第5話 夢か異世界か

「ふふん、よくぞ聞いてくれましたっ! パンドラっていうのは、この街の──! いいや、この国を代表する世界最大級の大ダンジョンのことさ!」


 どうだ参ったか、と言うばかりに胸を張ったキッキの言葉。

 ダンジョン、その場所こそがパンドラであると。


 本来は地下牢の意味だがおそらくその意味ではなく、物語やゲームに登場する俗説からの地下迷宮の意味だろう。

 曰く、古い城の地下には迷路が広がっており、財宝が隠されていたり、怪物が住み着いていたり、である。


「パンドラの地下迷宮といえば、知らない冒険者はいないってくらい世界的に有名でさ。発見されてから百年以上も経ってるのに、未だにダンジョンの底まで辿り着いた奴はいないんだ」


 身振り手振りを交え、話すキッキの表情は真剣そのもの。


「世界中から名だたる冒険者が集まってきて、この街を足掛かりにパンドラ攻略の日々をずっとずっと続けてる。だからそういうみんなの宿場として、この街もどんどんでっかくなっていったんだ」


 長い年月を経ても未だ底の知れない前人未到のダンジョンとそれと寄り添うように栄える街。

 何ともご多聞に漏れない王道の設定だ。


 パンドラというと海外の神話のパンドラの箱を連想する。

 開けてはならない、又は触れてはならないという、何らかのタブーの意味を表す代名詞でもある。


「だけどさ……」


 急にトーン落ちするキッキの声。

 さっきまで振り回していた尻尾はだらんと下がり、背中が丸くなった様子は明らかな落胆の様子だった。


「10年前くらいかな……。パンドラに異変が起こって、それから街に来る冒険者の人たちが見る見るうちに減っていってさ」


 話すキッキの背中は丸く小さくなった。

 パンドラの地下迷宮での異変──。


 そう聞くとまた何だか胸騒ぎがした。

 頭の奥もちくちくと疼く。


「急に迷宮の魔物が凶暴になって、浅い階層なのに手に負えない強さの怪物が現れるようになったんだ。怪我人や、最悪命を落とす冒険者も増えてきて……」


 そこで一旦言葉を切り、伏せ目がちにキッキは一瞬悲しそうな顔をした。

 パメラも複雑そうな表情で何も言わなかった。


「まあ、だからさ」


 顔を上げてまた話し出すと、キッキは空元気な微苦笑を浮かべている。


「パンドラに挑むひとが減っちゃってさ。大勢の冒険者で賑わって、それで回ってた街なもんだからすっかり寂しくなっちゃって……。おかげでウチも商売あがったりの有様なのさ」


 朝で開店していないから他に客がいないだけなのに、それを聞くと店内の机の上に上げられた椅子のそれらの姿が急に場末の様相を窺わせる。

 半ばやけくそ気味にキッキは大声をあげていた。


「街のみんなの生活が懸かってるっていうのに、伝説のダンジョンサマはいったいぜんたいどうしちまったんでしょーかっ! このままじゃ、みんな干からびて飢え死にでーす!」


「な、なんか大変そうだな……」


 他人事のように言うミヅキに、キッキは身を乗り出してじろりと睨む。


「そうです、大変なんですっ! だから今日もきりきり働きましょうっ! パンドラがおっかなくなっちまったからって、店畳まなきゃいけないとかぜぇーったい、まっぴらごめんだかんなっ!」


 前のめりに噛み付く勢いで発奮するキッキに、ミヅキはただ頷いてたじろぐばかりであった。

 現状に悲観せず、むしろ降って沸いた逆境に憤る猫の少女は年端のいかない風体には似合わない逞しさを感じさせる。


 そんな娘の様子にパメラはちょっと困ったように微笑みを浮かべていた。

 ミヅキも、たはは、と乾いた愛想笑いをするのであった。


「──さぁ、お仕事お仕事っ!」


 興奮しつつもさっさと朝食を済ませたキッキは、早速洗い物をしたり、店の清掃に取り掛かりだした。

 パメラは兵士たちに届ける昼食を作り始め、ミヅキもキッキに習って掃除や開店の準備を始めた。


 今更だが二人以外に従業員の姿は見えない。

 ミヅキも入れて、三人だけでこの店を回しているようだ。


 店の広さやテーブル数、宿屋も兼業している規模から考えると、いささか人員不足を感じさせるものの、それでも実業務のボリューム的には適正となってしまうほど客の入りは少ないのだろう。


