A

 どうせこのまま帰るのならば一緒に帰った方がいい。そう思った俺は声をかけることにした。

「花音。おかえり」

「あ、お兄ちゃん」

「「え!? 花音ちゃんのお兄ちゃん!? かっこいい!!」」

 花音の友達二人が声を揃えてそういった。できるだけ貧乏人に見られないよう身なりには気を使っていたがかっこいいと言われるのは初めてだった。

「あ、暁音お姉ちゃんも一緒だったんだ」

「「え!? 花音ちゃんのお姉ちゃん!? かわいい!!」」

「えへへー照れちゃうなぁ」

 隣で暁音が照れている。彼女も可愛いと言われるのはほとんどないのかもしれない。

「でも、私のお兄ちゃんが見てる配信者さんに声が似てる気がする」

「へえっ!?」

 花音の友達がぼそっと一言。……外見が違うだけで声が一緒だからな。そりゃそうだ。暁音はどう返事をすればいいか迷っているようで、焦っていたので俺が助け舟を出してやる。

「また言われてるんだな。俺は見たことないから詳しくないんだが、そんなに似てるのか?」

「うん。喜び方とか、なんか似てるの」

「この世には似ている人が三人いるっていうから、そのせいかもな」

「……そっかぁ」

 この説明ではぐらかせたかどうかわからないが、まぁ流すことができたからよしとしよう。

「じゃあ、私、お兄ちゃんたちと帰るから。また明日ね!」

「うん! じゃあねー」

 花音の友達二人と別れて、三人で帰り始める。

「はぁー、焦ったぁー」

「お姉ちゃん、やっぱり有名人なんだね」

「そうだぞー。お姉ちゃんは有名人なんだぞー」

 胸を張っている暁音。花音は目をキラキラさせている。

「こんな有名人と知り合いなお兄ちゃんはすごい」

「……俺は何もすごくないよ」

 たまたま残った知り合いが暁音だっただけ。正直、ありがたかった。これが違う人だったらこうはならなかっただろう。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 夜、花音はまた何かを言おうとしてはぐらかしていた。きっと時期になったら言ってくれる。そう思って、俺からは何も聞かなかった。

「花音? 学校はどう? そろそろ卒業だけど」

「楽しいよ。みんな仲良いし」

 スマホをいじりながら返事をする花音。妹には貧しいって感じてほしくないから、頑張って契約した。設定は暁音がやってくれたから変なことにはならないだろう。花音がしっかりしているからか社会問題になっているスマホ依存症のような症状も現れていない。仲がいいのはさっき帰り道を見ていたからわかる。

「花音のクラスはいじめとかもないんだな」

「うん。みんな優しいから」

 気がつけばスマホを置いて、皿洗いをしている俺の方を向いて話をしていた。

「お兄ちゃん、いつもありがとう」

「いきなりどうしたんだ」

「今日ね、先生が『卒業するからここまで育ててくれた家の人に感謝した方がいい』って話してて。私にはお兄ちゃんしかいないから」

「感謝されるようなことじゃない。お前はこういう風に過ごす権利があるんだ」

 屑親が放棄した子供を育てる義務。俺は長男だからまともに過ごすことはできなかった。でも、花音は違う。俺がいた。俺の願いの押し付けにもなってしまうけど、俺ができなかった分も普通に過ごして欲しかったんだ。それを感謝されるのは、少し違う気がする。

「それで感謝されるなら俺も元気に過ごしてくれている花音に感謝しなきゃな」

「え?」

 花音はよくわかっていないようだった。

「元気に過ごしてくれるのが俺にとっての一番だからさ。ここまで元気に過ごしてくれたことの感謝」

「なにそれ」

 小学六年生にそれを理解してもらうのは難しい。だから説明はしなかった。

「ほら、もう寝る時間だぞ。お兄ちゃんも明日早いからもう寝る」

「……お兄ちゃんが自分のことお兄ちゃんって言ってるの久しぶりに聞いた」

 笑いながら俺のいる布団に潜り込んでくる。湯たんぽの暖かさと久しぶりに感じた人のぬくもりに眠気はすぐに訪れた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 次の日の夕方ごろだったか。暁音がバイト中にやってきて俺のことを引き留めた。なんら不思議なことではない。ただ引っかかったのは、暁音の出勤日ではないこと。出勤日以外でも俺をからかいに店に来た事はあった。が、それも昔の話。有名になって声バレの危険が出てきてからは全く来なくなっていた。その暁音が俺に用事があってきたということは、何かあったということ。

