第7話 エルフ美女姉妹

「本物のエルフだぁっ……!」


 年甲斐無く目をきらきらさせるミヅキの口からその言葉が飛び出した。

 エルフとは男女を問わず美しい容姿をしていて、長く尖った両耳が特徴的な長命の種族のことである。

 主に深い森の奥などに縄張りを持ち、保守的な性格から長い寿命を持ちながらも外界と関わらずに、生まれ故郷で一生を終える者も少なくない。


 パンドラのダンジョンへと配達に向かう途中、街の群衆の中に見つけたのは二人組のエルフの旅人であった。

 しかも、二人ともが揃って絵に描いたような美女である。


 一人は日光に煌く金色の美しい髪のロングヘアー、緑色の綺麗な瞳に人形みたいに整った顔立ち。

 森の青葉色の衣服と茶褐色の外套を着用していて、ほっそりとしたなめらかな手の肌は透き通るほど白い。

 スカートからすらりと伸びる足を包むのは、革の膝丈の編み上げロングブーツ。

 腰に帯びている、意匠の凝った鞘の剣はショートソードである。


「エルフの長い耳って、本当に可愛くて良いよなぁ……」


 ミヅキはしみじみと声とため息を一緒に漏らした。


 ファンタジー世界の代名詞といっても過言ではない対象が目の前に居る。

 それは感無量にミヅキの心を小躍りさせていた。

 何とも言えず、幻想的且つ神秘的な存在に憧れを感じてしまう。


 格別にミヅキが注目してしまうのは、彼女たちのぴんと伸びた長い耳だ。

 今朝目覚めて真っ先にキッキの猫耳に意識が向いたのと同じく、ミヅキは特別な形をした耳が気になって気になってしょうがない。


「そ、それにしても、エルフは細身だって決まってるもんだけど、ごくり……」


 ミヅキは思わず生唾を飲み込んだ。


 想像するエルフの外見は、お決まりの長い耳と線の細い体型である。

 しかし、目の前のエルフの美女の豊かな肢体には目を奪われてしまう。


 歩いているだけなのに、胸にある二つの大きな膨らみがゆさゆさ揺れている。

 長いブロンドの髪のエルフで、しかもスタイルが抜群とは、ミヅキの理想をわかりやすくも具象化した夢のような存在であった。


「もう一人のほうもすっげぇ……!」


 感嘆するミヅキは金髪のエルフと、もう一人のエルフにも目を奪われていた。


 もう一人のエルフは白銀色の髪の毛で、肩上くらいまで伸ばしたショートボブ。

 やはりやはり、先の尖った耳がよく目立つ。


 目が隠れるほど前髪が長く、隙間から見える切れ長でややつり目の青い瞳がせわしなく左右に動き、周辺を警戒している。

 こちらのエルフも例外に漏れず容姿端麗だが、それよりもその手が持つ得物が衆目を集中させていた。


「バトルアックス……。いや、あれはハルバードか」


 ミヅキは白銀色の髪のエルフが持つ武器を見て呟いた。


 長く太い柄の先端に尖ったスパイク、戦斧を思わせる大きな斧刃、その反対側には鋭い鉤爪が付いた、かなり大型の長柄の武器だ。

 驚きなのは使い手の身長よりも長大で、重量も相当であろう長柄武器を天を突いて掲げ、軽々しく片手で持っていることだ。


 金髪ロングのエルフに比べると野性味が強く、筋肉質に見えるものの白く細い身体と腕のどこにそんな怪力が秘められているのか。


「めちゃくちゃ強そう……。格好いい……!」


 ミヅキは華奢なエルフのイメージとかけ離れた豪壮な見た目に釘付けである。


 怪力エルフの装備は軽装で、白を基調とした布地に青い襟ぐり回りに細かい金糸の刺繍の意匠が見られるノースリーブの衣服。

 肌に密着した服装は、金色の髪のエルフに負けず劣らずの大きな胸の膨らみを際立たせている。


 膝上丈のミニスカートを着用し、腿の付け根まで深めのスリットが開いているのは戦闘における動きやすさを考慮してか。

 足を包む黒ずんだ茶色のショートブーツは、ところどころに大小の傷や擦り切れ痕があり、活発せいの高さが窺い知れた。

 ハルバードにも使い込まれている傷跡が複数見られ、歴戦の武器を思わせる。


「おいこらっ、ミヅキッ! 真面目に引けよっ!」


 エルフの二人連れに見惚れていると、またイライラに火が付いたキッキに無防備な脇腹をグーで真横から殴られた。

 突き刺さる容赦の無い突きに本気で息が止まりそうになる。


「うっぶう!?」


「ほんとにしょうがないなぁ。今度は何をじろじろ見てたんだよ?」


 と、苦悶に呻くミヅキをよそに、その陰からにょきっと顔を出すキッキ。

 そして、エルフの二人を見つけて声をあげる。


「……あっ、噂のエルフだ」


 耳を上向きに立てて、ぽつりと呟いた。


「うう……。知ってるのか?」


 痛む脇腹をさすりさすり、ミヅキが聞くとキッキは耳と声を伏せる。


「うん、何日か前からこの街に来てるっていうエルフのお姉さんたちだよ。パンドラが賑わってた頃はエルフなんて別に珍しくも何ともなかったけど、最近は全然見掛けないもんだから噂になってたんだ」


