大神の証言
表の吉原にいた頃は、姐さんたちが客を取って相手をしているときは当然ながら部屋に招き入れてもらえる訳もなく、ひゅるりらと隙間風の入る下働きの部屋で雑魚寝しているのが常だった。
布団はぺたんと薄い布団だし、誰かがずっといる部屋は落ち着かず、眠りは常に浅かった。
今回は大神様と一緒の部屋で眠るものだから、もっと眠りは浅いと思っていたのに。
日の出直前に目が覚めると、私は慌てて髪を整えた。見てみると
「おはよ。音羽。大丈夫だったか?」
「おはよう……
「いいや……どっちみちこの見世にいる発情期の雌を探し出さないことには、この大神だってそれに引きずられるんだからさ……それはさすがに可哀想だ」
どうも
そうこうしている内に、備え付けの台所へと向かう。
遊女は泊っていったお客様に朝餉を用意しないといけないのだ。そうは言っても、お客様が起きるまでに出さないといけないから、手の込んだものはつくれない。
結局つくったのは、ご飯に鰹節、梅干しを乗せてつくったお湯漬けだった。これを私と
「とりあえず、あの荒神様が起きたら出せばいいんだよな。これを」
「そうだけど……」
私はあまりなにもしていないと思ったものの、
「気にするなって。とりあえずあの大神が荒れてる原因がわかっただけでも儲けものだろ。俺が音羽についてきてなかったら特定もできなかったんだしさ」
「それはそうなんだけど……」
ふたりで部屋に戻ると、ようやっと大神様が目を覚ました。
昨日あれだけ荒れていたのが嘘のように、精悍な顔に戻っていた。
「昨晩はすまなんだ。自分が通っている娘も、これが原因で寝込んだんだな?」
「……大変申し訳ながら」
「そうか。見舞いに徳と滋養の効くものを送ろう」
発情期で人格が変わる程度荒れていたというのに、それが抜けたらあまりにも冷静な方だったのに、拍子抜けする。
皆で湯漬けをすすりながら、私は「あの……」と大神様に尋ねる。そのひとはこちらをちらりと見た。
「……現在、探している遊女がいるんですが、その方をご存じですか?」
「ふむ? 裏吉原については、住民のほうが詳しいのではないか?」
「住民でも探せるところは、全部探したんですが、見つからなくて……
大神様だって、そんなこといきなり聞かれても困るだろうけれど、こちらだって神様に聞き込みができる機会なんて、そう何度も何度もない。
湯漬けをすすり終えた大神様は、とんと器をお膳に戻した。
「まあ、久々に心地よい睡眠を得られたのだから、それくらいは返そうか。なにかその者の持っていたものでも持ってないか?」
「そう言われましても……」
裏吉原には気の身気のままで来たんだし、姐さんと火事から逃げるために堀に身を落としたのだ。もしあったとしても、ここに流されるまでに失くしてるんじゃ。
私が困り果てていると、黙って話を聞いていた
「今ここにはありませんけど、着物くらいだったらなんとか」
「え……
思わず聞くと、
「音羽が流されて師匠に拾われるとき、師匠は音羽と一緒に着物を持って流されてたんだよ。とりあえず洗って干してしまってるけど」
「そんなの聞いてない」
「オマエの着てたのはあんまりボロボロだったからさすがに捨てたけど、なんか綺麗なのは拾った」
「そんなの本当に聞いてない」
「ええ……」
私たちのやり取りを聞いていた大神は、「ふむ」と言った。
「死神を使いに出そう。六道屋の前にその着物を持って参れ。それで礼といたそう」
そう締めてくれたのだった。
****
大神様をお見送りしたあと、六道屋の遣り手に、事の次第を報告した。発情期の雌がいるというのには、さすがに遣り手も顔を引きつらせて、遊女たちを全員調べはじめたので、これで動物の神様やあやかしが発情期に釣られて暴れることも減ると思うし、ここで働く遊女たちに無体をすることも減るとは思う。
この件で倒れていた遊女さんには、きちんと見舞いの品と徳が贈られるんだったら、彼女が体を張っていたことにも無駄にはならないと思う。
