第21話:拌麺・まぜそば・油そば

 ラーメン屋での「まぜそば」というのはすっかり定着した。今となっては、まぜそば専門店を名乗る店も少なくない。とは言えこの風潮が全国的になったのは、せいぜいここ20年そこら、21世紀に入ってからであるのは間違いないと思う。


 私が初めてこの手の麺に出会ったのは学生時代。今はなきアキハバラデパート1階にあった「ミスター陳」の「拌麺」である。「ばんめん」と読み、「まぶし麺」という説明も書いてあった。「ミスター陳の珍しい麺」というキャッチコピーで、確かに当時は「まぜそば」という概念自体が一般的でなかったのである。


 夕方のタイムサービスで280円くらいで売られており、ろくに具もなく、赤くて辛いソースがまぶしてあった。これに酢やにんにく、豆板醤などを好きなだけ混ぜて食べる。これで腹を満たして電気街へと繰り出したものである。


 秋葉原では刀削麺にも出会った。この店ではパクチーとの出会いもあった(第12話を参照)のだが、汁なし担々麺(これも分類上はまぜそばである)というものを知ったのもここだったような気がする。これ以降、中華料理の歴史などを調べたり自分で作ってみたりするようになると、汁無しこそが担々麺というのは当たり前の知識になっていき、そういえば昔の日本には汁有りの担々麺しかなかった(少なくとも一般的ではなかった)というのを忘れがちである。


 大学では「油そば」にも出会った。初遭遇は学生食堂の日替わりラーメンだったはずである。どんぶりに茹で上げた麺と、申し訳程度のメンマやチャーシューなどの具が乗っており、パックに入ったタレ(醤油ベースでラー油が混ざっている)をかけて食べる。名前ほど油っこくなかったというのが第一印象であった。


 このように、私にとっての「まぞそば」とは質実剛健そのものであった。近年のまぜそば屋では、色とりどりの具を並べて標準でも1000円前後の値段設定だったりして、あれはあれで美味なのだが、昔みたいな質素なやつも食べたくなる。だいたい生卵の卵黄の部分だけ乗っけるというスカした風潮も気に入らない。特に、後でご飯を入れたりする場合、卵白の汁気があったほうが絶対いいと思うのだが。


 まあ文句があれば自分で作ればいいだけの話である。業務スーパーなどで買ってきた中華麺を茹でて、肉味噌を作り(肉がなければネギだけでも炒めておく、あるいはサバ缶なども良い)、思い思いのトッピングで好きに食べる。豆板醤、コチュジャン、にんにく、しょうが、練りごま、すりごま、胡椒、花椒、唐辛子、ラー油、葱油、鶏油、魚粉、なんだって構わない。もちろん生卵も全卵を乗っけて、最後はご飯を入れて、仕上げはお湯とスープの素を入れて飲み干す。これぞ家庭料理の醍醐味だ。


 ところで、冷やし中華も立派な「まぜそば」である。中華屋さんのメニューでは「日式涼拌麺」という中国語名称が併記されていたりもする。冷やし中華自体はかなり早い時期から定着していたのにも関わらず、それ以外のまぜそばが長らく全国規模で普及しなかった(汁そば、焼きそば、変化球としても「ざる中華」くらい)というのは日本ラーメン史における謎の一つだと思っている。

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