第13話
配達も終わり、ツルギが車に戻ろうとしたそのときである。
大きな叫び声が裏手の駐車場付近で響き渡った。
子供の泣き叫ぶ声と、女の声。
ツルギには、叫び声が英語であるとすぐに解った。
しかし、たとえ、英語を理解しない者であっても異常な事態が発生した事は誰の耳にも理解できた。叫び声のする駐車場へ行くと、泣き叫ぶ女の子を抱えた男が一人。
ナイフを振りかざし、わめいている。
男はジャンパーに作業ズボン。
目の鋭さは、遠くからでもその異常さが伝わってくる。高くもつれるような声は、辺りに響き渡っているが、何を要求しているのか、わからない。精神異常者と見てよい。
子供の命にとって、一刻の余地もない。
男の足元に、女が一人、倒れているが、生死は分らない。犯人から離れて、大声を出しているのは、子供の母親だろうか。この状況は誰の目にも緊迫したものであるが、これを解決しようと動く者はない。
誰も手を出せずに、遠巻きに見るだけである。
犯人の様子にツルギは少しの猶予もないと判断した。そう感じたと同時に、ツルギは自分自身の「何か」に反応するように、俊敏さを誇る生き物のように、素早く身体(からだ)の向きを変え、犯人の後ろに積まれているコンテナ(野菜入れケース)の裏へと走りこんだ。
そうして、犯人の男から死角となる位置に身を隠した。
この素早い行動は全てツルギの「子供を助けたい」と思う一念(いちねん)から出たものであるが周りで見ていた人はその「身のこなし」の見事さに驚かされている。
ツルギのどこから、この様な力が湧き出てくるのか
コンテナを挟んで、犯人とツルギノ距離は3~4メートル。犯人の男の息づかいが聞こえる程の距離である。
一刻の猶予もないと判断したツルギは、更にその距離をつめてコンテナを回り込み身をかがめ犯人から2、3メートルの位置に息を殺した。夕焼けは全てを照らし、事件の緊迫感を和らげているようにも見えた。
子供は激しく泣き声をあげ両手を母親のほうに向け助けを求めている。犯人は金切り声をあげ意味の分らない事を言い続けている。
こんな状況にありながらツルギは「自分が意外と冷静」である事を内心驚いていた。
彼女のこの冷静さは犯人に飛び掛る瞬間を計算するのに必要なものだった。
しかし、どのタイミングで行動を起すかこれが問題なのかもしれない。
大事なのは行動を起す瞬間である。
それはツルギが枯れ草を踏んだ時に始まった。
「カサッ」っと、かすかな音。
大きな身体を小さくし目を一瞬に光らせ眉をつり上げた。
バネの様に犯人の真横に飛び出した。ツルギの気迫とコンテナが崩れる大きな音に驚いた犯人がそのひるんだその瞬間、空手で鍛えられたツルギの右手は、男の額をとらえていた。
男は異様な声を上げ、のけぞるようにコンテナに身体(からだ)をあずけた。
その弾みに振り上げたそのナイフは、ツルギの腕を切り、鮮血が飛び散った。
ツルギの次ぎの一撃はみぞおちを捉え犯人は地面に崩れ落ちた。
ツルギは泣き叫ぶ子供を素早く犯人から奪いとった。犯人はピクリとも動かない。
ツルギは腕からの流れ出る血にかまうことなく動揺して声の上ずっている母親に声をかけ子供を手渡した。
赤ん坊は激しく泣き、母親に抱きついた。
母親は、子供に何の怪我がないことを知って、涙を浮かべながらツルギに礼を言った。
血を流してそばに倒れている女性にも、ツルギは声をかけた。
反応はすぐにあった。
気絶をしてしまい、途中で気がついたが身動きが出来なかったらしい。
さほど大きな傷を負っている様子も無かったので、励ましながら助け起した。
二人の外国人女性は友人同士であり、共に、アメリカ海兵隊の夫を持っている
ツルギが英語を話せる、と知った母親は感謝の言葉を何度も繰り返した。
子供の無事を喜んでツルギをかたく抱きしめた。犯人から子供を奪い返すまでの出来事は一瞬の出来事である。
それを見ていた買い物客は、映画の一シーンのようだったと、興奮気味に話した。
やがて、サイレンの音が響き、パトカーが止った。
次に救急車が到着。周りの人から見れば「のんびりやって来た」ように見えた。
しかし、それはツルギの判断力と行動力が、常人の域を超えていたので、周囲の動きが遅く見えたのである。
救急車は、被害者の三人を乗せて病院に向かい、別の救急車にはツルギが乗った。
ツルギの傷は腕を縦に15センチに及ぶものであったが大事には至らなかった。
その病院で、犯人が即死であった事を警察から知らされた。
その知らせにツルギの心は動揺した。
たとえ犯罪人であっても「人を殺した」と言うことはツルギの心に大きくのしかかった。
反面「社会の役に立った」と言う自負も心の中で沸き起こった。
しかし次に待ち構えていたのはツルギに対する警察の対応である。
犯人と言えども、人一人を殺したという事実。
この事実はツルギに対しての、警察の厳しい取調べとなった。
ツルギにとって悲しい経験となった。
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