遣り手に許可をもらって、遊女たちが寝ている雑魚寝部屋や部屋持ちの部屋も調べさせてもらったけれど、とうとう見つかることがなかった。
だとしたら、あとはもう一軒、荒木屋に賭けるしかないのだけれど。
そこでもう見つからなかったら、姐さんは裏吉原にはいないということになる。
そのほうが嬉しいのか、ここには私しかいないんだって悲しめばいいのか、自分でもよくわからなくなっていた。
万屋に帰る道すがら、
「元気出せって。これから大神様に見てもらえるんだからさ。それでまだ探し出せる算段が出るかもしれねえじゃねえか」
「うん……そうなんだけどさ……もし姐さんが私と一緒に堀に落ちて死んでたらどうしようと思って……」
「逃げられたかもしれないだろ」
「でも……逃げられたのならどうして私、綺麗な着物と一緒に流されてるの」
火事の前、私はたしかに繕い物をしていた。でも逃げる最中に着物を放り出して逃げ出している。なら
……姐さんが死んで、そのまんまどこかの女郎屋に捕まっていたらどうしよう。だんだん涙目になってくる。
「だから、まだわからないんだから、想像だけで泣くのはやめろよ」
「……うん、ごめんなさい」
「謝る必要もないけどさあ」
そう肩を竦められている間に、ようやっと万屋が見えてきた。
相変わらず先生は、紫煙をくゆらせて煙管をふかせていた。私たちが「ただいま戻りました」と挨拶をした途端に、破願する。
「どうも無事のようだね」
「はい……心配おかけしました。あのう……私が拾われてきたときの着物って、まだ残ってますか?」
「音羽のかい? ボロは捨てたよ」
「そちらじゃなくて……私と一緒に、綺麗な着物が流されてきたって
「ああ……あれかい」
先生は箪笥から引っ張り出してきた着物を見た途端に、私はボロッと涙を溢した。
あのとき、姐さんは着物を脱いで襦袢姿になっていた。だから着物が流されたと言ってもピンと来ていなかったけれど。姐さんがどこかのお客様に贈られてきた着物。桜の柄に金貼りの蝶が飛んでいる着物は、姐さんの一張羅だった。
逃げ出すとき、着物を急いで脱いだとき、火事の風になぶられたんだろうか。姐さんが吉原から逃げる気満々で、着物を捨てたんだろうか。わからない。わからないけれど。それは紛れもなく姐さんのものだった。
先生も
「おやめ。涙で濡れたら着物が駄目になる」
「すみません……すみません」
「謝る必要もないけどね。でもいきなりどうしたんだい、この着物を引っ張り出してきて」
「うん……ちょっと荒れていた神様をなんとかしたら、お礼に捜し人探す手伝いしてくれるってさ」
「はあはあ……お前さんたちなにをやったんだい、神が手を貸すってよっぽどのことじゃないか」
「あれは神様が可哀想だから内容は言えないけど。持ち物があったら探してやれるって言われてるからさ」
「なるほどね。あたしの場合は大見世なんかにいられたら手も足も出ないが、神はその限りじゃないか。裏吉原なんて、神がつくったようなもんなんだから」
先生は納得したかのように一旦煙管を煙管ケースに納めると、自分の徳を溜め込んだ瓶を取り出して、それを私に振りかけてくれた。
一瞬意味がわからないと思ったら、泣き過ぎて目尻が腫れ上がっていたのが、腫れが引いたような気がした。
「あんたが心細いって気持ちはわからなくもないがね、その顔で出かけるのはおやめ。ほら、着物をお貸し。きちんと風呂敷に包んでやるから」
「……ありがとうございます」
先生が風呂敷にくるんでくれた着物を持ち、私は頭を下げた。
「それでは、一旦着物を渡してきます」
姐さんが、ここにいるのかいないのかくらい知りたい。
もし探し出せなかったんなら、その理由が知りたい。
……姐さんが死んだんだったら、せめて弔う機会が欲しい。
自分の中でぐるぐる渦巻く気持ちを飼いならし、私は六道屋へと向かっていった。
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