初めてのちりとてちん

「初めての気分をさ」

「うん」

「また味わってみたいの」


 坂道を下る足を止めて、きいちゃんは振り向いた。せいこちゃんは小首を傾げる。


「初めて?」

「そう。『ちりとてちん』みたいにね」


 ――ちりとてちんとは。ある店の旦那が誕生日を迎えた。祝いの席に呼ばれたのは褒め上手の男。何でも美味しい、初めてですと言って相手を喜ばせる。そんな気分のよくなる落語。


「これからやることは全部初めて。そんな気持ちになってみいひん?」

「ええね。じゃあ初めての下校デートする?」

「しますっ!」


 笑顔いっぱいで手を上げる。そんな彼女を愛おしそうに見つめて、せいこちゃんは柔らかく笑う。手を広げて差しだす。


「手、繋いだことあったっけ?」

「えー初めてかも♡」


 なんて照れながらも手を伸ばす。お互いの指を遊ばせて焦らしあう。言葉もなく見つめ合うと、ぎこちなく指を絡め合わせた。体温を確かめ合うようにぎゅっと手を握る。こそばゆくて思わず笑いが零れる。


「これが噂の恋人繋ぎかあー♡」

「初めてやからドキドキするね♡」

「ねー♡」


 首を傾げたまま目が合ってニヤける。あまりにもわざとらしくて、我慢できずに吹き出した。きいちゃんは口元を押さえて笑う。


「ね、今日はゆっくり帰らへん?」

「どっか寄るの?」

「ちゃうの。できるだけ長く手を繋いでたくって」

「もう、そういうとこ好き♡」


 そう言ってまた手をぎゅーっと握る。好きを手からも伝える。そうして二人は肩を寄せあって歩き出した。いつものように手を繋いで。


 初めての下校デートは楽しいでいっぱいだった。


 夕日の大きさに声を上げ、初めて見たように空の綺麗さに驚く。建ち並ぶビルを珍しそうに見上げて、飛行機が空を飛ぶことに感動する。足元に咲く花の可憐さに見惚れる。


 いつもの帰り道を初めてのように歩く。当たり前にあるものを初めて見た気分になる。それだけで目に映るもの全てが新鮮に見えた。


 きいちゃんはすっと指を上げてオレンジ色の空をなぞる。そこには今日初めての一番星があった。


「なんかさ、幸せって探せばいっぱいあるね」

「かもね。私たちが見落としてるだけで」

「じゃあ一緒に見つけようよ。小さな幸せをいっーぱい!」


 手を広げて無邪気に笑う。それが可愛くてせいこちゃんは「好き」と心の中で呟いた。なぜか少しだけ泣きそうになった。こんな時間が永遠に続けばいいのに。そう思っていても終わりは必ずやってくる。


 やがて家の明かりが見えて二人は足を止めた。結んだ手をほどく。きいちゃんは頭を掻きながらへにゃっと笑った。


「初めてのお別れかあ。何かいつもより悲しいかも」

「そうやね。でもまた明日会えるから」

「……うん。じゃあね」


 作り笑顔なんてすぐに分かった。世話がやけるなあと思いながらも、そこが好きなんだと、せいこちゃんはつくづく思う。だから彼女を呼び止めた。手をいっぱいに広げて微笑む。


「きーいちゃん。初めてのお泊りデート、する?」

「――するっ!!」


 ぱあっと明るい笑顔になったかと思うと、まるで「よし!」と言われた犬のように飛びつく。そんな世界一かわいいきいちゃんを優しく抱きしめる。


「抱き合ったのも初めて?」

「うん、こんなに暖かくて柔らかいんやね♡」


 瞬きもせずにお互いを見つめる。


「こんな可愛い子と会ったのは初めて」

「ウチも。せいこちゃんと出会えて良かった♡」


 吐息が重なり合う。せいこちゃんは最後に一つだけ訊いた。


「ね、キスしたことある?」

「ううん。初めて」

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