第2話:半ドンのミックスベジタブル炒飯

 まだ、公立校に週休二日制が導入されていなかった頃。両親が土曜も含めてフルタイムで働いていた我が家では、土曜のお昼の世話をしてくれたのは祖母だった。その時作ってくれたのは、たいていは炒飯だった。


 具は卵とミックスベジタブル(グリーンピース・コーン・人参)、そしてウインナーまたはハム、たまにカニカマ。かろうじて五目炒飯の体裁を保っていた。ネギが入ることもあったと思うが、当時の私はネギが苦手だったので普段はネギ無しで作ってもらっていた(今は炒飯にネギは必須だと思っているが)。


 当初の味付けは醤油とコショウだけだったと思うのだが、いつの頃からか味の素の「中華あじ」を使うようになってグレードアップした。思えば私が料理において「だし」とか「うま味」の概念を知ったのも、中華あじがきっかけだったような気もする。


 たまには醤油のかわりにケチャップを使ってチキンライス風にする。そのときは卵は具にせずに、大きな卵焼きでオムライスにしてくれた。我が家のオムライスは卵に砂糖が入っているのが特徴だ。大人になって外でオムライスを食べるようになっても、うちのオムライスほど卵を甘くする例は味わったことがない(卵1個に対して小さじ1杯以上入れる)。


 当時(1990年代前半)家で炒飯をよく作っていた理由として、ご飯を温める手段としての電子レンジにまだまだ信頼が置けなかったというのは確かにあるはずだ。冷や飯をおいしく食べるには炒飯にするかお茶漬けか雑炊(おじや)にするか、さもなくば蒸し器で加熱するという手間をかける必要があった。そもそも、冷や飯そのものを「お茶漬け」と呼ぶ文化が残っていた家庭であった。


 今でこそ、炒飯にするためのご飯は電子レンジで先に温めておくという調理法は、どこのレシピ本にも書いてある常識になっている。しかし私にとっての炒飯は「飯を再加熱する手段そのもの」なので、わざわざ炒飯にするための飯をレンジにかけるのは、なんとなく贅沢な気がして受け入れにくいのである。


 さて、昼食は家で食べるだけでなく、外食にも連れて行ってくれた。土地柄、徒歩圏内に飲食店は多かったのである。小学校に上がる頃になると近所の中華屋というかラーメン屋に行く機会も増えた。


 私が炒飯を頼むと、祖母はいつも「炒飯なら家でも作れるのに」と言った。しかし家の炒飯もいいが、ラーメン屋さんの炒飯はまた特別なのである。具に本物のチャーシューが入っているし、どこか香ばしいし(今思えばラードの香りだと思う)、高温で調理するから食感も違う。ラーメンや一品もののおかずも魅力的だが、それでも炒飯を食べたいときは確かにあった。


 余談だが、「炒飯(チャーハン)」と「焼き飯」を何らかの定義で呼び分ける風潮が私は嫌いである。ご飯を油で炒めた料理であれば、それは炒飯であり焼き飯でありフライドライスである。どの名前で呼んでも構わないとは思うが、勝手な定義で使い分けたり、まして人の作った料理を「これは炒飯/焼き飯じゃない」などと否定するのは言語道断である。

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