男娼再び

 あのあと、万屋にやってくる依頼はそこまで厄介ごとではなく、いつものように私と不明門あけずくんでお使いを済ませ、ときどき大き目の依頼には先生が出かけるという日々を続けていた。

 その合間に、魔法の稽古もする。

 前はせいぜい連絡用の折り鶴を飛ばすくらいしかできなかったけれど、だんだん他にもできることが増えていった。

 それでも、以前に先生があっさりとやってのけた壊れたものを修繕する魔法や、火や水などを出す魔法は難しいらしく、私はせいぜい火花を起こしたり、少し周りに湿気を与えるくらいしかできなかった。物を修繕させるなんてのは論外で、うんとも寸とも言わなかった。

 今日も練習で和紙に徳で書いた魔法陣は、周りを湿気させるだけで、それ以上のことは引き起こせなかった。

 普段だったらすぐからかってくる不明門あけずくんは、ここでは全くからかうことがなかった。


「まあ、先生は元々祖国で覚えてきたんだからさ、俺たちがすぐ使えるようになることなんてないよ」

「……そうかもしれないけど」

「というかさあ、お前の言ってた姐さん。あの人探してない場所は、もう大見世だけなんだっけ?」

「……うん」


 なんとか依頼を縫いながら、一軒一軒見世のほうにそこはかとなく探りを入れる。客でもなく、万屋の下働きの依頼で探し回るのは大変だったけれど、顔が売れてくれば不思議と親身になって話を聞いてくれるひとだって出てくる。

 喜多さんは私の話に思うところがあったらしく、繕い屋仲間に少しずつ話を広めてくれ、見世の遊女の情報を集めてくれたけれど。やっぱり見つからなかった。

 表の吉原では、見世にも格が存在している。ざっくりと小見世、中見世、大見世だ。それは裏吉原でもあまり変わりがないらしい。

 中見世までは、裏吉原に住んでいるようなあやかしたちも揚がることができるし、人手不足だから手伝って欲しいと万屋も依頼に駆り出されることがあるが。

 大見世は完全に神様しか客を取らない見世だし、男衆の出入りも遊女の出入りも、厳重に管理されている。ここで遊女が解放されるには、正攻法で徳を積んで出て行くしかなく、男衆との恋は厳禁、休みの日に外に出て遊ぶのは厳禁、それでいて客引きのために道中を練り歩かないといけないなどなど、表の厳しさとは違う厳しさを醸し出している。

 もし大見世に姐さんがいたらどうしよう。そうなってしまったら、迂闊に手を出すことができなくなってしまう。

 表で私たちが働いていた見世は、はっきり言ってそこまで格が高くなかった。火事のどさくさに紛れて逃げ出せる程度には緩かった。

 せっかく逃げ出せたのに、死んでもなお遊郭に捕まって逃げ出せない、遊女にちっとも優しくない。

 なによりも、私は火傷のおかげでそこに連れて行かれなくってよかったと思っている自分が一番嫌だった。

 知らず知らずのうちにげっそりとした気分が面に出ていたせいだろうか。不明門あけずくんは手を伸ばしてくると、いきなり頬を引っ張ってきた。


「痛い! なにするの!?」

「というかさあ、音羽。オマエまた余計なこと悩んでただろ?」

「余計なことって……そんなことないけど」

「だってさ、ひとの不幸が自分のせいだなんておこがましいだろ。自分の運がよかっただけの話を後ろめたく思う必要はない」


 そうあっさりと不明門あけずくんは言い切る。彼は化け狐の本分なのか彼の性格なのか、普段からちゃらんぽらんな言動を取る割に、ときどきばっさりと切り捨てる淡泊さを見せつける。

 私がもにょもにょとしている中、私たちの魔法の稽古を付けてくれていた先生は煙管をくゆらせながら言う。


「まあ……お前さんが心配するのも無理はないがね。不明門あけずも言っているが音羽が気を病む必要はないさね。運のよしあしなんて、それこそ神の領分だ。あたしたちじゃどうすることもないんだから」

「……そうかもしれないですけど」

「それにね、大見世を調べるとなったら厄介だからねえ……万屋がそこにいる遊女を調べるとなったら、それ相応の理由がなかったら見世に入ることすらできない……普段はしょっちゅう厄介ごとを持ち込んでくるのに、このところは顔を見せないから」


 先生の最後のほうは、ほとんど独り言だった。

 私は「誰?」と思わず不明門あけずくんに尋ねると、あっさりと教えてくれた。


御陵みささぎさんだろ。あのひと余計なときには押しかけてくる癖に、顔を見たいときには全然顔を出さないから」


 あのやけに妖艶なひとを頭に思い浮かべた。でも……あれ?


