第6話 異世界居候生活
「へーぇ。同じ獣人でも、色んな見た目の人が居るんだなぁ」
宿前の掃き掃除をしながら、ミヅキはまばらな人の流れを眺めていた。
獣人と思われる人種が多く
パメラやキッキのように身体の一部が動物的な特徴を持っていて、他の部位は普通の人間と変わらない半獣タイプもいれば、人型の身体にそのまま獣の顔が付いた全獣タイプの獣人もいた。
もちろん人間もいるが、ミヅキの知っている様子とはどこか感じが違う。
身なりや顔立ちが違っていて現実感が薄い。
人間も獣人も武器を帯びていたり、甲冑に身を包んでいたり、生々しい傷跡があったりと、物々しい雰囲気の人々が目に付いた。
「結構綺麗な街並みだ。中世時代、っていうには近代的だな……」
唸りながら今度は建物を観察してみると、木造の古めかしい造りながら窓という窓にはきちんと透明なガラスがはまっている。
ガラスは古くは中世時代から高級品として扱われていて、大量生産が可能となったのは近世に入ってからといわれている。
それが可能となっている程度には文化レベルは高く、この街が相応に裕福であるということを示していた。
「おはようございますっ! おはようございまーすっ!」
ふとキッキを見ると自分の店先だけでなく、隣の建物の前まで掃除したり、通り掛かる人全員に挨拶したりして愛想を振りまいている。
そんな愛嬌ある様子は、さっきミヅキを蹴飛ばしたお転婆っぷりとはえらく落差があった。
「しっかりした子だなあ」
と思っていると、振り向いたキッキと目が合った。
そのままこっちへつかつか歩いてきて。
「おい、ミヅキ。あんまりきょろきょろしてんなよな。ガラの悪いのにからまれても知らないからな」
横にピンと張った耳のキッキに潜めた声で注意された。
「みんな色々うまくいかねーことばっかりで気が立ってるんだ。いざこざに巻き込まれるのはほんとにごめんだぞ」
「ああ、悪い。珍しいことだらけで、あちこち気になっちゃってさ……」
自然と答えるミヅキをキッキは、ふーん、とまじまじ見上げている。
「な、なに?」
そんなに変なことは言っていないつもりだが、本物の猫みたいな金目に見つめられているのは落ち着かない。
少しの間、黙って向けられる何とも言えない視線に耐えかねていると。
「ほんと、今までぼーっとしてて、周りなんか気にもしなかったのにな。ママも顔がしゃんとしたって言ってたし、今度こそ記憶喪失が治ってきてるのか?」
しかめっ面だった表情が一転、キッキは白い歯を見せてニコッととびきりの笑顔を見せた。
「もしそうなら、──良かったな、ミヅキ!」
子供ながら眩しい微笑みは愛くるしい魅力がいっぱい詰まっていた。
「あ、ああ、ありがと……」
不意打ちの笑顔にさしもの大人のミヅキでも、可愛い、と思ってしまった。
小悪魔か化け猫か、キッキに魔性の将来性を感じて何だか心配にもなり、楽しみにもなった。
──異世界のことはさておき……。猫耳の美少女、ファンタジーっていいよな!
ミヅキは誰に言うでもなく意味なく拳を握り締め、そう心に強く思った。
思ったついでに思索に耽ってみる。
──ただ、記憶喪失どうとかってのはよくわからんなあ……。この世界の行き倒れの俺は、いったい何を記憶していたんだ?