「ふーん、何かこの街に用でもあるのかなぁ」


 ミヅキは与り知らないことだが、二人のエルフ美女はこのトリスの街に少し前から滞在しているらしい。

 大きな街とはいえ珍しい噂が広がるのに、ただでさえ退屈を持て余している現在なら時間は必要ではなかった。


 キッキはそのまま噂の内容を口走る。

 そして、それはまた取り分け興味を引かれる内容であった。


「なんか人捜ししてるらしいよ。神のお告げがあったとかで、選ばれた運命の勇者様を知らないか、とか変なこと聞いて回ってるんだってさ」


 神のお告げ、選ばれし勇者、それを探す神秘的なエルフの美女二人。

 お決まりの様式美なフレーズが次々飛び出し、ミヅキはますます心昂ぶった。

 エルフの登場に、これが夢だろうと思う気持ちをすっかり忘れている。


「いいなあ、そういうの。エルフの美女たちが探す、神のお告げの勇者かぁ……。本当にいるのかなー、勇者なんてさ。夢がある話だよなぁ」


 好奇心満々のミヅキに反して、キッキは明らかに冷めていた。


「いる訳ないだろ。勇者様だなんておとぎ話じゃあるまいし。今日び、あたしら子供だって勇者なんか信じちゃいないよ」


 その様子から、どうにもこの異世界では勇者はそれほどありがたがられてはいないようである。

 勇者はおとぎ話の中だけの存在で、現実の世界には何ら影響を与えない無用の長物に過ぎないのかもしれない。


 キッキは盛大なため息をついて、また世知辛くなった。


「そんなのがいるんなら、世界を救う前にうちの店の借金返すの手伝ってほしいよ。世界の平和より、明日の生活のほうがよっぽど心配だっての」


 と、うなだれた背中と尻尾はそのままに、キッキは目線だけをミヅキに向けた。

 声をさらに潜めて言い始める。


「でもミヅキ、そんなことよりもさ。あのエルフのお姉さんたちには気をつけたほうがいいみたいだぞ」


「えっ、どういうことだ?」


 隣のミヅキにも聞こえづらいくらいのひそひそ声は、おいそれと聞かれるのはまずい物騒な話の前触れだった。


「ちょっと前のことさ。あの綺麗な見た目につられて絡んだごろつき共が、あっという間にのされちまったっていう話だよ」


 ちらりと目配せするのは、二人連れのエルフの片方である。


「あっちの白っぽい短い髪のエルフのほうに、何人もの男が次々とぶっ飛ばされたんだってさ。手も足も出せずに一方的だったそうだよ」


「へぇ……」


 ミヅキは目を細め、ハルバードを高々と掲げる白銀色の髪のエルフを見やった。

 遠目にも、油断の無さそうな剣呑な雰囲気を漂わせている。


「とにかく大騒ぎだったらしいよ。エルフってあんなに強いんだって見物人はみんなびっくりしてたとか。最後には衛兵が出てきたけど、もうそのときには二人ともいなくなってたんだって」


「ふーん、そりゃまた物騒な話だな」


 キッキの話を聞き、ミヅキはうーんと唸った。


 確かにあのエルフの長大な得物が見た目通りの質量を持っているなら、それを扱えるだけの膂力りょりょくを兼ね備えているということになる。

 腕っぷしの取っ組み合いになったら、力勝負ではまず勝ち目は無さそうだ。


 のされたごろつきがその後どうなったか気になったが、さすがにあのごつい得物で真っ二つにされた訳ではないだろう。

 残念ながら関わり合いにならないほうがいいのかもしれない。


「まっ、面倒事はご免だからな。あたしたちには関係ないことさ。──さ、行くぞ。ここの広場を抜けたら後は一本道だよ」


「ああ、わかった……」


 憧れのエルフの美女たちに後ろ髪引かれる思いだが、ミヅキとキッキは再び荷車を引く手に力を込めた。

 改めてパンドラへと向かうミヅキの前方、エルフたちはこちら側に向かって歩いてきている。


 互いに何の接点も面識も無い、無関係同士の間柄。

 自然にすれ違う。


「ふぁんっ?!」


 瞬間、金色の長い髪のエルフはびっくりしたみたいな声をあげた。

 尖った耳が空に向かってそそり立つ。


 肩をびくんっと震わせ、大きな胸をぽよんと派手に揺らした。

 自分の身体に起こった突然の反応に目をぱちぱちと瞬かせている。


「……い、今のは、なにっ……?」


 まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が全身に走り、痺れた感覚が心地よさと共にじんわりと湧き上がってきた。

