酔ったときの普段より高い声も緩んだかわいい表情も、俺以外に見せないでください

「オレ今日飲み会行ってくるわ」

 いつもの、擬似的に恋人と二人きりになれる場所で恋人から発された言葉。オレ酒弱いんだよね、と笑みを浮かべながら言っていた先輩の口から出るにしては珍しい言葉だ。飲み会は苦手だから断ってんだよな、とこぼしていたのも記憶に新しい。

「飲み会ですか? 珍しいすね」

 そうなんだよ、とため息をつきながら項垂れる先輩の様子は、普段あまり見ないもの、つまり『恋人』としての先輩ではなく『同じ大学の先輩』でしかない、オレの知らない玲先輩だった。

「課題やばくてちょっとだけ手伝ってもらったんだよ。そしたら、代わりに今度久々に飲み会来いよって言われてさあ……ほんとヤだわ」

 ちゅん〜、と俺の方に擦り寄ってくるような仕草の先輩の頭をぽんぽんと撫でながら、人付き合いの良い人だな、とぼんやり思う。本当に嫌だったら、予定があると言って断ってしまえばいいのに、そうしないあたり先輩の優しさが見える。

 先輩はこう見えてわりと静かな空間が好きだし、空気を読みすぎるというか人の気持ちに敏感なところがあるから、社交的な場所や賑やかな場所が苦手なのだ。俺も先輩と同じタイプだから気持ちは十二分に理解できる。俺だったら絶対断ってるけど。

「しんどくなったらすぐ連絡してくださいよ。電話して、ってメッセージくれたら電話してその場から抜けられるようにするぐらいはできますし、迎えにもいきますし」

「あー、ありがとなほんと。それだけで頑張れそうだわ……」

 俺の肩に頭を預けるようにして大きなため息をつく先輩を見て、俺が一緒に行ってあげられたら少しは楽になるのかな、と頭に浮かんだが、それは口にしないでおいた。この飲み会は玲先輩の友好関係内のものなのだから。

「あいつら、オレ酒弱いっつってんのに飲まそうとしてくるからヤなんだよ。マジで」

「先輩って酔ったらどうなるんすか?」

 興味本位で聞いてみる。少し前、俺の家でお酒を飲んだ時は酔うほどの量じゃなかったし、先輩が酔っているところを見たことがない。俺もあまり飲まないタイプだから、宅飲みしようとか飲みに行こうとか、そういう提案は一切したことがない。

 オレの知らない先輩をもっと見てみたい。

「酔ったら?……あー、……酔うまで飲ませて見てくれ。自分じゃ言いたくねぇ」

「え? そんな変な酔い方するんすか?」

「変な酔い方ってなんだよ。一般的な酔い方だわ。笑い上戸とか、そういうよくあるやつ」

 ……そういうよくあるやつで言いたくないといえば、『泣き上戸』なのだろうか。もしそうなのだとしたら、恋人の泣き顔はあまり他人に見せたくない、というのが本音だ。実際どのように酔うのかはわからないが。

「……あんまり、飲まないでくださいよ」

「善処する……オレもそうしたい……」

 ぐでんと項垂れる先輩。なかなか押しに弱い部分があるから、きっと酔うまで飲まされてしまうんだろうな、と予感してしまった。

 

 ***

 

 その夜、十時半頃。俺が何をするわけでもなく、ぼんやりSNSを眺めていた時のことだ。突然、スマホの画面の上側に着信通知が飛び出してきた。名前には『玲先輩』と表示されていて、反射的に応答ボタンをタップした。

「先輩?」

 スマホに耳を当てても、ガヤガヤとした店内の喧騒が聞こえるだけで玲先輩の声は聞こえない。

「あ、お前が『ちゅん』?」

「え? あ、はい」

 知らない男の声で、先輩以外に呼ばれることのないあだ名を呼ばれる。

「菖蒲がお前を呼べってうるさくてさ」

 ガヤガヤ。聞こえにくい中、先輩が俺を呼んでいることだけは伝わってきた。

「その玲先輩はどこなんすか?」

「いるいる。待ってな、すぐ呼ぶから」

 少し電話から顔を離したのか、喧騒に紛れるぐらいの声で菖蒲、と先輩を呼んでいる声がする。電話の向こう側がどうなっているのか、俺には何もわからない。連絡だってきていないのだから。

「ちゅん?」

 普段よりも高い先輩の声で、先輩だけが呼ぶあだ名を呼ばれて、何故かほっとした。

「俺です。どうしたんすか、俺を呼べってさっきの人に言ってたみたいじゃないですか」

「ああ、あいつ……うん、そう、ちゅん、むかえにきて」

 電話の向こう側の声は、明らかに普段と様子が違っていた。高いだけではなく、声が濡れているような。

「先輩、泣いてます?」

「ないてねえ! はやくきて」

「せんぱ、」

「ごめん、代わった、菖蒲泣き上戸なんだよ。悪いけど迎えに来てくれる? もうオレらじゃどうしようもなくて」

 ぐす、と鼻を啜るような音が聞こえたと思うと、すぐにさっきの男が電話を代わった。確かに、この状態の先輩とはまともに話ができそうにないし、というか、見せたくもない。

 独占欲、俺にもしっかりあったんだな、なんて自分を客観的に評価している自分に気づいて不思議と口角があがった。

「わかりました。場所は先輩から聞いてるんですぐ行きます」

「おう、頼むわ」

 返事を確認したと同時に電話を切り、先輩を迎えに行くための準備をする。財布とスマホだけをリュックに放り込んで急いで家を出る。

 鍵を閉めて、階段を降りる音なんて気にせず駆け降りて、走る勢いで最寄り駅まで向かう。俺の最寄りからだと十数分、たった数駅の距離の場所で飲み会をしているだけなのに、その距離が何倍にも遠く感じる。

