後輩のおねだりで、写真のモデルになることになった

 今日は珍しく雀斗に呼び出された。いつもは大抵オレが雀斗が誘う前に誘っているから、これはかなり珍しいことなのだ。

 ただ、なにをするのか全然聞いていない。呼び出されて内容も聞かずに二つ返事でオーケーしてしまったからだ。だって嬉しかったから。

 オレが誘うことが多い分、雀斗がオレを誘う機会は少ない。その代わり……ではないが、雀斗は頻繁にオレに好きだと伝えてくる。言葉でも身体でも。オレはまだ恥ずかしさが抜けず、というか元来の性格なのかもしれないが、どうしても茶化すように好きだと伝えてしまう。スキンシップは元から多い方だから変わらないけれど。……だから、というわけではないが、オレが雀斗を誘うのは愛情表現のひとつ、のつもりなのだ。伝わってるのかはわからないけど。

 そんなわけで、オレは今雀斗の家の前にいる。何度も家に来ているが、チャイムを押して雀斗が出てくるまでのわずかな時間でいつも緊張してしまう。今まで何度か女の子との交際経験はあるはずなのに、雀斗に対してはいつも余裕がなくていっぱいいっぱいになる。今までの女の子たちには申し訳ないけれど、本当に『好き』だったわけではなかったのだろう。

 昔ながらのチャイムを押す。いつもより早くなる鼓動を感じて、深呼吸をする。ガチャ、とドアの鍵が開く音とともに、若干ぼさついた淡い茶髪が顔を出す。

「よ!」

「どうも。あがってください」

「おじゃましまーす」

 いつも通りのやりとりをして、雀斗の後ろをついていく。オレが来るまで寝ていたのかと思ったけれど、後頭部に寝癖がついていないあたりオレの予想は外れているようだ。なにするんだろう。

「じゃ、座って待っててください」

「おー」

 荷物を適当な位置に置かせてもらって、なんとなくソファを背もたれにして床に腰を落ち着ける。目の前のテーブルにはふたつのネイルの瓶と口紅らしきものと、雀斗愛用のカメラが置いてあった。

 ん? なんだ、これ。

 未使用のネイル瓶にはまだテープが着いていて、口紅もパッケージから出しただけのようだ。キャップを外してみても使用された痕跡はない。深い赤色のそれらは、シンプルであまり色のない雀斗の部屋には似つかわしくなかった。

「はい、これお茶です」

「さんきゅー。な、これなに?」

 グラスを受け取ってテーブルに置く。そのまま、手にしていた口紅を持って雀斗に問いかけてみた。

「今日呼び出した理由っす、それが」

「え、これが?」

 は? なに? どういうこと?

 雀斗に言われたことが咀嚼できず頭の中でぐるぐる回り続ける。ネイルと口紅が、今日呼び出した理由?

「これ塗った玲先輩をモデルに、写真を撮りたいんすよ」

「は?」

 これを塗ったオレをモデルに写真を撮りたい?

「だめ、すか」

「いや、ダメっつーか、まだ飲み込めてないっつーか」

 存在しないはずの垂れた犬の耳が見えるぐらいに、目に見えてしょんぼりする雀斗のお願いを断りたくはない。というか、そもそもオレは押しに弱いから心の中ではもうオッケーしているぐらいだ。たとえば、友達に土下座されたら何でもしてしまいそうになるだろうし。

「せんぱい……」

 しゅん、と少し俯いてオレにおねだりする雀斗は正直かわいくて、これをもう少し見るために悩むふりをしようかなんて考えが頭に浮かぶぐらいだ。

「まあ、よくわかんねーけどいーぜ。ちゅんの頼みだしな」

「ほんとですか!!」

 ぱっと顔をあげた雀斗の瞳は輝いていて、やっぱり存在しないはずのしっぽが揺れているように見える。雀斗はときどき、大型犬のように見える。なんか、それっぽい。

「ほんとほんと。で、具体的にはなにすんの」

「写真のコンテストがあって、それのテーマが『色』なんすよ」

「おう」

「それで、先輩の瞳を撮りたい!ってテーマ見た瞬間に思って」

「……おう」

「青を引き立たせるために、顔の近くに持ってきてもらう手と唇に赤を塗ればより美しく撮れるんじゃないかって」

「な……るほどな」

 理屈は理解できた。理屈と、雀斗の考えも。

「そのモデルは本当にオレでいいわけ?」

 そういうのって女の子がモデルになるのが多いんじゃねぇの、と付け足すと、雀斗はオレをじっと見つめて、指を絡めてきた。その行動に心臓が跳ねる。

 今日は、雀斗の一挙手一投足すべてにきゅんとして、どきっとしてしまっている気がする。雀斗から誘われて家に行くことなんてほぼないから、緊張しているのかもしれない。

「……たしかに、女性の方が評価されやすい傾向はあると思います。評価するのは異性愛者の男だから、どうしてもそうなるんすよ。それに、いまだに、女性は消費するもの、っていう考えが根本にある世界だから」

