第5話:鍋と締めの話

 我が家の鍋料理には「締め」という概念が無かった。基本的におかずとして食べきるものであり、残ったら翌朝のおじやにはなるが、先に具だけ食べてからご飯を入れるという発想がなかったのだ。


 そもそも「締め」というのは、鍋ものを肴(おつまみ)として味わう酒飲みの発想である。我が家では食事中に酒を飲む文化が無かった。父や祖父が完全に下戸で、せいぜい母が寝る前にビール1缶を飲む程度だったはずである。私自身は人並み以上には酒に強いのだが、やはり食事中に飲むというのは、飲み会などのハレのイベント以外では苦手である(ひとり酒なら夜中に限る)。


 母が作る鍋料理は、めんつゆなどで味を付ける寄せ鍋が基本形だった。これは一晩で食べきるには良いのだが、余らせると飽きてしまうのが難点である。90年代中頃にしゃぶしゃぶブームのようなものがあり、家庭用の「しゃぶしゃぶのタレ」が目立つようになってからは、しゃぶしゃぶというか水炊き(鍋に昆布を入れる程度で味を付けない)タイプの食べ方を知った。


 現在、自分で鍋物を作るときはもっぱら水炊きである。白菜、ねぎ、豆腐、きのこ類がマストの具。鶏肉はももか手羽元を使う(胸やささみは煮るとパサつく)。ベストはダシの出る手羽元で、事前に薬味(ショウガ、長ネギの葉、酒)とともに30分くらい煮込んでから野菜を入れる。昆布を入れるなら最初からではなく野菜と同じタイミングが良い。


 多めに作っておき、当日は取皿にポン酢やゴマダレをかけて食べる。翌日以降には鍋に味噌やキムチの素を入れてみたり、あるいはラーメンを煮込んだりする(この場合は韓国製の麺が特におすすめである。日本式は煮込むとすぐ伸びてしまう。肉系なら辛ラーメン、魚介系ならノグリラーメンを推奨)。


 もちろんご飯と卵を入れておじやにしてもいいのだが、ラーメン共々「締め」というよりは「翌日以降の再活用」であり、独立した食事のようなものである。自分の中での「鍋のあとのおじや」というのは、もっぱら朝ごはんのイメージなのだ。


 市販の鍋つゆの素は味が濃すぎて好きではない。ストレートタイプは水炊きからの味変に使えないので論外として、濃縮タイプのポーションは指定量の半分(1人前分を使って2人前を作る)くらいがちょうどいい。どうも業者は鍋つゆを「タレ」のように思っているようだが、私としてはちょうど飲み干せる「スープ」程度の濃さが望ましいと思っている。


 いずれにせよ人によって好みの濃さは異なるので、やはり水炊きで作ってから各自が取皿の中で調整できるというのが望ましいのではなかろうか。

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