六道屋の荒神

 前に訪れた観世屋も極彩色の場であり、いるだけでめまいがした場所だったけれど。

 この六道屋の持つ朱色に塗られた柱、あちこちに技工を凝らした室内を思うと、どちらも徳を積んでつくられた極楽浄土を思わせる見世なのだろうと思わせる。

 漂うむせかえるようなおしろいの匂い、紫煙の香り。私は自然と不明門あけずくんの袖を掴む力が強くなっていた。普段の男の姿であったらそんなことしないものの、女の姿だと私を可愛がってくれていた姐さんたちを思わせて親しみやすくなり、どうしても掴まずにはいられなかった。

 しかし私の付き添いに女の姿になってくれたとしても、不明門あけずくんはあまりにもいつもの不明門あけずくんのため不親切だ。


「音羽、動きにくいって」

「ご、ごめんなさ……でも……ここ怖い……」

「普段そこまで脅えてないだろ。それに、前は観世屋に行けただろうが」

「あのときは、喜多さんの依頼のついでに……だから……」


 たったひとりでだったら、観世屋にだって行けなかったし、菖蒲様に「姐さん知りませんか?」なんて堂々と聞くことはできなかった。

 喜多さんには感謝しかない。

 私の背中を丸めての脅えように、不明門あけずくんは溜息をついた。


「……やめとけって。六道屋は裏吉原でも一番悪評のある場所だ。弱みを見せたら丸ごと食われるぞ」

「……食われるって、私はそもそも客では」

「情報抜こうとしただけで、どれだけ徳吸われるかわかったもんじゃねえからな。オマエがこんなんだから、師匠も俺を付けたんだろ。ほら、行くぞ」

「あの……」


 観世屋に行くときは裏口から行ったというのに、不明門あけずくんは堂々と表から入ろうとするのに、私は慌てて彼の袖を引っ張る。


「そ、そっちは! お客様用出入り口だから……私たちが行っていいもんじゃ……」

「あのなあ……前のときは喜多の依頼から中の奴としゃべれたんだろう? そのときと違って今回は紹介状じゃん。紹介状見せて意味を見出してくれるようなひとじゃなかったら意味ないだろ……遣り手に見せるぞ」

「ひいっ」


 私は思わず叫んだ。

 ……遣り手は基本的に遊郭の遊女を取り締まるひとであり、元遊女がなる場合が多い。そのひととやり取りしないといけないとなったら、当然ながら身も竦む。

 私がガタガタ震えているのに気付き、不明門あけずくんは「あー」と言う。


「そっか。表で売られてたんだっけか。まあ、俺もいるし、よほどのことがなければ大丈夫だろ。遣り手だって、問答無用で女を見世に揚げたりしないし」

「そ、そうだよね……ははは」


 不明門あけずくんの腕に抱き着きながら、私は六道屋の入口へと向かった。


****


 六道屋の遣り手を見て、思わず茫然とする。

 普段見慣れた遣り手というひとは、皆骨と皮を着物で包んだような、目玉だけ欲に塗れたおっかないひとという印象だったのに。六道屋の遣り手は、艶という艶を詰め込んだひとであり、髪を上品に結い、着物をしゃんと着こなしている様は、大店の女将と呼んでも差し支えはなさそうだ。

 私を表で扱き使っていた人はなんだったんだと、煙管を吹かせているそのひとを見て、愕然とする。

 私が隣で茫然としている中、不明門あけずくんはさっさと要件を切り出した。


「こんにちは。観世屋から紹介状を書いてもらって、調査をしたいんですけれどよろしいですか?」

「はあ……観世屋さんからはなにも聞いてはいませんけれど?」


 形のいい唇から紫煙が立ち上るのは色っぽい。この遣り手も元は遊女だったんだろうか。それとも神に頼まれて雇われたひとなんだろうか。裏吉原の常識は私の知っているものと同じだったりずれていたりするから、未だによくわからない。

 遣り手にすげなく言われて、不明門あけずくんは私のほうに振り返る。


「ほら、音羽。説明」

「えっと……はい、菖蒲様より紹介状をいただきまして……それで、捜し人を探させていただきたいのです」

「ああ……先日神に身請けされた。あれだけ見事な身請けは久々に見届けましたが……そうですか、菖蒲様にはうちもなにかと世話になりましたからね。いいでしょう。調査は認めます。ただし」


