第26話 家族の涙

 わたしは妻を連れて地元へと戻る。新幹線を乗り継ぎ家に着くと夜も更けて薄暗さがわたしの胸の高鳴りを助長させる。

 「頼むから生きていてくれ」と願い病院へタクシーで向かう。病院へ着くと父と家族がベッドの横に座っていた。母は寝ているようだった。父はゆっくりと状況を説明してくれる。


 母は末期の癌になっていた。しかし何度も死の淵から甦り奇跡の生還を果たしている。今回は一番危険だったと父は言う。抗がん剤治療を行っている最中急に母が倒れたと言う、医師の見解では「アナフィラキシーショック」との診断だった。母は何度も状態を持ち直して来たが抗がん剤にも耐性ができて来たのか合わない薬が増えて来ていたようであった。今回新しい抗がん剤を使用した所アナフィラキシーショックを引き起こしたとの事だった。意識レベルが低下し、自力呼吸も難しく母の口には酸素が繋がれていた。久しぶりに顔を見たが髪の毛も少なくなり元々体格の良かった母もかなり痩せていた。父は「医者が言うには一度ショックが起きると抗がん剤は使いにくくなるようだ。」と話している。幸いにもわたしも医療従事者である為医者と直接話し、母の容態について聞く。


 結論を述べると残り三年、生きれる可能性は治療が上手くいけば、、保存的療法だと一年持たないだろうとの事だった。わたしは奨学金を借りている事もあり早期の退職は出来ないが、最後は側にいたい、そんな思いが強くなった。

 妻にその旨を話すと勿論否定はしなかった。ただ、自分はついて行かない、母が危なくなった時は直ぐに向かう、それまでは妻は元の生活を送りたいと言った。いますぐ仕事を辞めても奨学金の返済は難しい、残り三年、悩んだがわたしも仕事は辞めずにまめに地元に帰ることにした。できるだけ母との時間を長く持ちたい、わたしの人生も悔いが残らないようにしたい。色々な思いはあるが、今は妻と一緒に前に進み事態が好転するように願うしかないと考え父に話す。否定はされなかったが何か言いたい様子は見てわかった。そのままその日は実家に泊まり翌日新幹線でマンションへと戻る。母がいつまで生きていてくれるかは分からない、少しでも恩返しができたり、喜んでくれるようにわたしも頑張らないと、と心に誓う。


 数日後父から連絡が来る。母が良くなり退院するとの事だった。検査の結果転移も見つからず元気になって来たとメールに記載してある。

ホッと胸を撫で下ろす。それと同時に何回も奇跡が起きている事、今度も同じように元気になる保証は何処にもない、そんな事を考えてくるようになった。何度も母が死ぬ夢を見たりする。起きると泣きながら寝ていたことを自覚する。徐々にわたしの体にも「病魔」が迫ってきている、何かは分からないが人生を大きく変える出来事、そんな事が近づいて来ている事をまだ知らない。

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