 身体の芯がぽかぽかと温かく、彼女を巡る魔力が活性化している。


 堪らず立ち止まり、後ろを振り返った。


「何かが私の心と身体に共鳴した……? 凄く、魔力がみなぎってる……」


 知らず上気した頬を赤らめ、艶のある唇から呟くような言葉が出た。

 さらりと長い髪が揺れる。


「どうしたの、姉様? 変な声を出して」


 急に立ち止まり、今来た道を振り向き見ている連れに、白銀色の髪のエルフも歩みを止めた。

 そして、金色の髪のエルフを姉と呼んだ。


「……」


 振り向いた瞳には、雑多な人ごみしかもう映っていなかった。

 直感的に惹かれる何かを感じたのか、緑のまなこは何かを捜し求めるように灰色の雑踏をしばし見つめていた。


「……な、何でもないよっ。ちょっと魔力が乱れただけ」


 こほんと小さく咳払いをし、赤らんだ顔のまま前に向き直る。

 姉の様子に何事も無いことを見て取ると、白銀色の髪のエルフは、そう、とだけ答えた。

 歩みを再開させながらこちらは溜め息をつく。


 重々しいハルバードを自然に持ち歩く豪腕の持ち主とは思えないような、どこか疲労を感じさせる様子だった。


「それにしても、なかなか見つからないね。本当にいるのかしら、勇者様は」


「ええ、きっといらっしゃるわ。すべてはお告げの通りよ。だから何としてでも見つけ出さなきゃね。……私たちの使命を果たすために」


 やはり噂の発信元は、噂通りの人探しを今も続けていた。

 姉のエルフはきっぱりと言い切り、笑顔を浮かべて手をそっと胸にやる。

 妹のエルフは長い前髪から覗く青い瞳を姉に向け、頷いた。


「うん、姉様がそう言うなら。私は姉様に着いていくだけ」


 その言葉には姉の思いに応えようとする確固たる意思があった。


「ありがとう、がんばろうねっ」


 それがわかっているから金色の髪の姉は柔らかに微笑み、白銀色の髪の妹も満足そうに口元を緩めた。

 二人のエルフは姉妹として、相棒として、信頼し合ってた。


「だけど、嘘の情報が多くて困るね。なかには私たちを騙そうとする奴もいるし」


「そうね……。パンドラがおかしくなってからというもの、街の治安は悪くなる一方だそうだから私たちも気をつけないといけないわね……」


 妹のぼやきに姉は表情暗くして答えた。

 それは先ほどキッキが話していた噂話の出所である。


「この前の人間たち、私たちを捕まえようとしてたみたい。エルフは珍しいから、大方どこかへ売り飛ばすつもりだったに違いないわ」


「聞いていた通り、里の外は本当に危険がいっぱいなのね……」


 妹が鼻をふんと鳴らすと、姉は沈痛な面持ちで項垂れた。


 探し人の勇者の情報を教えると騙り、彼女たちを拐かそうとした悪党がいた。