「……あのひと、男娼な上に、あやかしですよね? どうして大見世に口利きできるんですか?」

「大見世自体には口利きできないけど。あのひとの客の中には大見世の遊女もいるから」


 ……ああ、そういえば。男娼の相手は男女問わずだった。一応男娼の大本は、役者だ。役者がお金と後ろ盾になってもらうために体を売り渡していたのが、気付けば夜の仕事専門が生まれたという流れだったはず。

 あのひとは裏吉原に住まうあやかしで、好き好んで男娼をやっている変わり者だと聞いたし、ますますもって謎だらけだ。でも……あのひとの持っている情報が、今の私には必要だ。


****


 魔法の稽古が終わったあと、私は喜多さんの繕い屋さんのほうに出かける。大量の布と糸を買ってきて、喜多ちゃんの店に届けるのだ。

 彼女は遊女たちから依頼を受けて仕事をしている分だけ、私たちが着ている着物よりもいい布地、いい糸を使っている。私たちは麻のごわごわしている糸や布がほとんどなのに、遊女たちのものは全部絹地でつるつるしている。肌心地は絹が一番いいけれど、縫うとなったらそのつるつるした触り心地のせいで、きちんと持っていても滑って針を間違えたりするから大変なんだ。


「お待たせしましたー、ご注文の布地と糸、たしかに持ってきましたぁ」

「わあ。ありがとうございます、音羽さん。はい、約束の徳です。あと、お茶とお茶請けもどうぞ」


 喜多さんは大量の着物のほつれを修繕していた手を休めると、私の瓶に徳を注ぎ入れてから、火鉢にかけていた鉄瓶でお茶を淹れてくれた。

 たっぷりの玄米茶と、それに合わせて出してくれた小皿の上には甘露梅が乗っている。


「……裏吉原でもあるんですねえ、甘露梅」


 表の吉原では、梅仕事の季節に見世にいる遊女たちがこぞって砂糖で梅を漬け込み、漬け込む季節が過ぎたら吉原土産として売ったり、見世に来た客に出されたりしていた。

 下働きの私は、部屋持ちの姐さんたちからたまにもらっていた。コリコリとした食感と甘酸っぱさは、日頃の疲れを癒してくれるようで、玄米茶との相性もいい。

 私はそれを味わう。

 喜多さんは私のほうを見た。


「そういえば音羽さん。もうすぐしたら、七夕祭りだけれど。そこでだったら大見世の遊女も珍しく外に出るから、そこで探している方に出会えない?」


 そう尋ねられて、私は思わず甘露梅の種を喉に詰めそうになった……ここだと季節感が曖昧だ。暑さや寒さが薄らいでいて、花の季節も滅茶苦茶だし、月の満ち欠けだっていい加減だ。

 だからあってないようなもんなんだと思っていたけれど……ここにも季節行事はあったんだなあ……。


「……裏吉原では、七夕祭りってなにをするんですか?」

「表ではどうでしたか?」

「七夕祭りになったら、遊女が行列をつくって練り歩くくらいですかね。もちろん大見世の方くらいですから、中見世、小見世だったらその限りじゃないんですけど」

「そうですねえ。裏吉原でしたら、本当に大見世の遊女は出てきませんから、織姫に見立てられて外に出てくるんですよ。普段は神以外が会うことができない遊女ということで、そのときにしかお披露目がありません」


 神様がそんな洒落たこと思いつくなんてなあ。それともあれかな。遊女の締め付けが厳し過ぎたら、世を儚んで徳を積むのを辞めて死神に連行されていってしまうから、それを防ぐために息抜きする機会を何回かつくっているのかもしれない。

 私がそう思いつつ、姐さんのことを思った。

 ……たしかにこれが千載一遇の機会だ。もしその日に姐さんに会えなかったら、もう裏吉原には姐さんがいないって安心できるんだけれど。

 私がそう思っていたら、「失礼。まだ依頼は間に合って?」と繕い屋さんの暖簾が分けられた。

 そこで私は思わず「ああっ……!」とひっくり返った声を上げた。

 相変わらず妖艶な雰囲気を醸し出し、亜麻色の髪をゆったりと束ねた性差が曖昧な御陵みささぎさんが立っていた。

 私に叫ばれて、一瞬目をくるくるとさせた御陵みささぎさんはクスリと笑った。


「あら、たしか万屋さんの。お久しぶりですね?」

「お、お久しぶりですっ……!」

「でもごめんなさいね。今日は万屋さんに要件はないの。繕い物屋さんに依頼がありまして」

「はい?」


 そうだよな、このひとだって見世の仕事が最優先だし、そう万屋や私に都合よくなんて動いてくれないし……。

 そう諦めかけていたら、御陵みささぎさんはゆったりと言う。


「私のお客様のために、着物の繕いをしてほしいの……大見世の……観世屋の遊女のものなんだけれど」


 喜多さんは思わず目を見開いたし、当然私も思わず息を止めた。

 ……大見世に入る機会が、急に転がり込んできたのだから。

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