第6話 幸せの定義は誰がする?
あれから5年の月日が流れた。
その間の一番大きな変化は、北欧のある国に移住したことだろう。
あの別離の後、私は国内外の色々な土地を旅した。
幸い私の仕事は地理的場所に縛られることがあまりない。ネットと電話とパソコンさえあれば仕事を続けることができた。
今まで行ったことのない場所を訪ね現地の人々と過ごして新しい文化に触れることは刺激的で楽しかった。戸惑うことやトラブルに見舞われることもあったが、幸いにも命の危険にさらされるような事態には巻き込まれなかった。
北欧のある街を訪れた際、「ここに住みたい!」と直感的に思ってしまった私はその国への移住を決意。
新しい夢を見つけた私は、暴走機関車のように突っ走った。
ビザの取り方、気候や生活費、アパートの契約の仕方、アジア系に対する印象など、思いつく限りの事柄を調べた。ただ夢見心地でキレイな部分だけ見るのではなく、実際に生活を始めると直面するであろう問題をいくつもシミュレーションして準備を進めた。
特に時間と手間がかかったのはやはり公的書類を揃えてビザの手続きをしなければならない部分だった。何もかもが初めてで慣れない書類と格闘しながら大使館に足を運んだ。面倒で複雑な手続きに追われても移住したいという思いが弱まることはなかった。
ビザは書類を提出すれば許可が下りるわけではない。「審査」という難関が待ち構えている。なぜビザが必要なのか、移住後に十分な収入の予定があるのか、その国の労働市場にとって必要な人材なのかなどが審査される。昨今、どの国も移民問題を抱えている。当然ビザの審査も厳しくなる一方だ。
ビザの審査の結果を待つ間は落ち着かなかった。可否の結果によって今後の私の人生は大きく変わる。おそらく今までの人生で一番大きく変わる。無事ビザが取得できた時は嬉しかった反面、恐ろしくもあった。今まではただ憧れの国での生活を夢見心地で想像していた。それはとても楽しい時間だった。だが、ビザが下りた途端、現実が迫ってくる。引っ越しの準備、国内での公的手続き、その他諸々。
どんなことでも初めて行うことは予想外の問題に遭遇しがちだ。私の想定の甘さもあるのだろうが、一つ一つは大したことがなくても、立て続けに小さな問題に襲われると気力が失われる。
引っ越しを例に上げると、国内の引っ越しなら最悪新居にすべて移してしまえばいいが、国外への引っ越しではこの手法は使えない。海外に荷物を送るのだから輸送費は国内のそれとは比べ物にならないほど高額になる。持って行くものを厳選し、それ意外はすべて処分する。この作業は私向きではなかった。面倒になって「全部捨ててしまえ!」と何度も叫びそうになった。お陰で断捨離は大いに進んだのだが。
移住後一番問題となるのは収入の確保だ。既存のクライアントとは相談を重ね、移住後も仕事の依頼を受けられるような体制を懸命に整えた。セキュリティの関係で海外への発注が禁じられている仕事などは継続を断念せざるを得なかったが、予想より多くのクライアントが継続できるように協力してくれた。現金かもしれないが、継続に協力してくれたクライアントにはその恩を仕事で返そうと思った。
地理的距離が不利にならないように人一倍努力して、クライアントが望む以上の品質を提供すると誓った。
そんなドタバタな移住準備を乗り越え、私はついに憧れの地に降り立った。期待と不安。新しい環境に飛び込んでいく誰もが経験するあの高揚感。そして直面する問題の数々。
そう、問題の数々。まずは言葉の壁。言葉の理解がままならないと簡単なことでも時間と手間がかかる。些細なことでも大量の時間が費やされる。そして「こんな簡単なことも私はできないのか」と失われていく自信。人の助けを借りないと物事を処理できないことが続くと自尊心が削られていく。ここで挫けてしまうようでは海外移住は失敗する。ある程度鈍感で大雑把な性格を持ち合わせていないと移住生活は拷問のようになるだろう。繊細で神経質な性格の人はきっとストレスで体を壊してしまう。このときばかりは自分の図太さを褒め称えた。
移住してから数年の間に一番感じたのは日本という国と日本人の素晴らしい点だ。日本で当たり前のことが日本以外では当たり前でないことが思った以上に多い。日本人は親切で勤勉であるという海外からの評価は間違っていなかったことを思い知る出来事は数しれない。
それでも、移住して数年経った今でも毎日が楽しく、自分が自分らしくいられる今の暮らしを気に入っている。言葉や文化の違いで戸惑うことや不便があっても、この精神的開放感と自由は手放すことができない。差別を受けたことだってある、外国人だからと敵意を向けられたこともある。それでも優しくしてくれる人は大勢いるし、外国人だから文化や習慣に疎いのは仕方がないと大目に見てくれる人も少なくない。日本にいたら経験できなかったこれらすべてが自分の糧となっている。
日本は素晴らしい国だが多数派に迎合しない者には風当たりが強い。一方で、個人主義が根強い欧米では「阿吽の呼吸」や「言葉にしなくても察してもらえる」は通用せず、己の主張ははっきりと言葉にして伝えなければならない。
どちらが良いではなく、どちらが合うかだと思う。今住んでいる北欧の街は私が素の自分でいることを受け入れてくれる場所。私の性格と相性抜群なのだ。
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