「ねぇ、この前さ、インターネットで買い物した?」

「俺ができると思うか?」

「だよね」

 バカにしにきただけかこいつは。始めはそう思った。しかし、暁音の顔でやばいことが起こっているのは察しがついた。

「じゃあ、この買い物は花音ちゃん?」

「花音が? なにを買ったんだ?」

「……いやまって」

 いつもおちゃらけている暁音が真剣な表情で何かを考えている。一体、花音がなにを買ったんだろう。いや、買うなら俺に一声かけてからにして欲しいが、まぁ、花音もそういう年頃だし、兄に言いにくい買い物もあるだろう。

「お父さん! ちょっとワンオペで頑張って!! 急用出来たから!!」

「え!?」

 突然、俺の腕を掴んでスタッフルームまで走り出す。

「君、クレジットカード、持ってたよね!」

「あぁ、一応」

「不正利用されてるかもしれない」

「はぁ!? なんで!!」

「多分、花音ちゃんが変なサイトに登録しちゃったのかも……」

 暁音が画面を見せてくる。そこに映っていたのは二十数万のパソコンの請求書。

「二十万って」

「落ち込んでる場合じゃないよ! 早く連絡してカード止めないと」

 俺はすぐにカード会社に連絡してカードを止めてもらった。不正利用かどうか調査もしてくれるそうだ。

「とりあえずこれで大丈夫か……はぁ」

 なんかどっと疲れがきた。いやでも疲れている場合じゃない。早くバイトに戻らないと。店長ワンオペはいくらなんでもキツすぎる。

「いいよ。代わりに私がやっておくから。花音ちゃんに話を聞いてきてあげて」

 ここは暁音の言葉に甘えることにしよう。俺は家に帰ることにした。もちろん店長にも断りをいれた。早帰りに快諾してくれるのは店長のいいところ。

「ただいま」

「あ、お兄ちゃん。おかえり」

 今日は早帰りだったのか、家に帰ると花音はすでに帰っていた。まだ午後の二時だ。

「今日は早帰りなのか?」

「うん。もう学期末だから。今日から早帰りなの」

 コップの中に麦茶を注ぐ。本題に入る前の、緊張して乾いた喉に沁みる。

「なぁ、花音」

「ん?」

「お前、パソコンを買ったりしてないか?」

「……」

 花音は答えない。が、はぐらかしている。つまり、あの二十数万のパソコンは不正利用ではなく俺の妹が買ったのだ。

「買ったんだな」

「……ごめんなさい」

 それはそれで安心したというかなんというか。

「値段は見たのか?」

「……ううん」

「そうか」

 値段のことは言わないでおこう。もし、言って花音が悲しんだら俺も辛くなる。お金は仕方がない。なんとかするしかない。あてがない訳じゃないから。

「でも、どうしてパソコンを?」

「……お姉ちゃんみたく有名になれればお金を稼げて、お兄ちゃんのこと少しでも楽できるかなって」

 その気持ちはとても嬉しかった。だが、暁音ほどの有名になるには桁違いの努力が必要なことを花音は知らない。一時期、小学生の将来の夢がユーチューバーであったように、そこに辿り着くまでの努力というのを小学生は知らないのだ。

「今度から暁音に聞いてからネットでは買い物してくれ」

「本当にごめんなさい」

「やっちゃったことはもうしょうがない。頑張って暁音みたく有名になってくれよ」

「うん! 頑張るね!!」

「俺は店に戻るから。夜ご飯は頼んでいいか?」

「わかった。いってらっしゃい」

 俺は家を出て少し離れたところで暁音に電話をかけた。かけてから、店を手伝っているから出られないことに気がついたが、それは杞憂に終わった。

『もしもーし、話できたの?』

「あぁ、花音が買ったらしい。値段はあまり見てないってさ」

『あのパソコンさ、よく見たら私のコラボ商品だったんだよね。それでよく見ずに買っちゃったのかもしれない』

 知り合いが写った商品なら買っても大丈夫というなんとも小学生らしい理由に少し笑ってしまった。

「なぁ、本題はここからなんだが」

『ん?』

「電話口で言うのもあれだが、お金を貸して欲しい」

 毎月ギリギリの生活を送っている俺たちにとって二十数万の出費は死に直結する。花音の進学のお金を削ればなんとか支払えない額ではないが、これを支払ってしまうと制服とかを買うのに間に合わない。