 しかし、噂の顛末が示すように妹エルフの豪腕に懲らしめられてしまった。


 珍しいだけでなく見目麗しい種族の女性ともなれば、良からぬことを企む輩が後を絶たないほど、街の治安は乱れているという訳である。


「悪い奴らは私が全員ぶっ飛ばして、姉様には指一本触れさせない。だから何も心配は要らないから」


「ええ、でも……」


 頼もしい妹をありがたく思う一方で、姉には不安に思うこともある。


「頼りにはしてるけど、お願いだからやり過ぎないようにして頂戴ね……。この街にいられなくなったら困るんだからね……」


「うん」


「ほんとにお願いねっ」


「努力する」


 念を押すも、つーんとそっぽを向いてしまい、果たしてわかっているのかどうかわからない澄ました顔の妹。

 色々な心配が尽きずに半ば諦め、はぁぁ、と長いため息が漏れる顔の姉。

 大騒ぎになってしまったのは、当人たちにも不本意なことだったようだ。


 エルフ姉妹の二人は信頼し合っている。

 ただしかし、信頼だけではどうにもならない問題も抱えている様子だった。


「えぇっと──」


 金色の綺麗な髪をかき上げてエルフの姉は気を取り直し、先ほど広場で手に入れた情報の元を目指し、街通りを眺める。


「それで、次に当たってみるところは、と」


「さっき聞いたのは、パンドラの近くで行き倒れてた素性の知れない全裸の男が、とあるお店に保護されて住み込みで働いてるって話だったね」


 不意に飛び出たのは他でもない、ミヅキの話だった。

 噂になっているのは何もこのエルフの姉妹だけではない。


 どこから来たのか目的も一切不明。

 ましてやあのパンドラの近くで行き倒れていた男、──その名はミヅキ。

 さらに裸で、となるとこちらもエルフの姉妹に負けないくらいには大衆の噂話の種となっていたのである。


「姉様、あった。このお店よ」


「ああ神様、どうかお願い致しますっ。今度こそ、今度こそ私たちを運命の勇者様と引き会わせて下さい。私たちに使命を果たさせて下さいましっ」


 ハルバードの石突きを地面に下ろして妹が見上げ、胸の前で手を組んで祈った姉が立つ前にあったのは、パメラの店、冒険者と山猫亭だった。

 意を決して扉を押し開けると、ドアベルがカランコロンと歓迎の音色を鳴らす。


「ごめんくださーい! ちょっとお尋ねしたいことがありましてー!」


 姉のエルフが店の奥に向かって声をあげた。

 すると、閑散とする店のカウンターの向こうから、パメラのはーい、という返事が返ってきた。


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