全ては神のせいにする

 それから、私はお使いをこなしながら、喜多さんの店に通う日々が続いた。

 つるつるとした絹の布地は、歴戦の繕い屋であったとしても難しい布地だ。ひとつ間違えたら修繕不可能になるため、どうしても作業は遅々として進まなくなる。


「私から見て、この着物にほとんど傷みは見えませんけど……どこをそこまで修繕しないと駄目なんですか?」


 私が尋ねると、喜多さんはクスリと笑った。


「音羽さんは元々繕い屋をしてたんですっけ? ええ、たしかに表の部分はそこまで傷んでないんですけど、裏地が少々ほつれていますからね。目立たない内に修繕してしまわないといけないんです」

「なるほど。でも大変ですよね、その布地では」

「絹は着る分には夏は涼しくて冬は温かいですけど……扱いだけはどうしても難しくなりますからね」


 喜多さんはそうしみじみと答えてくれたんだ。

 それからしばらくして。

 その日は長屋の屋根の修繕作業を手伝い、ようやっと終えてへろへろになりながら、遅めの昼食を摂る。

 それまでちっとも食事にありつけなかったものだから、屋台の蕎麦はいつも以上においしく感じた。


「ふーん。大見世の情報もらえそうなんだ?」


 一緒に修繕作業を行っていた不明門あけずくんは、内容をかいつまんだとはいえど、私の話を聞いて「ふーん」と言った。

 それに私は蕎麦をすすりながら頷いた。


「うん……そうなんだけど」

「なんで音羽はそんなに嬉しそうじゃないんだよ?」

「……手放しで喜べたらいいんだけど、そもそも私が情報を得られそうなのは喜多さんのおかげだし、御陵みささぎさんの思惑も全然わからないから……それに」


 私は未だに、菖蒲さんのことを納得できていなかった。

 これから神に身請けされるひと。今までの神の所業を見ていたら、神に身請けされるのが幸せな結末にはどうしても思えず、自分の中の据わりが悪い。

 でも、ここまで言ったら、依頼の内容を話すことになるような気がして、どうしても口にすることができず、私は唸り声を上げることしかできなかった。

 先生からは「ひとそれぞれ」という意見をもらい、身請けのいいこと悪いことについての言葉はもらえなかったけれど。そもそも身請けされて、幸せな結婚ができる人を私はほとんど知らない。

 私の知っている表の吉原でも、幸せな結婚により遊郭を出られた人は少数派だ。残りは自力で借金を完済して出て行った人に……身請けしてくれた人の愛人に治まった人だ。

 大正時代は既に一夫多妻制は廃れているし、愛人に治まった人は正妻と常に政治をしなかったらいけない。幸せな結婚に移行できる人は少ないのだ。

 だからこそ、私は未だに納得できず、唸り声を上げ続けている……吉原から逃げたがった姐さんは、普通に自力で幸せを掴みたかった人だから、余計にだ。

 私が唸り声を上げ続けているのを、蕎麦をすすり終え「ごちそうさん」と器を屋台に返品してから、不明門あけずくんは首を捻った。


「ふーん、なにをオマエがそんなに納得できないかはわからねえけどさあ。音羽がそこまで悩むことな訳?」


 相変わらず不明門あけずくんはばっさりと切り捨てる。私は思わず肩を竦めながら「それはそうなんだけど……」と言ってから、蕎麦を食べ終えた。

「ごちそうさま」と器を返却しながら、ふたりで喜多さんの繕い屋へと足を運んだ。


「オマエ本当になんで吉原にいたんだよ。全然割り切らないし」

「それは親に売り飛ばされたからだけど……吉原にいたからって、なんでもかんでも割り切れる訳じゃないよ。それに私の場合は、借金完済する以外に吉原から出る方法はなかったし、身請けなんて絶対に無理だったから」

