第4話 猫耳ママの朝食

「あ、あの、二人はその……。人間じゃあない、ですよね……?」


 ミヅキはちらりちらりと二人の個性的な外見を見やる。


 明らかに人間ではない二人。

 獣っぽい母と娘、パメラとキッキ。


 頭に生えた猫のような大きな耳と、ふさふさした毛の尻尾を隠す様子は無い。

 見るからに人間離れした容姿は仮装にしては出来過ぎ。

 というよりは、有無を言わせない本物を思わせる現実味を醸し出していた。


「はぁーあ、もうっ!」


 わかりやすく呆れた感じで大きなため息を吐き出すキッキ。

 その反応が、これも何度も行われた質疑応答であることは容易にわかった。


「そうだよっ。人間なんかじゃなくて、あたしたちは獣人さ。お前ら人間は亜人って種類でひとまとめに括ったりするけどな」


 ふん、と鼻を鳴らすキッキ。

 そっけなくも自然な言い方だった。

 彼女らは決して特別な存在という訳ではないらしい。


「別に獣人なんて珍しくも何でもないけど、まあ、ミヅキは記憶喪失だからなぁ。色々わかんないのもしょうがないよ」


 腰に両手を当てて苦笑気味のキッキに代わり、パメラがミヅキの身の上を何度目かになるだろうが優しげに教えてくれた。


「一ヶ月くらい前かしら……。どうしてなのかはわからないけれど、ミヅキ、あなたはパンドラの近くで多分、行き倒れていたの……。ちょうど、仕事で近くを通りかかったときに、この子がミヅキが倒れているのに気がついて」


「ありがたく思えよな。あたしが見つけてやらなきゃ、ミヅキは今頃野垂れ死んでたんだからな」


 パンドラ、という聞き慣れない地名とおぼしき単語が出てきた。

 ミヅキはその場所で意識を失い、行旅死亡人こうりょしぼうにんになるところだったそうだ。


「しかも、裸でなー!」

「うげっ、裸っ?!」


 きゃっきゃっと楽しそうに笑うキッキに、ミヅキは驚いて取り乱す。


 どうやらこの美人の獣人の親子に全裸状態で助けられ、ここまで意識無く運ばれてきたらしい。

 その様子を想像すると、羞恥に顔が真っ赤になる思いだ。


 あられもない有様を見られてしまったと思い、恐る恐るパメラの顔を見ると意味ありげな優しい微笑みを浮かべていた。

 余裕な感じの大人な女性の視線が痛いが、パメラは気にせずに先を続ける。


「そのままにはしておけなくて……。ミヅキの都合は考えず、店に連れて帰ってしまったの。もし迷惑だったならごめんなさいね」


 行き倒れを保護したというのに、パメラはどこか申し訳なさそうだった。


「そうだったんですか……」


 但し、そうは言われてもさっぱり合点はいかない。

 不明だらけな状況だったが、一旦は納得しておくことにした。


──うむむ、全裸で倒れていたのを見られたのは認めたくないけど、どうやら俺はこの二人に助けてもらったらしい。とりあえず、話を合わせて混乱するのはやめにしておこう。……まぁ、ともかく訳がわからない。夢を見てるんなら何だってありだろうけどな……。


