第17話:ラーメン屋さんの餃子

 以前、祖父母にラーメン屋によく連れて行ってもらった話を書いたが(第2話のチャーハンの回)、そのようなときは祖父母は必ず餃子を1皿追加で注文した。各自が頼んだ料理とは別に、少しずつつめまるようにという配慮である。


 今でこそ冷凍やチルドで格安(かつ完成度の高い)餃子が気軽に買えるようになっているが、昔は餃子といえば中華(ラーメン)屋さんで買ってくるものだった。昔ながらのラーメン屋さんでは、生あるいは冷凍の餃子をお土産用として扱っているものである。近所におすそ分けしたり、訪ねてきたお客に持たせたりする機会も多かったと思う。


 最寄りのラーメン屋の餃子にはニラがたっぷり入っており、薄い皮からそれが透けていて、全体的には緑がかった印象だった。とっくに店ごとなくなってしまったのだが、今でもあの頃の味をぼんやりと思い出すことがある。


 そういえば我が家では、餃子のタレには酢を入れていなかった気がする。そもそも食卓に酢がなかった。高校生くらいになって主体的に料理や味付けをするようになってからは酢は欠かせないアイテムになったのだが。今だと実家でも酢を使うはずなので、子供のために配慮してくれていたのだろうか。


 餃子といえば手作りだったという家庭もあるだろうが、我が家では自宅で作る機会がほとんどなかった。皆無だったというわけではないものの、私が実家暮らしだった期間を全て合わせても片手で数えるくらいだったのではなかろうか。我が家では基本的に、餃子とは買ってくるものという印象が強い。


 自炊するようになっても餃子を作ろうと思ったことはない。だいたい生のひき肉をこねて、皮に包むという手間だけでも相当なものである。律儀にひだを作らなくても、皮で丸めるだけでいい棒餃子(鍋貼グオティエ)を知ったあとでも、そもそも餡を作る時点で面倒くさい。本場中国のようにハレの日の宴会用に大量に作るならまだしも、小規模な家庭料理としては明らかに手間と成果が釣り合っていない。


 そもそも餃子の皮の縁にひだを作って密閉するのは、水餃子として茹でても中身がこぼれないようにするためであり、ただ焼くだけなら密閉する必要はなく棒餃子スタイルで問題ないはずである。なぜ日本人は気づかなかったのだろうか。


 そういうわけで、今でも餃子といえばもっぱら外で買ってくるものというイメージである。仮に材料が揃ったとしても、野菜炒めやチャーハンにしてしまうであろう。どこのスーパーでも餃子の皮が売っているのを見ると、それなりにポピュラーな家庭料理ではあると思うのだが。


 最近ちょっと凝っている食べ方は、普通の酢ではなく中国の黒酢、山西老陳酢を使うことである。たまたま業務スーパーで見つけて以来、欠かすことの出来ない調味料となっている。見た目が真っ黒で醤油と区別がつかないので加減がわかりづいらいが、とりあえず同量くらいで問題ない。醤油を使わずに酢と胡椒のみというのも聞いたことがあるが、少なくとも市販の餃子には向かない気がする(元から味が濃いめなら良いのだろうが)。


 餃子の友としてはラー油ももちろん使う。唐辛子入りのものを買ってきて、なくなってきたらごま油を継ぎ足して使うというケチくさい運用をしている。ラー油といえば持て余しがち(少しずつしか使わないので瓶がベタベタになる)な調味料らしいが、麻婆豆腐や担々麺を自分で作るようになると結構消費するものである。自分で作ろうとしたこともあるが、一度挑戦して腐らせてしまったので大人しく買ってくることにしている。

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