 オレの目から視線を逸らさず、雀斗は続ける。

「実際、女性特有の曲線なら男性では表現できない妖艶さが表現できる。でも、美しさに性別なんて関係ないし、男性にしか表現できない艶やかさもある」

 そこまで言うと、雀斗はひと呼吸置いて、さらに身体をオレに近づけてきた。

「そういう理屈なんて抜きにして、オレはオレが美しいと思ったものを撮るんです」

 真剣な眼差しの雀斗に見つめられて、言葉に詰まる。

「……そっか」

 なんとか口にできたのはその三文字だけで。もっと言いたいことはあるはずなのに、上手く言葉にならない。頭の中で文字にならない感情がぐるぐるまわり続けて、口から言葉として出てこようとしない。視線が揺れ動いて、必死に脳を回転させる。頑張れよ、オレの脳。

「だいじょうぶです、わかってますよ」

 優しい声にはっと我に帰る。揺れ動いていた視線を雀斗に戻すと、雀斗は慈愛に満ちたようなやわらかい表情でオレを見つめていて。……ああ、きっと見透かされてるんだろうな、と観念して、余裕ぶりたかった気持ちを横に置いた。

「……えっと。美しい、って言われて嬉しかった」

「はい」

「でも、そんな褒められるような顔してないとも思う。けど、それは褒めてくれた、美しいと感じてくれた雀斗の感性を否定することになるんじゃないかなって、思った」

「はい」

「……っていうのをぐるぐる考え込んで、どこまで言えばいいのかわかんなくなってました」

「はい、よくできました。ちゃんと全部言えてえらいですね」

「クソ、年下扱いすんじゃねぇよ! オレが先輩なの!」

 ぽんぽん、と頭を撫でられるのは正直なところ嬉しい。が、そんなのを年下にされて喜んでるのは自分がいることを認めるのがやだ。……きっと雀斗には全部お見通しなんだろうけど。つーか、雀斗の察しがいいんじゃなくてオレが顔とか言動に出しすぎなんだよ。もう少し控えたい。でもこの口よりも素直なオレの行動や表情を、雀斗が好ましいと思っていることはオレにだってわかっている。それなら、このままでいいんじゃないか、なんて思う。正直もう年上の威厳とかないし。かろうじて敬語使ってくれてるだけだし。

「じゃあ、モデルになってくれるってことでいいすか?」

「うん。いーよ。あ、でも良い写真が撮れるかどうかは保証しねぇから!」

「それは俺の腕の問題になるんで、先輩はきにしなくていいっすよ」

 はは、と雀斗が目を細めて笑う。なんでもない表情に、なぜだか胸のあたりがぎゅーっとした。これを『きゅんとした』というんだろうな、なんて他人事みたいに考える。

「それじゃあちょっと待っててくださいね。爪の処理から始めるんで」

 立ち上がって処理をするための道具を持ってくるために立ち上がった雀斗に、おう、と返事をしてソファに頭を預けた。

 

 

  ***

 

 爪の処理をするのに対面だとやりづらいから、という理由で雀斗に後ろからハグされるような体勢で十数分ほど経過した頃。

「……よし、爪の処理終わりです」

「おつかれー。ってことは次はもう塗んの?」

 ふぅ、と満足げな様子でひと息ついた雀斗の肩に頭を預け、少し顔を見上げながら問いかける。そうっすよ、とばかりに頷いて、テーブルの透明なネイル瓶に手を伸ばす。

「なに? それ」

「ベースコートっす。平たく言うと、これを塗れば綺麗に色を塗れるよってやつっす」

「はー、なるほど。塗る時もこの体勢でいーの?」

「自分の手で練習したんで、慣れてる方向がいいかなと」

「え、ちゅんもネイルしたの!?」

「しましたよ、すぐ落としましたけど」

「何で落とすんだよ〜見たかっただろ」

 軽口を叩きながら、雀斗はベースコートなる透明の液体を器用にオレの爪に塗っていく。左手の親指から順番に、丁寧に、筆を滑らせる。

「……」

 触れている背中に、優しく握られた手に、雀斗の体温を感じる。オレの顔の隣から、雀斗の息遣いを感じる。

「よし、次色塗りますよ」

「え、あ、おう」

 透明のネイル瓶の蓋を閉めてネイル瓶を交換ためにオレから若干離れた温もりを惜しんでいる自分がいることに気付く。その体温は、すぐに戻ってくるのに。

 深い赤色のネイル瓶を手に持った雀斗はオレのことなんてなにもかもお見通しのように、ネイルを塗り始める前にぎゅっと抱きしめてきた。先輩に触れてると落ち着きます、なんて言いながら。

 そして、また同じように、今度は赤がオレの爪を彩っていく。

 たった数分の出来事のはずなのに、過ぎる時間がひどくゆっくりに感じて。息遣いが聞こえるほどに近い距離感のせいで、触れっぱなしの指先から伝わるわずかな熱のせいで、心臓が高鳴っているのを感じる。ドキドキする。

 ──あーあ、オレこんなに初心じゃなかったはずなのに。女の子と付き合ったことだってあるのに。真剣に向き合っていなかった、本当に心から『好き』じゃなかったということなのだろうか。まあそっか、何度付き合っても絶対三ヶ月以内に別れてしまっていたし。玲くん、私のこと好きじゃないでしょ、私じゃなくて誰でもいいんでしょ、って。

