第4話


 お盆になると、僕はアキの実家に行く。「遠いんだし、あなたには未来があるんだし、もう来なくても良いよ」ってアキのお母さんは言うけれど、僕は僕の意思で、レモンティーを持ってそこに行く。

 アキの家族もいるから、なんとなく恥ずかしくて、自分の近況報告はあんまりしなかった。最近こんなことが流行ってるんだ、とか、こんな事件があったんだ、とか、そういう話ばかりをしてた。

 ある時、ハロウィンだからと大騒ぎしているニュースを見た。僕は「そもそもハロウィンってなんだっけ?」って疑問に思って、調べてみた。どうも、その日は「あの世とこの世が曖昧になる日」らしかった。僕はその時、閃いた。


 ――ハロウィンの日なら、きっとアキに会える。


 次の年のお盆。僕はいつも通り、アキの実家にお邪魔した。流行ってることとか、ビッグニュースを話して、それから――僕は、アキに語りかけた。

『ハロウィンの日。あなたは雨音に誘われて、窓を開けました。大好きな雨の香りがするかと思いきや、甘くて酸っぱい香りが鼻をくすぐります。なんと、空からはあなたが大好きなレモンティーが降っていたのです。あなたはレモンティーが大好きだから、それをペロリと舐めるだけでは満足できるはずがありません。コップに雨をためて、ぐびぐびと飲みました。そうしたら、お腹はタプタプになって、目はパッチリ。流石に飲みすぎちゃったかな、と、外を見ると、レモンティーはもう、やんでいました。雲はふわふわと泳ぎ去り、隠れていた月がきらりと輝きます。月からは、虹色の橋がおりてきました。その橋のたもとがどこであるか、じぃっと見てみると、どうも、にこにこ公園のようです。あなたは、橋のたもと、にこにこ公園を目指して、冒険を始めました――』

 僕は中高と演劇部にいた。演じることには興味がなかった。僕の入部理由は、裏方仕事がしたいから、だった。そんな理由で入部する人なんてレアキャラで、だからか僕は、やりたい仕事をやり放題だった。照明を担当したいときには、照明担当になれたし、音響を担当したいと思えば、音響担当にもなれた。僕が選ぶより先に裏方仕事を選ぶ人なんて、ほとんどいなかったから。

 みんながオーディションだとピリピリしている中で、僕はのんびり脚本を書いたりもしていた。でも、オリジナルストーリーの脚本は書いたことがなかった。誰かの空想を、誰かに届けるために文字に起こすことはできても、自分の空想は、誰にも届けられずにいた。

 僕が、自分の空想を誰かに放ったのは、アキに宛てた、ハロウィンの日にレモンティーが降ってくるって話が、はじめてだ。

 出来に自信はない。だから自分の思考の外に出すのは少し恥ずかしいと思うし、迷いもある。

 でも、アキにこの話を聴かせたら。アキはハロウィンの日に、あの思い出の公園に、やってきてくれるかもしれない。そう考えたら、勇気が出た。

 もし、来てくれたなら。その日は、その日だけは、ふたりっきりで会える気がした。お盆に帰ってきてくれているって、信じているけれど、アキの家族とか、みんなに会いに来てくれているだけだろうから。僕はアキを、ひとりじめできない。

 こんなことを言うと、子どもっぽいのかもしれない。僕はもう社会人なのだから、本当は、こんなわがままを言ってはいけないのかもしれない。でも、僕は、アキとふたりっきりの時間が欲しかった。もう二度と、この世ではその時間を、作ることができないから。一年のうちに、たった一日、いや、数時間だっていいから、ふたりっきりで、話したかった。

 僕は、アキに会えなくてもいいから、ハロウィンの日にはにこにこ公園に行こうと決めた。ハロウィンって言っちゃったけど、来るとしたら何時かなぁ。朝の方かな、夜の方かな。悩んで、僕は30日の夜から、そこで張り込んだ。


 月明かりが綺麗な夜だった。

 雲がもくもく泳いできた。雲はサァーっとベタついた雨を降らせて、そのまま泳いでどこかへ消えた。月の光は、金平糖みたいにカラフルな輝きを纏いながら、その手を伸ばす。

 まるで、空想の中にいるみたい。

 そのとき僕は、その瞬間が、夢が現実か。いまいちよくわからなかった。世界は曖昧だった。

 僕は世界を見回した。まあるい街灯がピカピカって明滅した。足音がする。誰かが来る。そうではなかったら苦しいからって、どうせアキじゃないよって、自分に言い聞かせた。

 誰かが公園に入ってきた。それが誰か、この目で見る。

 僕は、弱い。

 そうであっても、苦しかった。

「あ、いたいた」

 なんとなく、「きた」って言いたくなかった。別の世界に住んでるみたいな、そんな音がするから。

「あれ? ハヅキじゃん。こんな時間にどうしたの?」

「そっくりそのまま、アキに返すよ」

 こうして僕らは、ハロウィンの日に、ふたりっきりで会えるようになった。


 でも、はじめて会えた日に、僕は僕がしたミスに気づいた。

 僕が作った、アキと会うためのお話には、月があった。そのせいだろう。僕の世界で月が出ていなかった年、僕はアキに会えなかった。雨が降らなかった日には、自販機で買ったレモンティーをそこら中に撒いて、強引に条件を整えた。でも、月は――月はごまかしが効かなかった。

 まるで、織姫と彦星だ。

 あの、月から伸びてくる光の手は、天の川で、アキが曖昧な世界を渡る橋で。

 僕たちは、一年に一度、条件が揃った時にだけ、会える。

 話をしたり、何度も会ってみて気づいたことだけれど、あっちの世界の時間は、こっちの世界とは異なる進み方をするみたいだ。もしかしたら、あっちの世界には魔女がいて、ずーっと同じ年をぐるぐるしているのかもしれない。

 僕はだんだんと老いていく。そうして、わずかな違和感が確かな違和感に変わっていって、そのときようやく、アキと僕が住んでいる世界が違うってことがはっきりとした形を成すのだろう。

 僕がおじさんになったら、アキはどんな顔をするだろう。

 僕はおじさんになるまで、アキを求め続けるのだろうか。

 僕はおじさんになっても、この世界で独りなのだろうか。


 今はただ、ハロウィンの魔法にかけられて、あの世とこの世が曖昧になった瞬間に、アキに会える幸せを、噛み締めていたい。

 いつかのことなんて、今考えなくたって良いだろう。

 互いが、いや、どちらかが――。

 違う。僕がピリオドを打つと決めるその時まで、延々僕は、月を通して、あの世に語りかけるのだ。僕の頭の中の、お話を。



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