第24話

 十月になった。

 新さんは、由香里との約束を守ってくれた。おかげで、依然、タクヤとの交流は誰にも知られていない。

 

 穏やかな日々だった。不承不承といった表情ながら、新さんは、居残る由香里を黙認してくれている。志穂美も、ほんとうに懲りたのか、決して仕事が終わってから売り場に残ろうとはしなかったし、由香里への態度も変わった。

 恐れ。

 志穂美の由香里を見る目には、恐れが見えるようになった。

 由香里の日々は充実した。タクヤはおもしろいほど様々なことができるようになっている。それを楽しみに毎日が過ぎる。

 だから、夜の冷え込みが激しくなったある夜、萌絵に言われたことは意外だった。

「ねえ、だいじょうぶ?」

 神社の水を入れたペットボトルを抱えて、ふたたび売り場へ向かおうとしたとき、萌が由香里の前に立ちふさがった。

「何が?」

「どっか悪いんじゃないの?」

 萌の目が、心配そうに由香里を見据えている。

「悪い? どういうこと?」

「だって、すごく痩せたじゃない」

「ああ、そのこと」

 由香里は笑顔を返した。

「ダイエットしてるのよ。秋になると太るから」

 嘘だった。このところ、しっかり食べているというのに体重が減っていた。

「それだけじゃないわよ」

 萌は訝し気な視線を向けてくる。

「ほら、ここ」

 ふいに、後頭部、首の付け根の髪を触れられた。

「真っ白じゃない」

 咄嗟に、由香里は両手で頭を覆った。

「こんな白髪になるなんておかしくない?」

「た、体質なの」

 両手で頭を覆ったまま、由香里は萌から離れ、そのままトイレに走った。

 息を整えながら、見つめた鏡に映っていたのは、やつれた女だった。目の下は落ち込み、顔色はどす黒い。とても二十代の女には見えなかった。まるで、初老を迎えた疲れた女だ。

 

 萌に指摘された後頭部、首の付け根あたりの髪をつまんで鏡に映してみた。その部分だけが動物の尻尾のように真っ白になっている。一週間前、目立つ白髪を染めた。そのとき染め残したのだ。

 白髪は、染めても染めても増えた。この頃では、一週間は持たない。

 その理由を、由香里はあえて考えないようにしてきた。

 

 白髪になったのは、タクヤに初めて水を与えた翌日からだった。はじめは、ほんの数本、眉間のところに現れた白髪は、あの子どもと夜を過ごすようになってから数を増した。

 九月に入り、タクヤが小さな竜巻をこしらえるようになった翌朝、目覚めてみると、由香里の髪は老婆のように真っ白になっていた。慌てて帽子を被り、コンビニに走り、白髪染めを買ってきて染めた。それ以来、頻繁に白髪染めを繰り返している。

 

 体の異変は、髪だけではなかった。生理が来ていないのだ。もともと不順だったから気にしないようにはしているが、いままで来なかった月はない。それが、先月も今月も来ないままだ。

 じっと鏡を見つめながら、由香里は両手で頬を撫でた。頬骨が出た頬は、かさついてザラザラしている。

 まるで、体の中から水分が抜け出ているかのよう。


「まさか」

 由香里は思わず呟いた。

 神社の水で成長していくタクヤとは反対に、自分の体は急速に老い始めている?


 洗面台の上に置いた指先を、由香里はじっと見つめた。

 荒れた手だ。借金から逃げて暮らすようになってから、日々の暮らしを映すように手が荒れた。だが、今、指先は荒れたではすまされない見た目になっている。甲の部分に、汚い茶色いシミが泥をこすりつけたかのように転々と散っている。

シミの色は、タクヤの肌色にそっくりだった。

 もし、これが、体全体に広がったら。

 水道の蛇口をひねり、由香里は水を勢いよく流した。両手で水をすくい、顔を浸す。

 

 そんなこと有り得ない。

 ひたひたと頬に水を当てながら、由香里は思い浮かんだ考えを否定した。



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