さよならドッペルゲンガー

 先輩が死んでいた。部室で行き倒れたらしい。


 触ってみると冷たくて脈がない。けれどマルヤマは驚かなかった。本物の先輩は隣で生きているのだから。その証拠に手を握ったら熱を感じた。飛び上がった。


「つまりこれは『粗忽長屋そこつながや』ってこと?」


 粗忽長屋は死んだドッペルゲンガーと出会う落語だ。ただ一つ違うのは、目の前にいる先輩が起き上がったことだった。


「初めまして」

「こちらこそ」


 そっくりな顔の二人はそっくりぺこぺこしている。笑顔で握手までしている。おそらく本物の方が振り向いた。


「そう言えばドッペルゲンガーに会ったら亡くなるって」

「今のところ大丈夫そうっすね。それにしても」


 マルヤマは腕を組んでムッとする。


「出会ったら死ぬなんておかしくないですか。どっちも先輩なんですよ。どっちも好きなのに。だからわたしが死なせません」


 先輩たちは二人して照れた。まったく同じように。鏡写しのような二人を興味津々で見つめていると、マルヤマは声を上げた。


「そうだ。いっそのこと合体しちゃえばいいんですよ!」

「合体!?」


 ドッペルゲンガーは肉体から分離した『魂』という説がある。二つに別れたのならば、その逆もまた可能なはずだ。マルヤマはさっそく先輩たちを両脇に立たせると、二人に自分の手を握らせた。


「じゃあはい、二人でわたしのほっぺにちゅーして下さい」

「どうして!?」

「つなぎですよ。わたしはパン粉なんです」


 ハンバーグのつなぎは崩れやすい食材を一つにまとめる効果がある。その原理と同じように、マルヤマが間に入ることで上手く結合できるというわけなのだ。

 

「いいですか。二人とも同じタイミングでちゅーしてくださいよ」

「う、うん」


 マルヤマの手に細い指が絡まる。鼻先に品のあるいい匂いがして、頬に柔らかいものが当たった。片方だけに。冷たい唇はちゅっと。


「ちょっと先輩、早いですって」

「ご、ごめん」

「こっちの先輩は積極的なんっすね♡」

「えへへ♡」


 楽しそうに話す二人を見てキクカワはムスッとした。


「あれ、もしかして自分に嫉妬してます?」

「え!?」


 あわあわと慌てる。その姿を見たドッペルゲンガーも自分に恥ずかしくなって慌てふためいた。そんな二人を見てマルヤマはニヤニヤした。


 ようやく頬にキスをしてみたものの何も起こらない。それから睨めっこをさせたり、二人にキスをさせてみたり、色々試してみたけれど結局一つにならなかった。


 それどころかドッペルゲンガーは目を合わせようとしなくなった。キクカワは何かに気付いて、マルヤマにそっと耳打ちをする。


「しばらく二人にさせてもらってええかな?」

「……分かりました。じゃあ飲み物でも買ってきますね。二人分の」

「ありがとう」


 賑やかだった部室はしんと静まり返る。先に口をついたのはドッペルゲンガーだった。


「もしかして私のこと分かった?」

「なんとなくね。あなたは私やもん」


 もう一人のキクカワは頬を赤らめてぽつりと言った。


「ほんまはもっとイチャつきたい。めっちゃチューしたい。いっぱい好きって言いたいの。その気持ちが私なの」


 彼女は目を細めて苦笑いを浮かべる。


「人を好きになるとね、自分が自分じゃなくなるみたいで」

「だから耐えきれなくなって器から溢れた」


 それが私と言うように彼女は頷く。


「あなたを受け入れれば」

「元に戻れる。でもキャパオーバーしてまうかもしれへんの」


 キクカワは両手をいっぱいに広げて、はにかんだ。


「今ならきっと大丈夫。マルちゃんは言ってくれたよね。どっちの私も好きって。だから私もあなたを好きになりたいの」


 ドッペルゲンガーはとぼとぼと歩きだす。足元のおぼつかない彼女をしっかりと抱きしめると、ほのかな暖かさを感じた。


「おかえり」

「ただいま」

「ねえ、二人が一つになる魔法の言葉、知ってる?」

「もちろん。私はあなたやもん」


 二人は笑って抱き合うと言葉も一つに溶けあった。


「抱かれてるのも私で、抱いてるのも私なの」

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