 うーん、と押し黙るミヅキを見て、パメラはぽんと手を叩いた。


「さあ、後は朝ご飯を食べながら話してあげるわ。もちろん、ミヅキの分もあるから心配しないでね」


「あ、スンマセン。ご馳走になります……」


 そう言われてみれば、お腹が空いている気がする。

 さっき夕飯を食べたばかりなのに、漂う朝食の香りには食欲がそそられた。


 手際よく配膳するパメラとキッキに習い、ミヅキも店の食卓の一つに朝食を並べるのを手伝った。

 先ほどの匂いの通り、おしゃれな木のかごに盛られた固めなパンと、豚の薄切りを焼いたベーコン、折り畳んで半月状にしたオムレツが朝食のメニューだった。

 ミヅキはその見た目オーソドックスな朝食の味に驚くことになる。


「う、美味いっ! なんだこれっ……!」


 ふっくらと焼き上がったオムレツは、中からとろとろな半熟の黄身が溢れ出て、バターが適度に溶けた塩分と卵のコクとが奇跡の調和を果たしている。

 ベーコンは絶妙な加減で火が通っていて、焦げ目が無くそれでいて食感カリカリで、表面に砂糖がまぶしてあるのかほんのりと甘い味が噛む度に口に広がる。


 どちらも有名ホテルの味に勝るとも劣らない。

 このパメラという猫耳のご婦人、相当な料理の腕前を持っているようだ。


「俺、こんな美味い朝メシ、初めて食べたかも……」


「あら、ミヅキ、ありがとう。でも初めてじゃないわよ。うふふ」


 ここで一緒に暮らしている間、毎日食べているじゃないとパメラは笑った。

 少し開いた口許の、ふわっとした笑顔には少女のような可愛らしさがある。

 大人の妖艶さのなかに、可憐さも感じさせるパメラに頬も緩んだ。


「パメラさんてお母さんですけど、本当に若々しいっていうか、キッキのお姉さんだって言われても全然おかしく感じないですね」


 思わずそんな言葉が口をついて出てしまった。

 くすくす、と笑うパメラ。


「お上手ね、ミヅキ。それ、何度言われてもほんとに嬉しいわ」


 何度も言っていたようだ、とミヅキは赤面した。

 同時に足のすねに激痛が走った。


「痛ぇっ!」


「なーに、またあたしのママを口説こうとしてんだよ!? 何回記憶喪失になっても進歩ねーな……!」


 座っていてもわかるくらい尻尾を後ろでブンブン振り回す不機嫌なキッキに、思い切り左すねを蹴られた。

 別にいいじゃない、と朗らかに笑うパメラは獣人の事情を簡単に教えてくれた。


「私たち獣人は、あなたたち人間に比べて寿命が長いの。それに成人までの成熟期間が短くて、大人として活動できる若い間も長いから歳の取り方も緩やかなのよ」


「おまけに病気にかかりにくいし、暑い寒いにもめっぽう強いんだ。お前ら人間よりもあたしたち獣人のほうが凄いんだぞ」


 補足するキッキに、そういう言い方をしちゃ駄目、とパメラはたしなめた。

 しかし、母の言葉に耳を貸さずに、娘は警戒心を露わにしてさらに続ける。


「万年発情期の人間と違って、あたしたちにはそういう時期があってちゃんとしてるんだから、今はママを口説いても無駄なんだからな!」


 今はそういう時期とは違うらしい。


 獣人特有の常識なのか時期ではないことからか、二人はそんな取り扱いにくそうなデリケートな話題を頓着なく語った。

 その後も朝食を取りながら自分を取り巻く環境や、詳しい状況をパメラに教えてもらったが、まだ心ここにあらずな耳にはあまり入ってこなかった。


──話をかいつまむと、ここは長い横文字の名前の王国で、同じくらい長い名前の辺境領らしい。で、この街はトリスの街っていって、この宿はパメラさんが経営する「冒険者と山猫亭」だそうだ。これだけは覚えておこう。


 トリスの街の冒険者と山猫亭という宿に、いま自分は居る。

 王都から遠く北東の森林豊な山岳地帯に位置するとか、辺境とは思えないほど人が集まって出来た街だとか。

 そういった面倒そうな事情は聞き流すしかできなかった。


 当然ながら、ここはミヅキの知るいずれの場所でもなかった。


 地理にそこまで詳しい訳ではないが、少なくとも猫の獣人が暮らす王国など聞いたことがない。

 ともあれ、今から一ヶ月程度前、パンドラと呼ばれる場所の近くで、理由は不明だがミヅキは意識を失った状態で倒れていた、素っ裸で。

 そこを不憫に思ったパメラ親子に拾われ、この宿屋で保護してもらっている。


「街の行政に助けを求めようとも考えたけれど、素性の知れないミヅキがどういう扱いを受けるか心配になってね。記憶喪失の居候として、ここで働いてもらうのを条件にミヅキの身柄を預かることにしたの」


 保護しただけでなく、衣食住の世話まで買って出てくれたそうだ。

 パメラは眉根をひそめ、困り顔で言った。


「心配した通り、それからミヅキの容態は安定しなくてね。何度も記憶があやふやになる障害に悩まされていたわ。だけど安心してちょうだい。ミヅキさえよければ身体が良くなるまでここに居てくれていいから」


 という訳で、パメラとキッキの自己紹介から近況説明までを何度も何度も受ける羽目になっていたそうだ。

 不明な状況は記憶喪失が原因だと一応は納得がいったと思ったものの。


「覚えてなくて申し訳ないんですけど、色々お世話になってるようで、ありがとうございます……」


 妙な申し訳なさを感じるリアルな夢だと感じ、ミヅキは割と本気で頭を下げた。

 両手で持った固いパンを噛み千切り、キッキはけらけら笑った。


「気にすんなって! 置いてやる代わりに毎日こき使ってやってるからさ! 今日もしっかり働いてもらうからなー」


 一体何をさせられているのか不安の面持ちでいると、パメラは柔らかく微笑む。


「心配しなくていいわ。お店の手伝いをしてもらってるだけよ。保護はしたものの、どんなひとなのか不安だったけど、正直ミヅキが居てくれて助かってるのよ」


「いい拾い物したってねー」


 まだ笑っているキッキを、こら、と叱りつつパメラは続けた。


「今日もこの後ミヅキに行ってもらうことになるけれど、パンドラで働いてる兵士さんたちのところにお弁当を届けてほしいの。結構な量があるから荷車を引くのも大変でね。しかもちょっと遠いから配達の間、お店も閉めないといけないし」


 再び会話に出てきたパンドラという場所。

 そこに詰める兵士たちに昼食を配達するのが居候のミヅキの日課のようだ。


「あの、ちょっと聞いていいかな……?」


 コクのある美味いオムレツを頬張りつつ、ミヅキはさっきから話に出てくるそれについて聞いてみることにする。

 ミヅキが倒れていた場所の近くにあり、兵士という物々しい職業の者たちが詰める場所、パンドラ。


──なんか、妙な感じだ……。


 ミヅキの胸の鼓動が不意に高鳴った。

 パンドラというその単語は、身体を芯からざわざわと震わせる。


「……その、パンドラっていうのは?」


「ふふん、よくぞ聞いてくれましたっ!」


 おずおずとした声で聞くミヅキに、ミルクをごくごく飲んだキッキが鼻を鳴らして答えた。

 何故かとても自慢げだ。


「パンドラっていうのは、この街の──! いいや、この国を代表する世界最大級の大ダンジョンのことさ!」


 ダンジョン、その非日常の言葉がキッキの口から飛び出した。

 それを聞いた瞬間、間違いなく全身が震えた。


 さっきからしている胸の高鳴りや、頭の中を揺らすざわつきは幻ではない。

 これは、ただの夢ではないのだろうか。


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