『……詳しい話は私の家でしよっか』

「すまない」

 正直を言えば暁音に借りるのは避けたかった。いや、人からお金を借りること自体やりたくなかった。お金がらみの付き合いというのは面倒なことになると親を見て学んでいる。いくら幼馴染で親しい暁音とはいえ、お金がらみの関係でどうなるか。怖い。ただただ怖い。

 自販機でコーヒーを買う。いつも甘いカフェラテしか飲まないが、今日はブラックの気分だった。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「いらっしゃい」

 暁音の家。彼女の事務所近くにあるマンションの一室。配信者の家らしく防音設備はしっかりとされており、インターネットもしっかり引いてあるらしい。初めて入るその部屋。

「お邪魔します」

 家具は統一されておりゴミが散らかっている様子もない。普通の部屋。目立つのは大きな画面とマイク、そしてパソコンくらいだろうか。

「やだなぁ、先輩緊張してるんですかぁ?」

 俺が緊張していることに気がついたのか、暁音がおちゃらけ始める。彼女なりの緊張の和らげ方。それで緊張が和らいだら困っていない。

「……」

 部屋の真ん中にある小さなこたつ。明らか一人用のこたつに二人で入る。底冷えした体がだんだんと温まっていく。

 俺の体が完全に温まった時、暁音が口を開いた。

「本当にごめんね。私がしっかり確認していなかったせいで」

「なんでお前が謝るんだよ。悪いのは俺だ。何か隠していたのは前々からわかってたんだ。ちゃんと話を聞いてやれば、こんなことにならなかった」

 後悔先に立たず。そして後悔しても何にもならない。だから現状できることをやるしかない。それが【暁音にお金を借りること】だった。

「現状、俺に二十万を払える力はない。だから、お金を貸して欲しい。必ず返すし利子をつけてもらっても構わない」

「そこまでしなくてもいいよ。君なら必ず返してくれるってわかってるし。でも、パソコンってあれだけじゃ動かないんだ」

 聞けばモニターやらキーボードやら、その他に色々買わないとダメらしい。となると、出費はさらにかさむ。

「机とかインターネットとか諸々整備して三十万ちょっとで済めばいいほうかな」

「……」

「そんな顔しないで」

 暁音に言われて深呼吸をした。自分がどんな顔をしていたのか想像するのは簡単だった。

「迷惑かけて申し訳ない」

「いいよいいよ」

 とりあえず、金銭面で人生が終わることはなさそうだ。失った金は大きいが命あるだけで十分。

「その代わり、なんだけど」

 暁音の言葉で背筋が凍る。その代わり。お金関係で一番聞いてはいけない言葉。なにを要求される? 俺の頭はフル回転していた。お金を借りている以上、こちらに断る権利はない。向こうからすればなんだって命令できるわけだ。こういう状況で事がいい方向に進むなんてことはない。

 口が渇く。鼓動が早くなる。頭も痛くなってくる。予想に予想が重なる。考えすぎて思考が完全に止まった時、暁音は続きを話し始めた。

「私と、付き合って」

「え?」

 予想外の提案に困惑する。付き合ってほしい? まさか暁音からそんな言葉が出てくると思っていなかった。幼馴染だからそんな感情なんて持っていないと思っていた。俺なんか恋愛をしている余裕なんて全くなかったし、一生無縁だと思っていた。

「当然、君に拒否権がないのはわかってるよね?」

「そりゃ、もちろん」

「じゃあ、決まり。これからよろしくお願いしますね! 先輩!!」


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「お金の繋がりで得たせいか、私と彼の関係はすぐに終わっちゃった。全部私が悪いんだ。バチが当たったんだ」

 女性は泣きながら小さな声で少女に話した。

「本当、本当にごめんね」


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 クリスマスはいい思い出がない。家が貧乏だったから。親がクズなせいでクリスマスイヴに親を失った。そんな俺が今日だけはいい日だと思える。隣に好きな人がいるから。