「キッキ、ミヅキ。店先のお掃除終わったら、休憩してくれてていいわよ」


 厨房からパメラのおっとりした声が届いた。

 てきぱきとした調理の手の速さと比べ、何ともアンバランスである。


 ミヅキは、了解でーす、と応答をすると、店の入り口の両開きのドアを見やる。

 あの向こうにこの非現実世界の外界が広がっている訳だ。

 この夢だか幻だかの世界の外がどうなっているのかが気になった。


──そろそろ目、覚めないかな。扉を開けたら、訳わからない場面に切り替わってたりして、これが夢なんだって早く気付かせて欲しいもんだ。


 そんな淡い期待を抱き、片側のドアの取っ手を握る。

 妙に緊張を覚えながらドアを開けると、金属製のドアベルが想像通りなカランコロンという音を立てた。

 外の風景が眩しい太陽の光と共に視界に広がる。


「おお……」


 感嘆の声が思わず漏れた。


 そこに広がるのはやっぱり見知った現実の世界ではなかった。

 中世北欧を思わせる、絵に描いたようなファンタジー世界の街並みだった。


 自動車があれば二台が対向できる程度の広めの通りは、乾いた土と砂が踏み固められただけで舗装されておらず、道路というには何とも粗末さを感じさせる。


 店なのか民家なのかよくわからない木造の建物が、通りの両側に細い路地を挟みながら、かなり遠くまで建ち並んで見えた。

 先ほどのキッキの話にもあった通りだが、ダンジョンのおかげだかの理由で相当に栄えた街のようだ。


「でも、何か閑散としてるな」


 しかし、そう呟く通り、人通りはまばらで往来は少なく、街の賑わいはまったくと言っていいほど感じられない。

 くだんのダンジョンの異変が発端となり、冒険者が激減した影響で街は活気を失ってしまったというのは本当らしい。


「う……」


 そして、ミヅキは思わず呻いた。


 そこかしこに文字が描かれているのが目に入る。

 主に看板やらに見たことの無い文字が当然のように書き連ねられていて、ミヅキの知る公用語ではないそれらが、ここが現実の世界ではないと物語っていた。

 ただ、問題はそこではない。


「──読める」


 ミヅキはさっと血の気が引くのを感じた。


 見たこともない、読み書きしたこともない文字が何故か読めてしまう。

 そればかりか、当然とばかりにその文字が示す意味もわかってしまった。


 まるで、頭の中でそれら不明な言語が、ミヅキの理解できる言語にリアルタイムで自動変換されているようだった。

 都合のいい事実が言い知れない恐怖感となって足元から頭に駆け上ってくる。

 とてつもなく嫌な予感がした。


「……これ」


 ごくり、と唾を飲み込む。


「ほ、本当に異世界に来ちゃったんじゃないのか……?」


 もしかして、これは夢や幻ではないのかもしれない。

 顔色が悪くなっていくのが自分でわかった。

 有り得ない出来事が起こっている。


 異世界に転生、又は転移する現象はミヅキだって知っている。

 但し、それは実際に起こるものではなく、創作の物語の上での話である。


 ミヅキもそうした創作物は好物で、これまで多くの作品を楽しんできたクチだ。

 だから、信じられないという思いとは裏腹に、真っ先にこの異常事態がそれではないかと感じてしまうのだ。


「い、いやいやっ、いくら何でもそんな訳ないだろ……。トラックに跳ねられたり、通り魔に刺されたりもしてないぞ……」


 しかし、それが自分の身に起きるとなると話はまったく別だ。

 異世界の物語は傍から見るのが楽しいのであって、自分がそんな憂き目に遭うなど冗談ではない。


 目の前に広がる非日常を認められない。

 自分が置かれたかもしれない境遇を受け入れることなど到底できなかった。


 ちなみに命を落とさずに異世界に来たのなら、これは転生ではなく転移だろう。


「やっぱり夢に決まってるさ……。明晰夢めいせきむを見るのは初めてじゃないし、何かよくわからん幻覚を見てる可能性だって……」


 冷えた汗と薄ら笑いを浮かべて、ミヅキは早速否定を始めた。


 今まで眠りが浅いせいで夢の中で意識だけがはっきり覚醒し、自分で夢だと気付ける明晰夢は何度か見たことがある。


 大概、そうだと気付いたときには容易に目を覚ますことができるものだ。

 きっとこれもその類で、ちょっと目を覚ますのに手こずっているだけなのだろうと思うようにする。


「ほっぺをつねったりして痛みを感じれば、すぐ目が覚めるんじゃないか……」


 夢かどうかを確かめたいが、こんな陳腐な方法しか知らない。

 恐る恐る汗の滲んだ手を頬に持っていく。


 但し、キッキに寝起きに引っ掻かれたり、脛を思いっ切り蹴られたりすでに痛い目に遭っている以上、その願いは望み薄ではあった。


「なに、ひとりぶつぶつ言ってそんなとこ突っ立ってんだ、よ!」


 と、背後から語尾を強く言うキッキに尻を思いっきり靴底で蹴られてしまう。

 自分でやるまでもなく、改めて激痛を感じることができた訳だが。


「ぎゃあっ!?」


 悲鳴をあげてつんのめる。

 朝の日差しが照らす外へと、よたよたよろめきながら押し出された。

 そんなミヅキの後ろ姿を見るキッキは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「まったく、ぼけっとしてんなよな!」


 店舗前の清掃を手伝おうとドアを開けて外に出ると、目の前に独り言を言うミヅキのぼーっとした背姿があり、キッキの苛立ちにまた火がついた。

 子供にしては力強い前蹴りは、やはり彼女が人ならぬ獣人ならではのもの。


「痛ってぇ……。だけど、目が覚めないぞ……」


 残念ながらこれだけ痛みを感じても、この現象は終わらなかった。

 蹴られた尻をさすり、また独り言を言うミヅキにキッキは盛大なため息をついた。


「はぁぁ、寝言はもういいから。さっさと掃除をやってくれ。ほら、手伝うから」


「あ、ああ……」


 キッキがぞんざいに投げて寄越したほうきで店先の掃き掃除を始める。

 そのそばで、ミヅキは辺りをきょろきょろと挙動不審に見回してみる。


 すると、道行く人々の異様が次々と目に飛び込んでくるのであった。


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