第7話:味噌汁という呪縛

 私は味噌汁という文化があまり好きではない。いや、食品としての味噌汁は好きなのだが「食事には味噌汁が必須」という、一部の世代・集団で共有されている意識がものすごく苦手なのである。人生において限られた機会である「食事」という行為において、スロットの一つを「味噌汁」で固定して当然という発想が大嫌いなのだ。


 実例を挙げよう。例えば遅く起きた休日の朝。今日は炒飯でも作ろうか、それともパスタにするかと思っていたところ、(母や配偶者によって)自分が食べる分の味噌汁がしっかり用意されている。飲まずに無視をするわけにもいかず、ちぐはぐな組み合わせを余儀なくされて楽しいブランチ計画を台無しにされてしまう。


 あるいはチェーンの牛丼屋には味噌汁を無料で付けてくれるところがある。牛丼に味噌汁はわかるのだが、カレーに味噌汁は違うと思う。まして世界のグルメフェアと称して国際色豊かな期間限定メニューを出しているのに、汁物は共通で味噌汁のみ。やめてくれ!


 商店街で見つけたいい感じの洋食屋や中華屋に入って、料理はよく出来ているのだがご飯物や定食に付いてくるのが味噌汁だったりすることも少なくない。画竜点睛を欠くこと甚だしい。看板が和食系ならそれでいいのだが、曲がりなりにも中華系(◯◯軒など)や横文字の店名で味噌汁は勘弁してほしい。


 そういった経験が積み重なって、味噌汁という汁物に悪い印象ばかりが付いてしまった。もちろん君は悪くない、無節操に味噌汁を乱用する奴が悪い。さらに言えば、「(おかずが何であれ)ご飯には味噌汁」という、一定世代(乱暴に決めつけるが、だいたい団塊ジュニアあたりだと思う)以上にはびこる固定観念が悪い。


 もちろん事情は理解できる。例えば牛丼屋の場合、メニューに合わせたスープ類を用意するのはコスト面に割に合わないのだろう。個人店についても結局は主要客のニーズに合わせているわけで、私のようなたまに来るだけの若造に合わせる道理もないだろう。家庭においても昔からの習慣が引き継がれているというのはわかる。でもまあ、そろそろ思考停止でなんにでも味噌汁を付けるのやめにしない?と思うのだ。味噌汁を嫌いになりたくない。


 なお、私自身が味噌汁を作る場合は沖縄の「かちゅーゆー(鰹湯)」を参考にしている。お椀に大さじ半分ほどの味噌と鰹節を入れ、そこにお湯を注いで混ぜるだけの簡単料理だ。鰹節がなければ出汁の素でも入れればよい(もちろん出汁入り味噌ならそれだけでもいいが、個人的には汎用性が低いので常備していない)。鍋も使わず簡単にできる。具が欲しければ乾燥わかめや刻みネギを散らせばよい。生卵の白身(全卵だと多すぎる、黄身はご飯にかけよう)を混ぜるのもありだ。


 いずれにしても、私は毎朝味噌汁を作る香りで起きるような環境に身を置きたくないし、もちろん自らその環境を作る気もない。日本の家庭は味噌汁の呪縛から開放されるべきである。作るにしても食べるにしても、もっと自由であれ。

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