 何気ないスキンシップで、なんでもない会話で、毎回のように鼓動が速くなってしまうなんて、喜びを隠せないぐらいに浮き足立つことなんて、自分の表情が柔らかくなるのを感じてしまうなんて、全部、全部雀斗が初めてだ。

 なんて、熱くなっていく自分の耳から意識を逸らして爪を見てみると、雀斗はもう一度透明のネイルを塗っていた。なんだろうか。

「それ塗ったらおわり?」

「そうっすね。あとは乾くのを待つだけです」

「時間かかるんだなあ」

 ネイルをしている世の中の人たちはすごい。こんな時間のかかる緻密な作業を行なって、指先にきらめきをのせているのだから。

「……はい、おわりました。何かに当たったりしたらやり直しなんで、気をつけてくださいね」

「りょーかい」

 ネイル瓶を机の上に戻した雀斗の肩あたりに頭を預けるようにして、特に意味もなく雀斗を見上げてみる。

 雀斗は薄く微笑んで、なんすか、とやわらかい声色でオレに返事をする。

 なんでもねえよ、なんて笑って。『なんでもない』幸せな時間だな、とぼんやり思った。

 

 ***

 

 ネイルが乾いた頃、雀斗が口紅を手に取った。黒い長方体で、キャップとの繋ぎ目あたりに金色が縁取られている。

「じゃ、塗るんでこっち向いてください」

「お、おう」

 なにせ口紅を塗られる体験など初めてなオレは、もう目に見えてわかるほど緊張していた。……これは目を伏せるべきなのか。雀斗を見つめているのもなかなか恥ずかしい。

 狼狽えているオレを見て、雀斗がはは、と笑う。

「楽にしててください。顎触りますよ」

 顎に、そっと優しく触れられる雀斗の指に、わかっていてもびくっと肩がはねた。だって、こんなの、キスされるみたいで。

「少しだけ口開けてくださいね」

 言われるがまま、目は閉じずにオレの唇を見つめている雀斗を見ながら少しだけ口を開ける。真剣な表情で、ドキドキしているのはオレだけなのかと思ってしまう。でもきっと、表情に出ていないだけで雀斗もドキドキしているに違いないと思い込んでおくことにする。

 触れているのかどうかさえわからないほどにやわらかい感触の口紅が、唇の山を縁取っているのを感じる。雀斗はなんて言ってたっけ。マット系、だったっけ。

 所謂メンズメイクのようなものに興味はあるし、少しだけ調べたこともあるけれど流石にその短時間で詳しくなれるわけではないので、マット系の口紅だからどうこうと言われてもオレにはさっぱりわからない。ただ、雀斗にはこだわりがあって、自分が求める表現のためにたくさん調べて選んできた口紅なのだろう。もちろんネイルも。上手く表現できるように、そしてオレの瞳の青色を引き立てるように、オレに似合うように。

 ふわっとした感触のそれが唇全体をなぞり終えた頃、雀斗は少しだけオレから距離をとって全体を見た後、満足気に微笑んだ。

「うん、やっぱり最高に似合ってます」

「そりゃオレのことを一番知ってる雀斗が選んだから当然だろ?」

 揶揄うように口にすると、それもそうだ、というように真面目な顔で頷いていたので軽く小突いてやった。

「ヘアセットしたらもう撮んの?」

「そうっすね。俺の好きなようにちょっとだけ触らせてくださいね」

「了解、雀斗せんせー」

 

 ***

 

 雀斗にヘアセットをしてもらった後、いつもは入らせてくれない部屋に入れてもらった。真っ白な部屋で、大きな照明があって、雀斗はおそらくここを『スタジオ』として使っているのだろう。

 まじまじと周りを観察していると、雀斗に手を引かれた。

「この壁を背にして立ってくださいね。眼鏡は外してもらって、照明が眩しいと思うんで、出力落として遠めに置いとくっすけど、カメラ自体のフラッシュもあるんで眩しかったらすぐ言ってください」

「うい」

 細やかな気遣いに感謝と嬉しさを感じつつ、壁を背にして立つ。真正面に雀斗がカメラを持ってこちらを見ている。

「リラックスしてくださいね、なんて無理な話なんすけど」

「ふふ、かっこよく撮ってくれよ?」

「任せてください」

 ──そこからはもう、言葉にできないほど楽しかった。もちろん最初は緊張していたが、撮られる度に雀斗が褒めてくれるし、楽しそうな雀斗を見ているうちにオレもノリノリになってきて、雀斗が指定するポーズだけではなく自分からポーズを提案してみたりなんかして、数枚の予定が気付いたら数十枚撮っていた。

「……よし、撮影終了です」

 嬉しそうな声色でカメラを見つめる雀斗。ああ、なんかもう愛しさで溢れるってこういうことを言うのだろうか。衝動が抑えられない。

 カメラを置いた瞬間、雀斗に抱きついてキスをした。

「唇、おそろいになったな?」

 なんて茶化したオレが、そのあとどうなったかは想像に難くない。


                 〔特別賞〕

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