荒神様おやすみなさい

 私たちがひたすら謝りに行かないといけない荒神様の元へは、禿が案内してくれることになった。私たちの前を歩く禿は、気の毒なほどに脅えていた。


「あのう……ご病気になられている遊女さんは、今は?」

「……寝込んでおられます。うちでも稼ぎ頭の方なのですが、今日お会いする方が旦那になって以降、痩せ衰えていくばかりで、とうとう倒れたのです」


 それって、ものすごく厄介な客を抱え込んだんじゃ。

 あまりにも厄介が過ぎる客の場合、表の場合は見世の店主が追い出す手はずを整えるけれど、そもそも裏吉原は神のための遊郭なのだから厄介なんだ。

 私の隣を歩く不明門あけずくんはシャランと髪飾りの音を立てながら禿に尋ねる。


「それって苦情を言うことはできないのかよ」

「……できたら遣り手さんも店主様も困りませんし、謝りに行ってお帰り願うこともありません」

「ああ、ごめんなさい。別に怖がらせたかった訳ではなくって」


 禿は小さな背中を丸めてさらに小さく見える具合に脅えきってきた。

 とにかく私たちは怒り狂って荒ぶっている神様を鎮め、無事にお帰り願うこと。できることなら、このまま次に見世に来るときは鎮まっていて欲しいけれど、そればかりは運に頼らざるを得ないだろう。

 やがて、むせかえるような紫煙の漂う部屋に辿り着いた。

 そういえば。私はこの部屋の近くには男衆がいないことに気付いた……表だった場合、どこも暴力沙汰になるようだったらすぐ引き剥がすようにと、男衆は部屋の中にこそ入らないものの、外で待機しているのが常だったのに。

 いよいよもって、今回不明門あけずくんを連れてこなかったらまずかったんじゃあという顔になる。

 禿は震えたまま、ぺたんと廊下に座って手を突いた。


「こちらになります……どうぞ、ご無事で」

「案内ありがとうございます。どうぞ遊女さんにもよろしく伝えておいてください」

「はいっ……」


 部屋を案内し終えた禿は、一目散に退散してしまった。いったいどれだけ怖い神様なんだろう。不明門あけずくんは目を細めた。


「大丈夫かね、本当に」

「わからないけど……わからないけど、ここで行かないと残りの手がかりは掴めないから」

「なら行くか」


 私たちも廊下に座り、部屋の向こうへと声をかける。


「失礼します。本日遊女は病欠につき、私たちがお話に参りました」

「……なんじゃ、桔梗ききょうは留守か」


 その声は低く、唸り声のようだ。私はどうしようと不明門あけずくんに助けを求めた。不明門あけずくんは間髪入れずに声を上げる。


「姐さんは病に伏せっておられ、本日は旦那様のお相手が務まりません。我々で満足できない場合は、どうぞお引き取りを」

「ほう……桔梗の代わりにふたりも付けてくれたか」


 ピチャンピチャンと舌なめずりする声が漏れる……怖い。私は泣きそうな顔で、バンバンと不明門あけずくんの肩を叩いた。


「なんでそんな言い方しちゃうの。やだよ。ただ帰ってもらうだけの話だったってのに」

「大丈夫だって。なんにも起きやしないから」

「でも……」

「失礼しまーす」


 私がすっかりと脅えてしまっていても、不明門あけずくんは平然と戸に手をかけて開けてしまった。

 その部屋の様子に、私は思わず「ヒュン」と声を上げた。

 布団に枕、提灯。それらの準備はしたことがあっても、使ったことはない。その生々しさに今にも逃げ出しそうになったけれど、隣に座っている不明門あけずくんは釣り目でじぃーっと神様を見つめている。まるで犬が威嚇する際に、威嚇対象から目を離さないような態度。

 その怖い物知らずな態度が、私をなおも縮こまらせる。

 そして通されて座っていた神様は、イライラした態度を隠そうともせず、白い髪に長い尻尾を垂らした、着流しを着ている男性だった。

 私と不明門あけずくんを見ると、神様は舌なめずりをする。


「それで、どちらが先に相手を?」

「では自分が」

「ほう……? あやかしか? 化け狐か」


 私は慌てる。まさか魔法で姿かたちを変えているとは言えど、私を庇って彼に危ないことはしてほしくない。私が声にならない悲鳴を上げているが、不明門あけずくんは肩を叩いて、耳打ちをした。