「そりゃそうか」


 顔の火傷に触れながら、私は不明門あけずくんに振り返る。

 不明門あけずくんは相変わらずざっくりとしながら持論を述べる。


「ん-……表のことはそこまで詳しくないけど。裏吉原は神がつくった遊郭だってのは聞いてたっけ?」

「一応は」

「だからさあ、悪いことはとりあえず全部神様のせいってことにしておけば、それでかまわないと思ってるけど」

「……ええ、それって」

「だってここに幽霊を遊女にして遊郭に閉じ込めてるのだって、積んだ徳を巻き上げているのだって、全部神のしわざじゃねえか。だから、悪いことは全部神のせいってことにしておけば、それ以上自分で勝手に悩む必要はないんじゃねえの?」

「……そういうもんなのかな」

「そういうもんだって。自分がなんか嫌な感じなのも、幸薄い感じなのも、全部神のせいで自分にはなんの落ち度もないってわかったら、それ以上うじうじ悩む必要ないんじゃねえの? だってここに流れ着くのだって全部運だし。徳を積んで永住なり出て行くのなりを決めるのは自分の意思だけれど、それ以外は全部神のせい」


 私は不明門あけずくんのあまりにものざっくりとした意見に、思わずポカンと口を開けてしまった。

 そんな簡単な話でよかったのかな。

 でも……それだったら、吉原で流れていた話にもつながるような気がした。


「堀の向こうには裏吉原があり、そこでは苦界の苦しみはないよ」


 吉原での出来事は、どこかの誰かに売り飛ばされた結果に自分に降りかかった不幸で、誰をどう恨めばいいのかがわからなかった。

 でも裏吉原では、ここにははっきりと神が存在する。その神ひとりを恨み続ければいいのだから、他の誰かを恨む必要がなくなる。

 恨み続ける、憎み続けるのだって疲れてしまうのだから、特定の相手だけ恨んでいたほうが楽なのだ。

 本当だったら誰も憎まないほうがいいのだろうけれど、なにかが支えにならないと、理不尽な場所では生きていけない。

 誰かを恨まなかったらやっていけない場面では、必要な話だ。


****


 ふたりでしゃべっている間に、喜多さんの繕い屋に到着した。喜多さんはいろんな見世から預かった繕い物を風呂敷に入れて、それぞれの見世に修繕の終わった着物を引き渡しに行くところのようだった。


「ああ、いらっしゃい音羽さんに不明門あけずさん」

「こんにちは……あの、例の着物は」

「あ、はい……」


 彼女は桐の箱を見せてくれた。どうもずっと慎重に進めていた着物の修繕作業はようやっと終わったみたいだ。

 喜多さんは申し訳なさそうに不明門あけずくんを振り返る。


「私と音羽さんで、ちょっと繕い物の引き渡しに行きますが……」

「ああ、いいよ。俺が行ったら邪魔になるんだったら、先に万屋に帰るからさ。じゃあ音羽、しっかりやれよ」

「う、うん……ありがとう」


 私は詮索しないでくれた不明門あけずくんにお礼を言ってから、喜多さんとふたりで観世屋に向かうことにした。

 喜多さんは私のほうを心配そうに振り返った。


「捜し人、見つかるといいですね」

「ありがとうございます……菖蒲様はいいひとみたいだから、ある程度情報を得られればいいんですけど……」


 正直私がどうして菖蒲様の身請けについて納得いっていないのか、自分でもうっすらと気付きはじめている。

 ……姐さんが神に身請けされていたらどうしよう。そう思っているんだ。

 菖蒲様の気持ちは、私は一度しか会ってないひとな以上、彼女の幸せについてはわからない。でも。

 姐さんは吉原からずっと逃げ出したかった人だ。そんな人が神に身請けされるのをよしとするとは思えなかった。

 でも……表の吉原みたいに、身請けを断ることも、徳を積んで裏吉原から出て行くことも、姐さんの幸せなのかがわからなかった。だからこそ、私は勝手に不安になっているんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る