売約済み
星雷はやと
売約済み
「来ないな……」
運動部の声が遠くから響く裏庭。夕陽に照らされながら、溜息を吐く。今日は密かに想いを寄せている幼馴染に、告白をする覚悟を決めていた。
彼の下駄箱に放課後、裏庭の桜の下に来て欲しいという旨の手紙を入れたのだ。授業に集中出来ず、友達には散々心配されてしまった。しかし、彼は来なかった。それが全てだ。
「ははっ……振られちゃったな……」
言葉にすると実感が湧き、虚しさと寂しさがこみ上げてくる。鼻の奥がつんと痛み、桜を見上げた。霞む景色の中で、桜の花弁が踊るように舞い落ちる。
「じゃあ、僕にしない?」
「……えっ!?」
背後から聞き覚えのない男の声が聞こえ。急いで振り向くと、桜の幹のかげから一人の男子生徒が出て来た。学ランに身を包んでいるが、見たことのない生徒だ。学年が違うのかもしれない。
「どう? 僕なら、君のことを悲しませたりしないよ?」
「……っ!? 何時からいたのよ……」
自信か自惚れなのか、彼は堂々と宣言した。この男は私が此処に居た理由を知っているのだ。私は目の前の男を睨み上げる。
「ずっと前からさ、僕が昼寝をしていたら君が来た。僕の方が先だよ。……でも不思議で、君と一緒に居るのは悪くなかった。だから僕にしない?」
「しない。好きでもない奴と付き合う気ないから」
男と私は間違いなく初対面だ。それなのに言寄ってくるのは可笑しい。きっと遊ばれているのだ。何かの罰ゲームだろう。私は知らない人と付き合う気はない。笑いの種になるのも御免だ。男の提案を切り捨てた。
「……でも君は想いを伝えることも許されなかった。そんな相手を想い続けるなんて不毛じゃないか。虚しいだけだよ?」
「……なっ……」
私が此処に居た理由を知っているのに、この男は澄ました顔で傷口に塩を塗る。男の態度は心底気に入らないが、告げられた内容は事実だ。腹立たしい程に正論である。
「僕なら毎日愛を囁いて、抱きしめてあげるよ?」
「やめ……」
煮詰めたジャムのように、甘くどろりとした声が鼓膜を揺らす。遅効性の毒のように、じわじわと身体に広がっていく。思考が鈍くなるのを感じつつ、男から逃げろと本能が警鐘を鳴らす。だが身体が動かない。視線が彼を捉えて逸らすことが出来ないのだ。
「泣かせたりしない。……だからね?」
「……っ」
男は美しく微笑むと私へと、手を差し出した。その手を取らなければならない。この手を掴めば私は幸せになれる。
私は右手を伸ばした。
「おい! 危ないぞ!」
「……っ!?」
大きな声と共に、左腕を掴まれ後ろへと倒れ込んだ。視界がぐるりと回転した。
「大丈夫か!?」
「え? なんで……?」
柔らかく温かい何かに包まれていることに気が付き、顔を上げると幼馴染が焦った表情で覗き込んできた。私は彼を下敷きに、地面に倒れていた。この状況も彼の登場も分からず、私は首を傾げた。
「そこの先は底なし沼だぞ!? 忘れたのか?!」
「……え? あ……そうだ……」
彼に手を貸して貰いながら起きあがり、彼が指摘する先を見る。そこには澱んだ沼が広がっていた。私は数秒遅れて、裏庭には底なし沼があり立ち入り禁止になっていることを思い出した。何故、こんな危険な場所に入ろうとしていたのか分からない。彼が来てくれなかったらと思うと身震いが走る。
「まったくなぁ……お前からの呼び出しがあって楽しみにしていたらさ? 今日はやたらと先生や先輩たちから頼まれごとされて……。それで爆速で終わらせたら、好きな奴が底なし沼に飛び込もうとしている姿を見た俺の気持ち分かるか?」
「……っ……ごめん……でも、覚えてなくて……え? 好き?」
幼馴染の彼はゆっくりと私の頭を撫でながら、此処に来るまでの経緯を口にする。昔から彼に頭を撫でてもらうと気持ちが落ち着くのだ。よく見れば彼の額には汗が滲み、頬には汗が流れている。スカートのポケットからハンカチを取り出して、彼の汗を拭き取る。
必死で助けに来てくれた彼は私のヒーローだ。そういえば昔から、不思議と窮地には彼が駆け付けてくれていた気がする。彼の話しの中に気になる言葉を発見してしまった。
「ん? そうだ。俺はずっと昔からお前のことが大好きだ! お前は知らなかったみたいだけどな」
「……っ、わ……私だって大好きだもん!」
色々と考え悩んでいた私を一蹴するかのように、爽やかな笑顔で彼は告げた。想いを寄せていた幼馴染からの突然の告白に、私の心臓は五月蠅く脈打つ。夢かと一緒思ったが、身体の熱と五月蠅い鼓動が、現実であることを教える。歓喜に打ち震えながらも、自身の気持ちを叫んだ。
「じゃあ、両想いだな!」
「……そっ……そうだね」
眩しい笑顔で恥ずかしいことを大声で叫ぶ。昔から感情表現が豊かで、お人好しで大好きな彼である。
「じゃあ帰ろう! ほら、迷子にならないように」
「う……うん」
彼は私に手を差し出した。沼の件には驚いたし、何よりも彼に触れていたい。私は彼の手をとった。彼の手から伝わる熱が、火傷するかのように熱い。
「あ、そうだ。助けくれてありがとう!」
「……っ、勿論! だってお前は……」
助けてもらったお礼を伝え忘れていたことに気が付き、歩きながら告げる。彼は何か口にしたが、学校のチャイムにより最後まで私の耳に届かなかった。笑顔なのだから、きっと私は彼が聞けば照れてしまう内容だろう。私は気にすることなく、彼と共に幸せな気持ちで家路に着いた。
だから夕陽に照らされた彼の影に、九本の尾が揺れていることには気が付かなかった。
売約済み 星雷はやと @hosirai-hayato
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