手がかりはまだ
綺麗過ぎるひとは、私のほうをじっと見た。
喜多さんは声を出さずに口だけ動かす。「早く聞け」と。
気後れしてしまった私は我に返り、どうにかして声を絞り出そうとする。
「大変申し訳ありません。ひとつだけお伺いしてもよろしいでしょうか?」
しゃべると声が震え、自然と脂汗が滲み出る。その中でも綺麗なひとは急かすことなくこちらを黒真珠の瞳でじっと見つめていた。
そのことに少しだけほっとしながら、私は続けた。
「……探し人がいます。ただ、その方は裏吉原に来ているかどうかさえ、定かではありません。あちこちを探しましたが、裏吉原で探してないのは、もう大見世だけになります……姐さんを……
私の吐き出した言葉を、綺麗過ぎるひとはしばらく黙って聞いていた。やがて、ひと息ついた。
「大見世を探したくとも、探せませんでしたか。あなたはたしか、万屋の方でしたね?」
「あれ……どうしてそれを」
そもそも、今回の依頼は喜多さんのものだから、私はあくまで付き添いだ。どうして彼女が私のことを……しかも万屋の人間だと知っているんだろう。
私が戸惑っている中、綺麗過ぎるひとは淡々と答えた。
「部屋持ちは高いこの部屋から裏吉原を見渡せますから。細かい話まではさすがに流れてきませんが、有名人の噂くらいな概ね把握できます。異国から来た術師の営む万屋というのは、あの方が振り払うことができなかったら、そのまま男娼屋に入れられてもおかしくはありませんでしたから」
その言葉に、先生が常日頃から棚の中を占めるほどに墨色の徳を溜め込んでいるのを思い返してぞっとした。
……あの人は、自分に需要があるのを見越した上で、無視できるほどに徳を積み上げていたんだ。
綺麗過ぎるひとは私がひとりで青褪めている間も続けた。
「そして
「そうですか……ありがとうございます」
「でも、そうですね」
彼女はじっと私のほうを見た。
女の私から見ても、彼女は美しくていい匂いがするものだから、自然とめまいを覚える。大見世の極彩色に飲まれたのとは違うめまいだ。
そのめまいを逸らそうと、思わず仰け反ると、彼女は口角だけをきゅっと上げた。
「裏吉原には大見世が全部で三軒あります。もし此度の依頼が無事に達成できた場合、そちら残り二軒の紹介状を書きましょう。いかがですか?」
「……っ!?」
私が口元を抑えて、思わず喜多さんを見た。喜多さんも頬を紅潮させながらも、綺麗なひとの着物を丁寧に桐箱に納め、風呂敷に包んで担いだ。
「では、こちらの依頼達成の後に、どうぞ音羽さんにその情報をお伝えくださいますようお願いします。
「ええ。ではどうぞよろしくお願いしますね」
こうして、私たちの会話は終わった。
彼女の部屋から出た途端、私たちはへなへなと腰を抜かしてしまった。待ってくれていた男衆のひとが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれるが、上手く立つことができないでいた。
「すみません……遊女さんの迫力に負けてしまって……喜多さんはいつもあんなひとたちと着物のやり取りを?」
「そんな。私だって大見世からの依頼なんて今回が初めてですし……
「はい……それに」
私からしてみれば、信じられないものだった。
あの綺麗なひと……菖蒲様はちっとも悲しげじゃなかったのだ。神に身請けされるにしては堂々としていた。
私に裏吉原のことを教えてくれた姐さんのことを思い出した……あの人も身請けされて吉原を去っていったけれど……あの人もまた、なんの憂いもなく堂々と去っていった。
死んでもなお、遊郭に囚われているという負い目なんて、ちっとも見えなかった。
私にはこの点だけはちっともわからなかった。
****
喜多さんを繕い屋まで送り届けてから、私は万屋へと帰る。
先生は煙管をくゆらせながら、ちらりとこちらを見た。
「今日はずいぶんと遅かったね。羽を伸ばしてたのかい?」
「ただいま戻りました……いえ。ちょっと追加の依頼がありまして……」
「大丈夫かい?」
そう言いながら、先生は和紙にさらさらと魔法陣を書いて、それを私のほうに向けた。途端に私の周りを纏っていた香りが形を取ったのに、驚いて辺りを見回す。
「あ、あの?」
「これ、
そう尋ねられて、私はどう答えたもんかと迷った。
そもそも依頼内容は私のものではない。しかも大見世の話だから言いにくい。守秘義務があるからだ。
結局は口にした。
「……申し訳ありません。守秘義務ですので言えません」
「大見世のかい? まあ、あそこもずいぶんと特殊な事情があるからね。なかなか口にはできないだろうさ」
先生は存外にあっさりと引いてくれた。
それに私は小さく会釈をして「ありがとうございます」とだけ言い、言葉を探した。
「……姐さんが見つかるかもしれないんです。探す手段が増えそうと言いますか」
「それはよかったじゃないか」
「ただ、今日少しだけわからなくなりました……身請けされるひとと出会いましたが、そのひとは元気そうだったんです。神に身請けされるということは、もうどこにも行けないっていうことですのに」
吉原から裏吉原に行って、そこでさらに神の元に連れられることのどこが幸せなのか、私にはやっぱりわからなかった。
それを先生は「ふうむ」と煙管の灰をカツカツと火鉢に落とした。
「難しいね。それは本当にひとに寄るだろうから」
「そうなんでしょうか?」
「吉原ってぇのは、苦界とも呼ばれているけどね。本来ならば女がほぼ唯一立身出世できる場所だったはずだよ……それこそ、明治の性芸妓解放令が来るまではね」
一流の太夫は、大名すら袖にされても許される存在だった。既に大正の世では太夫の格すら許されてはいないけれど。
先生は続ける。
「お前さんは大正の世だけで物事を考えるけどね、遊女で登りつめる者ってぇのは、どれもこれも一筋縄で考えられる者はいやしない。幸せをひとつに決めるのだけはしちゃいけないよ。本当に嫌がっているのか、諦めているのか。それは傍から勝手に決めては駄目だ」
「……そうですね。すみません。私はずっと死んでもなお遊郭に囚われているのが幸せなのか、わかりませんでした」
「まあ、音羽は元々吉原で下働きとして働いていたからね。嫌なものを見る目になっても仕方ないっちゃ仕方ない」
そう言って先生は微笑んだ。
「……お前さんの姐さんの詳細、掴めるといいね」
「……はい。ありがとうございます」
今回は喜多さんの依頼からという棚から牡丹餅が過ぎて、素直に喜んでいいかも定かではなかったが。先生のそのひと言で少しだけ胸のつっかえが取れた。
本当に姐さんの手がかりがひとつでも掴めたらいい。
そう祈らずにはいられなかった。
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