……」
無邪気な瞳を向けられ、彼女は答えに窮しているようだった。
と、三度あの声がした。
『じつはね、パンチ……」
「き、きゃ~っ!」
いつの間にか二人だけになっていた教室に、かわいらしい悲鳴が響いた。びくんと肩を震わせた三太の目の前で、小さな背中がわなわなと震えている。
(こらあっ! あんた、言うに事欠いて、なに言ってくれてるのっ!)
(何って、困ってたみたいだから。それに、ちゃんと舞奈ちゃんの声色まねたよ?)
(そういう問題じゃないでしょう? あと、あたしはそんな変な声じゃありませんっ!)
(むかっ。後悔させてやる)
(な、何を……)
『パンチ……』
「きゃ~っ、やめやめっ!」
「星川さん?」
がたたん、とイスを倒して立ち上がった舞奈を、三太は戸惑いがちに見つめた。
「あ? ああの、そのお……ぱぱぱ、ぱんち」
せわしなく目を泳がせるその顔が、一瞬ひらめいた、という表情を見せた。
「パンチドランカーっぽくない、あたし?」
「へ?」
抱きしめたくなるようなファイティングポーズをとった舞奈から、返答に窮する問いが飛び出した。
もちろん三太、大困惑である。
(え、え~と、たしかに今の星川さんは……言えない、絶対言えないよお)
三太は仕方なく、半笑いを提示した。
「はうっ!?」
その顔で、舞奈は自分の選択ミスを悟ったようだった。
やわらかそうな頬が、ぴくぴくとひきつる。
『げらげら! 舞奈ちゃん最高っ! よ、このパンチドランカー娘!』
追い打ちである。容赦なくあの声が、こっぴどく笑い飛ばした。
「くうぅ……」
吹っ切れた、というよりはやけ気味の赤面が、よたよた、しゅっ、しゅっ! とシャドーボクシングを披露した。
「ど、どう?」
そして、三太を上目遣いで見つめる。
「……な、ナイスドランカー」
あまりのかわいらしさと、ほかのことを言わせないような視線に、三太はそう答えるしかなかった。
うむ、と少しだけ満足した様子で頷いたドランカーは、不自然さがほのかに漂うそぶりで腕時計を見つめる。
「あ、もうこんな時間だ。あたし、委員会に行かなきゃ。じゃね、青っち。また明日」
称賛に値するような逃げ足で、彼女は教室から消えた。
三太は、舞奈の消えた出入口をぽかんと見つめていたが、ふと我に返り、隣の彼女の机に視線を動かした。
「星川さん、気をつかってくれたんだな」
少しだけ、その口もとが緩む。
「ありがとう」
立ち上り、倒れっぱなしになっていた舞奈のイスを机に戻す。
「でもなあ……」
再び顔をしかめ、振り絞るようなため息を一つ。
「ぼくも帰ろう……」
のそのそと、三太も帰路についた。
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