 スマホにメッセージを送ったってきっと先輩は見てくれない。電車内だから電話もできないし、そもそも先輩は出てくれないだろう。

 先輩に対してできること、俺だけの先輩を、俺のことだけでいっぱいにすること、それがどうしたって不可能な事実がもどかしくて仕方がない。

 玲先輩のなんでもない笑顔を、一度お酒を飲んだ時に見せてくれたほんのり赤い顔を、その顔でいつもよりやわらかい笑みでこちらを向く先輩は、俺の、俺の恋人なのに。俺以外にかわいいところなんて見せてほしくない。

『独占欲』という感情を意識した途端、頭の中で止めどなく溢れ出す思考があまりにも子どもっぽくて、だけど止められなくて。

 早く先輩に会いたい。先輩のそばにいたい。ずっと抱きしめていたい。

 ──かわいくて愛しい恋人を他の人に見せたくない。なんて、不可能なのに。

 ……俺は素面なのに、なんでこんなにいつもよりも胸の辺りが気持ち悪いんだろう。

 なんて、先輩のことしか考えられない頭をフル回転させているうちに居酒屋がある駅まで到着して、飛び出すように電車から出る。改札機を通って、今度こそ走り出した。先輩のところへ。少しでも早く。

 息を切らしながら居酒屋へ着き、深呼吸をして息を整える。扉を開け、店員さんに待ち合わせです、と告げて先輩を探す。辺りを見回しても先輩らしき頭は見当たらない。それが俺を苛立たせる。

 視界の端で手を振っている誰かが目に入る。あれだろうか。

 早足で手を振っている誰かの元へ駆け寄ると、机に突っ伏している玲先輩であろう頭が彼の隣にあった。彼は玲先輩を揺り起こしながら俺に向かって『こっちに来い』と手招きをする。

「ほら菖蒲、来たぞ」

 怠そうに頭を起こし、隣の彼を見上げる。その顔は上気していて、眼鏡越しの瞳が濡れているように見えた。

 ──ああ、そんな顔を、俺以外に見せないでくれ。

「……! さくと」

 電話越しで聞いた通り、いつもより高い、かわいい声が俺の名前を呼ぶ。それは、もちろん先輩の友人たちにも聞こえる声で。

 ぐらぐらの頭を持ち上げて、立ちあがろうとする先輩を、隣の友人さんが支える。

「こいつ回収してって。うるせぇんだよ、ちゅん、ちゅんって」

 ははは、と酔いの回った笑い声。先輩がよろよろしながら俺の方に向かってくるのを迎えに行く。

 倒れ込む勢いで俺に抱きついて、ふふ、ちゅんだ、なんてほとんど聞かない声色で呟く。きっとこの小さな声は、俺にしか聞こえていない。

「お金とか」

「あー大丈夫、あとで回収しとくから」

 じゃあなー、と手を振る先輩の友人方に頭を下げて、俺にくっつきぱなしの先輩の手を握って居酒屋を出る。

「めがね、じゃま……」

 眼鏡さえも外せないぐらいに酔っている先輩の眼鏡は外さずに、とりあえず人通りの少ない路地へと連れて行く。

「さくと〜〜」

 一応二人きりになったところで、ようやく先輩の眼鏡を外す。

 普段の澄んだ青色は濡れていて、より鮮やかに、きらめいて見えるほどだった。

 ──欲情すると瞳孔が開く。青色や緑色の瞳を持つ人は、瞳孔が開いてより鮮やかな瞳の色になる。

 なんて情報、どこで得たんだろうか。もう覚えてないぐらいの昔の話、先生が言っていたのだろうか。

 それを思い出して、生唾を飲み込む。

 いつもより鮮やかな、世界の何よりも美しい青に見つめられる。

「……さくと?」

 何も気付いていない。何もわかっていないのだろう。俺が何を考えていて、先輩の電話から知らない男の声が聞こえた時の感情も、居酒屋で他の人にべたべたくっついているときに湧きあがった仄暗いそれも、今こうして先輩を独り占めしているときに胸の奥で疼く欲も。

「玲先輩」

「ん〜〜?」

「俺以外に、そんな表情見せないで」

「さくと、おこってる?」

「怒ってるっていうか、嫉妬ですよ。やきもち。俺の前であんなに酔ったことないのに……あんなかわいい表情も声も、行動も、全部俺の前だけにして、ください」

「んふふ、かわいいなあ、さくとは。ごめんな?」

 鮮やかな青に見上げられながら、俺にだけに見せるあまい表情で、あまい声で、先輩の口から発される言葉。

 首に手を回してきて、すき、だなんて言われてしまえば、さっきまでの嫉妬なんてどこかにいってしまった。

 これだけは、この先輩は、俺だけの。

「俺も大好きです。帰りましょ」

 酔っ払ってふらふらの先輩と手を繋いだまま、人通りの多い道へと出る。ざわざわとした夜の街特有の喧騒も聞こえないぐらいに、先輩のことだけを考えている。

「なぁさくと」

「なんすか、玲先輩」

「かえりたくない、さくとといっしょがいい、さびしい」

 本当にこの先輩は。

「……………じゃあ、俺の家行きますよ」

「ん! うれしいなあ、ちゅん、すき」

 はあ、とため息をつく。家に着くまで『これ』に付き合うのは骨が折れそうだ。



          〔きらめきを閉じ込めて〕

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物静かな大型犬っぽい後輩をかわいがっていただけのつもりだったのに、本気で惚れたし愛でられています 瑪瑙茉莉絵 @menou_marie

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