 暁音と付き合い始めたあの日、俺たちは体を重ねた。暁音が思いを吐露して、俺がそれに感化されて。思いと想いをぶつけ合って、壊していって、二人で組み直す。結局収まりきらなくて、互いに刻み込んだ。

『俺もお前のことが好きだ』

『知ってるよ。そんなこと』

 偶然にも空いていたクリスマスイヴに俺たちは出かけることにした。

「すごいですね! 先輩!!」

「……それやめろって」

 関係が変わって、からかわれる回数が増えた気がする。こう先輩と呼ばれると恥ずかしいと思うようになったとは。前までどうやって返していたか忘れてしまった。

田舎者は――お金が無かったから出かける機会が少なかっただけなのだが――都会に来ると上を見る。今の俺はその言葉にぴったりだろう。暁音に引っ張られて大きな電波塔に向かう。チケットは用意してくれていたらしい。

「高いな」

「高いの苦手?」

「よくわからん」

 俺が経験した高いところなんて、ボロアパートの二階くらい。だんだん上がっていくエレベーターに心を躍らせる。一番上に着いて扉が開いた時、

「……」

 俺は言葉を失った。

「大丈夫?」

 暁音が心配そうにこちらを見る。大丈夫。大丈夫なんだが、声が全く出ないのだ。俺は暁音に頷いて返事をする。これが俺たちの住む街か。まるでミニチュアのような、そんな陳腐なありきたりの感想しか出てこない。この高さからだと人間なんて見えなくて。建物もあるせいで余計に見えない。

「君のそういう顔、初めて見た」




「これ、落ちないよな」

「え? 落ちたらどうする?」

 ガラス床。下が丸見えで普通に怖い。

「落ちたらお前も一緒に連れていくからな」

「……」

 苦虫を潰したような顔をする。あぁ、これって一種の心中になるのか。触れにくいわけだ。俺はまだ死ぬつもりはない。まだまだやることはたくさんあるんだから。

「落ちるつもりはない。万が一割れても避けられるだろ」

「君、地味に運動神経いいからなぁ。部活動もきちんとやってれば全国レベルだったじゃん」

「きちんとやってれば、な」

 こればかりはやる気がなくて辞めたとしか言えなかった。周りとやる気の差がすごかったし。

「私たちの家、あのあたりかな」

「方角的にそうだな」

 流石にボロアパートは見えない。暁音のマンションくらいなら見えるのかもしれない。居酒屋はあのあたりか?

「よし! 次はあっち行こう!」

 暁音に引っ張られて、次の場所に向かった。




「あー楽しかった!」

 帰り道。後ろには今日登っていたタワーがキラキラと光っていた。楽しい時間がそろそろ終わる。それでもこいつが横にいればこれからも楽しいことが起こるのだ。

「今日はありがとな」

「ん? どういたしまして」

 改札を抜けて電車を待つ。一本前の電車は目の前で行ってしまった。

「あーあ、君がガラでもないこと言うから」

「なんだそれ」

 相変わらず、めちゃくちゃなやつだ。ありがとうなんていつも言っているだろ。もう少し文句を言おうとして横を向く。そこには顔を真っ赤にした暁音がいた。からかってやろうと思って声を出そうとした時、視界が勢いよく動く。あれ? 俺、落ちて


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「あはは、あははっ! これで春眠暁音は、守られたんだ!!」

 悲鳴。悲鳴、悲鳴。ヒメイ、ヒメイ、ヒメイ、ヒメ

「いや、いや! いやだ!!」

「危ないですよ!!」

「嫌だ! 嫌だ!! 嫌だ!!」

 そこから私の記憶はない。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―



「お金の繋がりで得たせいか、私と彼の関係はすぐに終わっちゃった。全部私が悪いんだ。バチが当たったんだ」

 女性は泣きながら小さな声で少女に話した。

「本当、本当にごめんね」

「お姉ちゃんは悪くない。悪くないよ」

「私が悪いの。お金で脅したからいけないの」

 少女は女性を突き飛ばした。女性は踏ん張れず尻餅をつく。




 親と兄を失った少女は


「なら」


 尻餅をついた女性を見下しながら


「お兄ちゃんの【代わり】になって。お姉ちゃん」


 卑劣な条件を突きつけた。




END−1 クリスマスから送られる死んだ彼からのプレゼント

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