「……正直、同族で助かったよ。これは早く終わる」

「え、あの……不明門あけずくん、本当に大丈夫……」

「ヘーキヘーキ」


 彼は本当にものともせずに神様の傍に寄ると、そのまま神様を布団に押し倒した。ここからなにかをするのかと緊張し、目を離すか離すまいかと思ったら、意外なことに掛け布団をかけて、ポンポンと叩きはじめたのだ。

 気のせいか、神様は喉からグルグルと声を上げはじめた。いったいなにが起こっているのかわからない。

 しばらく神様がグルグル喉を鳴らしていたと思ったら、すぐに静かになってしまった。まさか死んでない? そう焦ったものの、神様は目を閉じてすやすやとしているし、それを平然と不明門あけずくんは見下ろしていた。


「あ、あのう……不明門あけずくん。これ、なにやったの? 神様がいきなり倒れて、寝ちゃったけど」

「ああ、これ? この神様、大神おおがみだ。そんな相手を疲弊させるほどって、なにをするのかと思ってたけど、なんてことはない。そんなの発情期の症状だよ」

「は? はつ……?」


 聞き慣れない言葉ばかりが並んで、私が心底困り果てる。それに不明門あけずくんはどうしようかというような顔をした。


「動物に連なるあやかしや神様がなる奴だよ。春先だったら、犬や猫が鳴き出して止まらないってことない?」

「ええっと……たしかにどこかの犬がずっと遠吠えをしているような……」

「あれが発情期だよ。この神様、誰かの発情期にずっと当てられて、狂暴になってる」

「……ええっと?」

「あやかしにしろ神様にしろ、雄が雌の発情期に当てられて狂暴になることはよくあるから。気の毒にここの姐さんもそれのせいで疲労困憊になって倒れたんだな」

「それ、駄目じゃないの? だって今後もそれに当てられて狂暴になられたら……」

「この辺りは遣り手に打診しておいたほうがいいだろうな。お帰り願うのはかなわなかったが、一応大人しくはなった」

「……なにをして、そんなに大人しくなったの?」

「俺が女の姿してたから許してくれたんだろうなあ。普通に撫でただけだよ」


 そう言いながら、不明門あけずくんはひょいと私の手を取った。意味がわからないと思ったものの、彼の袖からシャランとなにかが出てきた。それは小ぶりな箒だった。ちょうど窓の溝掃除をするための。


「あのう、これ……」

「これで大人しくなるまで撫でただけだよ。もし動物の神様じゃなかったらもっと難儀したけど、そこまでひどいことにならなくって助かった」

「あ、はははは……」


 とうとう緊張の糸が切れて、私はその場にへたり込んだ。一方不明門あけずくんは私の隣に座る。


「あー……でもしんどかった。いい加減元に戻りたいけど、客ほっぽらかしておく訳にもいかないよなあ。どうしよう」

「このまま寝付いてしまったお客様の場合って……」

「お見送りがあるからな。それまで俺たちもここに待機だよ。もう音羽は寝とけ。俺は寝ずの番しといてやるから」

「私だけ寝る訳にも……」

「ちゃんと寝とけよ。俺は万屋に帰ったら寝るからさ。オマエの姐さん探したいんだろ? 頭しゃっきりしてなかったら探せねえだろ」

「うう……」


 不明門あけずくんに気を遣われ、私は部屋の端っこに寄ると、そこで丸まって眠ることにした。


「肩貸してやるのに」

「そ、それは悪いと思うから。だからと言って神様と一緒に寝るわけにもいかないし」

「そりゃそうだ。ならおやすみ」


 あっけらかんと言われてしまい、閉口する。

 見世の部屋で寝ているというのに、こうも色気がなくっても大丈夫なのか。そうは思ったけれど。お客様を鎮められたんだから、これで褒美をもらわないと困る。

 私ひとりだったらまず無理で、不明門あけずくんがすぐに対処しなかったらどうしようもなかった。

 喜多さんといい、不明門あけずくんといい、世話になりっぱなしだ。ちゃんとお礼をしないと。お礼……なにをすればいいのかな。

 とりとめもないことを考えていたら、うつらうつらと眠気に誘われ、そのままスコンと寝付いてしまった。

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