パメラとキッキが接していたという記憶にない自分は何を思い、何を覚えていたのだろうか。
今朝起きた前の記憶は依然として無いままだった。
「……まぁ、いっか」
「ん? 何がいいんだ?」
怪訝そうな顔のキッキに、ミヅキは何でもないよ、とかむりを振って掃き掃除に戻るのだった。
どうせ夢なのだし、そんなことを真剣に考えても仕方が無い。
まあ、そのうち目も覚めるだろうと、ミヅキは深く考えるのをやめにする。
これが本当に異世界転移だと認めてしまうのは正直怖かったのだ。
「キッキ、ミヅキ、お料理出来たから配達の支度お願いねー」
それからややあって、店先の二人にパメラのおっとり声が届いた。
パンドラに詰める兵士たちに届ける料理が完成したようで、配達の準備をすることになった。
まだ昼には早いとはいえ、結局、あれから客は一人も来なかったようだ。
「ミヅキ、こっちこっち」
またキッキに手を引かれて広めの路地から店の裏手に回ると、倉庫らしき建物から荷車を引っ張り出してくる。
なかなかの大型で二輪のものが多い中、四輪の引くタイプの木製の荷車だ。
これまた木製の車輪は、接地面を金属を曲げた板で覆った年代物の車輪で、荷台には日除けか雨除けの厚手の布が畳んで仕舞われていた。
荷台は空なのにそれ自体が結構な重量だ。
「お、重い……。これに弁当乗っけて運ぶのか……」
試しに荷台のハンドルを押し引きしてみると、相当な重さが手に掛かる。
引けなくはないとは思うが、勢いを付けて慣性がつくまでは大変な労力が必要になりそうだ。
「まったく……。人間が貧弱なのか、ミヅキが貧弱なだけなのか」
「おお、助かるっ。さすがは獣人ってだけあるなぁ」
ぼやきながら横でキッキが一緒に引っ張ると、一気に荷車の動きが軽くなる。
子供ながらパワフルな獣人の力に驚きながら店の前まで荷車を出してくると、順次料理の積載作業が始まった。
「よいしょ、っと……!」
「熱いから気をつけてね」
心配するパメラから銅製の寸胴鍋を受け取り、荷車にしっかり縄で固定すると、鍋の左右の取っ手にも縄を掛けて、ふたが開かないようにする。
酸味の利いたいい匂いはトマト煮込みのシチューのもので、肉や野菜がふんだんに投入されている。
大量の大小のパンは大きなかごに収め、麻袋には乾燥したオートミール、小型の樽にはアルコール度の低いエールや蒸留水が入っている。
たっぷりとした食料が積み込まれた荷車に日除けの布を掛ければ出発準備完了。
「せーの!」
「う、おおぉ……!」
キッキと横並びになって勢いをつけ、渾身の力で荷車のハンドルを引くと、ゆるゆると車輪が回り始める。
はっきり言ってめちゃくちゃ重いが、キッキと二人なら何とか運べそうだ。
「それじゃあ二人とも、大変だけど今日もよろしくお願いね。気をつけていってらっしゃい。二人のお弁当もあるからね」
小さく手を振って見送るパメラを後にして、ミヅキとキッキは料理を駐屯所の兵士たちのもとへ運ぶため、行ってきまーすと、一路ダンジョン、パンドラへ向かう。
乾いた道路が薄い砂煙をあげ、思い荷車がゆっくりと進み始める。
パメラの宿屋から街を北へ、並ぶ建物と土と砂の道路の先、結構な距離の向こうに巨大な山岳がそびえ立って見えた。
ダンジョンはあの山々の下に広がっており、今日もその大きな口を開けて来訪者を静かに待ち受けている。
未だ深遠の知れない奈落の底には何が潜み、どんな神秘が隠匿されているのか。
決して見通せない暗闇の果てに待つのは財宝か怪物か、それとも古代の魔法や知識の一端か。
このときのミヅキは知る由もない。
そんなことよりも。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……!」
「大丈夫かー? まだ出発してすぐだぞー?」
普段からの運動不足が祟ってか、荷車を引くミヅキの息は早速上がっていた
