第10話

「どういうことかはっきりさせましょう」

 由香里がロッカールームに入ると、志穂美はそう言って集まった者たちを見渡した。

 ロッカールームには、今日のシフトである清掃員が集まっている。千佳、聖子、おばあさんたち。

「わたしはこの現場の監督責任があるの。こういうことが起きて見過ごすわけにはいかない」

 志穂美の横で、千佳が勝ち誇った顔でうなずく。聖子は胸の前で腕を組み、わざとらしいしかめっ面をしている。

「千佳さんの時計が、あんたのロッカーから出てきた理由を説明してちょうだい」

 由香里はみんなの顔を順に見た。誰も視線を合わせようとしない。庄司さんも三加茂さんもさりげなく目を逸らす。

「わたしじゃありません」

 由香里はきっぱりと言った。

「否定するの?」

 志穂美の目が細められる。

「正直に言うんなら、わたしにも考えがあったんだけど」

 考え? どんな考えだっていうの? こんな茶番を仕組んでおいて。

 聖子がこちらに顔を向けた。

「素直に謝れば志穂美チーフだって悪いようにはしないわよ」

「謝る?」

「そうよ。罪を認めて、千佳さんに謝るの」

 聖子の目は輝いていた。おもしろくてたまらないのだ。仕事は毎日、同じルーティンの繰り返した。その上、一生懸命やっても、報われる機会は少ない。この盗難騒ぎは、聖子にとって格好の退屈しのぎなんだろう。


 由香里の両手の拳に力が入った。

 我慢しなくては。我慢するんだ。

「わたしは知らないんです。泥棒なんかしてません」

「お嬢様大学をご卒業なさってるらしいけど、泥棒するなんて、ね」

 千佳の嫌味が続く。志穂美といい、千佳といい、由香里が世間で知られた女子大を出ているのが気に入らないのだ。

 苦労知らずの馬鹿女。前の職場でそう罵られたように、ここでもそう思われているのだろう。


「こんな人といっしょに働けません!」

 千佳が志穂美に訴える。

 萌が耳元にささやきかけてきた。

「とにかく謝っちゃいなよ」

 由香里は目を剥き、息を詰めたまま首を振った。

「仕方ないわね。どうしても罪を認めないんじゃ」

 志穂美は大げさなため息を漏らす。


 謝るべきなのだろう。

 由香里は思った。志穂美は由香里の謝る姿を見たいだけなのだ。

 壊されて、情けなく曲がった自分のロッカーの鍵を見つめた。今、自分もあんな状態だ。無理矢理辛い目に遭わされて、自分というものを曲げられている。


 だが、由香里は謝罪の言葉を口にできなかった。以前の職場、その前の職場でも、こちらに非がないのに責められた。その度、自分は戦ってきた。


 ううん、嘘。戦ったことなんかない。逃げてきただけだ。押し黙って去ってきたのだ。


「上にあげて、あんたの処遇をどうするか決めてもらうわ」

 また職探しか。

 ようやくここにも慣れてきたというのに。

「由香里さん、なんか言いなよ」

 萌に脇腹を突っかれたが、由香里はうつむいたまま自分のロッカーに向かった。辞めさせられるにしても、今日じゃない。今日の分は働いて給料を貰わなければ。


 由香里が着替え始めると、庄司さんや三加茂さんも目が覚めたように動き始めた。千佳と聖子は、こそこそと何やらささやきながら、志穂美と共に部屋を出て行く。

 着替えをすませ、ロッカーの扉を閉めようとしたとき、扉の裏側に掛けてある小さな鏡に萌が映った。

「言い返さないから付け上がるんだよ」

 鏡の中の萌は、目を吊り上げている。

「ああ、歯がゆい。見てらんない! ああいう連中はね、弱いヤツしか狙わないんだよ」

 わかっている。どこの職場でもそうだった。人間は所詮動物。弱肉強食。弱い者は狙われる。


「ありがと。味方してくれて」

 由香里が振り返ると、萌は泣きそうな表情になった。

「由香里さん、辞めないで」

「辞めたくないけど、辞めさせられたら仕方ないから」

「このまま亡き寝入りするの?」

「だって、どうすればいいの。社員の人、ほかに知らないし」

「どうしてなんだろね。なんだってこんなに由香里さんばかり目の敵にするんだろ」

 さあと由香里は返して、もう一度萌に礼を言った。理由なんか探っても仕方がない。志穂美のような人間は、ターゲットなんか誰でもいいのだ。

 そのとき、廊下の先でガヤガヤと声がした。声高な話し声がする。あれは、売り場主任の声じゃないだろうか。

「さ、仕事」

 掃除道具を積んだカートを引いて、由香里は萌と持ち場へ向かった。

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