 遣り手の目がギラリと光った。

 ……表で見てきた遣り手と比べると相当美人だけれど、このひとは裏吉原の遣り手なんだなとわからせられた。遣り手の目は、いつだってギラギラ光っている。


「今晩、うちで部屋持ちの遊女が相手をなさる神がいらっしゃるのですが、その遊女は今朝から風邪をこじらせています。どうにか相手の神を怒らせないようにお帰りねがえたら、という条件がありますが」

「おい……そんなの……」


 思わず不明門あけずくんが文句を言い出すのに、私は彼の袖を引っ張った。


「……あくまで、お帰りねがえれば、ですね? さすがに神様の伽は無理です」

「ええ。さすがになんの仕込みもしてないおぼこに、そういうことはさせられません」


 そこはきっぱりと遣り手は答えた。

 ……正直、もっと無理難題を叩き付けられると思っていたから、もしかするとこれは結構運がいいのかもしれない。


「わかりました。ありがとうございます」

「そうと決まれば、服は用意します。着替えてらっしゃい」

「……はい?」

「その貧相な格好でお客様の世話をさせられる訳ないでしょう。あなたの場合は醜女ですから、神も相手はなさらぬでしょうが、それはそれ」


 遣り手はあからさまに私の火傷跡を見て言うので、思わず逆らいそうになったものの、今は我慢だ。


「……わかりました。お話、お受けします」

「ええ、ではこちらへどうぞ。あなたもですよ」

「わかりました」


 意外なことに、ここはあっさりと不明門あけずくんも乗ってくれた。

 遣り手に部屋に案内され、「化粧はお任せします。着付けは途中まで着たら残りは男衆がしますから」と言い残して立ち去ってしまった。

 私は化粧しながら、不明門あけずくんを申し訳なさそうに見た。


「ごめんなさい……私ひとりだけ行けばよかったのに」

「おいおい。オマエひとりだけだったら、なおのことまずいだろうが。部屋持ちの遊女ってことは相当いい遊女が体調不良で約束破りってことは、その神相当怒ってんぞ。それを怒らせずにお帰りねがうとしたら、もう四の五の言わないで頭下げ続けるしかないだろ」

「遣り手さんだって言ってたけど、火傷跡のある女には多分神様だって興味はないよ」

「……あのなあ」


 不明門あけずくんは呆れたような顔で私と距離を詰めると、化粧を施す前で、未だに全く隠れていないぼこぼことした火傷跡に触れた。それに私は慌てる。


「手! 汚れるから!」

「拭くからいいよ。そりゃさ、神は知らん。遣り手だって神を相手にしてきたんだから美意識は神寄りなんだろうさ。だけどさあ、俺は全然それを醜いなんて思ってないんだよ。だって火に負けなかったってことだろ? 格好いいじゃん」

「……それは、お父さんに炭投げつけられたのを顔で被ったから……」

「どうせ音羽のことだ。そこまで体張ったのはなんかあったんだろ」


 その言葉に、少しだけじんわりと胸を打った。

 先生といい、不明門あけずくんといい、喜多さんといい、私の周りのひとたちは優しいひとしかいない。

 不明門あけずくんは本当に適当におしろいを塗りたくったのを見かねて、私が白粉を伸ばしてあげ、唇に貝紅を差してあげた。女の彼は化粧をしたら、化け狐のせいなのかずいぶんと色っぽくなってしまった。

 それで堂々と作務衣を脱ごうとするのに「もうちょっと! 恥じらいを持って!」と叫んだのを、彼だけは訳がわかっていなかった。

 ……でも、彼だけに頼ってたら駄目だ。

 怒れるお客様を鎮めなかったら、ここでの調査はできないんだから。

 出された着物は、前に着たものよりもうなじをあらわにする形のもので、着終えて男衆のひとに帯を頼んだら、かなりギチギチに締められてしまった。

 これ、普段伽の世話をしているひとたちと同じ着方なんだろうか、苦しくないんだろうか。そう思いながら、私たちはふたり揃って怒れるお客様の元に向かっていった。

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