ダンジョンのある山々は遠く、まだまだ街の通りを行く最中である。
パンドラのダンジョンの深遠どころの話ではない。
早くもこの荷物をその入り口まで届けられるかどうかの瀬戸際に陥っていた。
必死な形相のミヅキに比べ、隣のキッキは少し汗ばんでいるがまだまだ余裕がありそうだ。
いくら獣人とは言っても、こんな年端のいかない少女に身体能力で負けるのは何とも情けない気持ちになってしまう。
「……はぁ、はぁ、頑張るよ! だけど、こんな重い荷物っ、馬か家畜に、引かせたほうが、……はぁ、楽なんじゃないの?」
息も切れ切れのミヅキにキッキはため息をつく。
「そりゃそっちのが楽だろーけどさ。うちに馬を買って、それの世話するなんて余裕ないよ。従業員だって雇えないから、タダ働きのミヅキしかいないんじゃん」
世知辛い話を聞いてしまい、無償奉仕している自分の待遇を改めて突きつけられるのは何だかやるせない。
「うーむ、そっか……。じゃあ、俺が店に来るまでは、キッキとパメラさんの二人で、この荷物を運んでたのか……?」
「まあね、店とパンドラの間を行ったり来たりの毎日さ」
「そうか、そりゃ大変だなあ」
でも、とキッキの口から驚愕の事実が飛び出す。
「んー、このくらいの重さだったらあたしの出番はないかな。ママ一人でも引けちゃうと思う。軽々とねー」
「マジか……?!」
「うん、マジマジ」
「うへぇ、パメラさん、力持ちなんだなぁ……」
獣人のフィジカルの強さ、恐るべし、恐るべしである。
ミヅキの脳裏に、うふふっ、と柔らかな表情で笑うパメラが、両上腕二頭筋を高らかに誇示するダブルバイセップスポーズをする姿が浮かんで消えていった。
それでもこの配達をやらないとパメラは店を閉めないといけないのだから、きっと役に立ってるんだと言い聞かせ、ミヅキは先を急ぐのだった。
「へぇー、このあたりは人が多いなぁ」
興味深そうに辺りを見渡し、ミヅキは声をあげた。
街の通りはまだまだまっすぐ北へと伸びている。
この街は何本かの大きな通りがダンジョンのある山岳地帯に向かって続いていて、その手前にあるこの広場で道路が合流する形となっている。
現在、ミヅキとキッキが進んでいる道路もその街通りの内のひとつだ。
街の北の広場はダンジョンの最も手前に位置する関係上、様々な商店が軒を連ねていて、大きな市場として賑わっている。
少なくなったとは言え、地下迷宮に挑む冒険者たちがいる以上、これから赴く先の危険地帯の前に物入りの需要を満たす場所が適切な位置にあるのは当然だった。
全体としては閑散とした街の様子だったが、この北の広場だけは異なり、それなりの盛況を呈していた。
「あっ! あれはっ!」
と、獣人や人間がごった返す群集の中、ミヅキは何かを見つけて声をあげた。
雑多な人の波が灰色の無味乾燥の空に見えるなら、それらはまるで燦然と光り輝く太陽と星のようにひときわ目立った存在感を表していた。
輝く太陽と星は、二人連れの旅人の女性である。
「う、うわあ……! ほ、本物だ……!」
ミヅキの視線はその二人に釘付けだ。
ファンタジー世界というなら、これが夢だろうが何だろうが絶対に会いたいと思う存在が目の前を歩いていたからだ。
一人は金色の長い髪にエメラルド色の瞳の美女。
森色の衣服に茶褐色の外套を羽織っている。
もう一人は白銀色のショートボブの髪型で、長い前髪の間からサファイア色の瞳が見え隠れしていた。
こちらも相当な美人である。
何よりも、二人の諸々の特徴の中でも際立って目に留まった箇所がある。
二人の美女の髪の間からぴんと突き出ているのは、長い両耳。
耳介にあたる部分が長く、尖った先端が空を向いている。
ミヅキは感極まって叫ぶのであった。
「──エルフだぁっ……!」
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