13時間目 気が重くなる家庭訪問:志都美亜紀

 大宮先生の家を訪ねた次の日、俺はとあるアパートのインターホンを押していた。ドタドタという音が扉越しに聞こえてきて、ガチャリと扉が開く。そこには――


「いらっしゃいせんせー!」

「よっ、元気そうだな亜紀」

「勿論! 休日だから勉強とか考えなくていいしっ!」


 短パンに白Tシャツ姿の亜紀がいた。長めの栗色の髪を後ろで一纏めにしていて、学校ではつけてない眼鏡をかけている。

 まあまあ入って入って!と手をひかれ、俺は亜紀の家にお邪魔することになった。


 六畳一間の狭い和室、そこにあるちゃぶ台を挟んで俺たちは座る。早速話をしようと俺が口を開くと、俺の目の前に湯呑ゆのみと温かいお茶が出された。


「粗茶ですが」

「あ、お気遣いありがとうございます」

「ありがと胡桃くるみ~」


 亜紀の隣に座り、湯呑を乗せていたお盆を膝に乗せてお行儀よくしている胡桃と呼ばれた小さな女の子。

 ちょこんと座ったまま横で胡坐あぐらをかいている亜紀の膝をぺしりとお盆で叩きながらため息をついた彼女は亜紀を責め立てる。


「ふぅ……来客の予定があるなら前日までに言っておけと言いましたよねお姉さま?」

「うっ……聞いてよ胡桃ぃ。今日起きてから思い出したんだよ」

「理由になってません……はぁ。申し訳ありません先生、大したお出迎えも出来ず」


 申し訳なさそうに頭を下げる胡桃ちゃんに、俺は気にしてないですよと慌てて頭を上げさせる。

 彼女たちの家庭は特殊で、姉妹だけで生活をしている。能天気な姉の姿を見てきたからなのか、妹の胡桃ちゃんはすごくしっかり者だ。


「ほら、気にしてないって!」

「お姉さまったら……なんでこんなにも残念なのでしょうか?」

「大丈夫、本当に気にしてないから」


 そう言って笑うと、胡桃ちゃんは『先生はお姉さまに甘すぎです』と文句を言いながら亜紀への説教を止めた。

 さて、ここからが本題だ。


「で、学生寮の件なんだけど――」

「あーしはいいよー」

「待ってください、初耳なんですけど」


 俺が話を切り出した瞬間、姉妹の間で認識の齟齬がいきなり出てきた。知らないって……まさか。

 俺がスッと亜紀の方を見ると、亜紀は鳴らない口笛を吹きながら汗をだらだら書いて目をそらす。胡桃ちゃんがそんな姉の様子を見て、隅に置いていた亜紀の鞄を探り出した。


「あー! 胡桃、お姉ちゃんの鞄漁らない!」

「あった……お姉さま、こういうプリントは帰ってすぐ出しなさいと言いましたよね?」

「ぁう……」


 鞄の底からぐちゃぐちゃになった学生寮案内のプリントを引っ張り出してきた胡桃ちゃんが呆れ顔で亜紀を見ている。はぁ……見せてすらなかったのか。

 俺は丁寧にプリントのシワを伸ばしている胡桃ちゃんとバツが悪そうにしている亜紀に、分かりやすいように説明を始めた。


「――ということなんだ」

「なるほど。小学校の間でも、魔女は悪いものという考えをしている子がいました。髪色が他と違うというだけでいじめになり、その子を庇った子も無視されるといったことも……」

「え? そうなの?」


 胡桃ちゃんは通っている小学校の雰囲気からある程度の事情は察していたのだろう、こういう空気を読む能力は女性の方が発達が早いと聞く。

 小学校六年生の胡桃ちゃんも、その例に漏れず時勢の機微を感じ取っていたのだろう。


 亜紀は……まあ、友人が魔女ばかりだからそんな空気になっていることに気が付かなかったのも仕方ない。バカすぎて周りが見えてないとかいう理由じゃないことを祈る。


「……私は。いえ……お姉さまを、よろしくお願いいたします」

「胡桃がいけないなら、あーしは行かないよ?」

「お姉さま……?」


 だって、ずっと一緒だったもん!と亜紀が頬を膨らませる。


「寮って友達ん家にお泊りするみたいなイメージだったから軽くオッケーしてたけど、胡桃を残して帰ってこれないなんて嫌。それならあーしは今のままがいい」

「なっ……何ワガママ言ってるんですかお姉さま!? お姉さまがこのままだと危険だからとこのような案内をくださったんですよ!」

「胡桃を一人でおいていくなんてヤダ! たった一人の家族と離れ離れになるなんて……やだよ……」


 胡桃の袖を掴みながら俯く亜紀、お姉さま……と困惑した表情を浮かべながら胡桃ちゃんはこちらを縋るような目で見てきた。

 大丈夫、と俺は優しく声をかけ極めて明るい声で彼女たちに話しかける。


「亜紀たちの家庭環境はすでに相談済みだ。『志都美胡桃が大神田学園に入学するのであれば』という条件付きだが、それなら表向きの理由を使って一緒に住まわせることが出来るとの回答を得た」

「じゃ、じゃああーしらは一緒に住めるってこと!?」

「お気楽ですねお姉さまは……大神田学園は魔女以外は入学試験が必要だったはずです」


 そう。大神田学園は魔女を優先的に入学させる都合上、普通の人間も自由に入れてしまえばキャパシティーがオーバーしてしまう。

 故に、普通の人は入学試験でふるいに掛けられるのだ……この制度も昨今はズルいだ贔屓ひいきだとネットで叩かれていたっけ。


「しかも、その条件と入寮時期を考えれば……私に与えられた期間は4ヶ月ですか」

「……そうだ。4ヶ月で入学試験科目である国語、算数、理科、社会を合格ラインまで仕上げろ。それが学園側が提示してきた条件だ」

「そ、そんなの無茶だし! 胡桃はそりゃあーしと違って賢いけど……無理だよ……」


 そんな無茶苦茶な条件のめるわけないしっ!と声を荒げる亜紀だが、一方で胡桃ちゃんは冷静な様子で、顎に手を添えて考え事をしていた。

 俺は、この条件を提示された際に胡桃ちゃんの小学校に問い合わせてテストの成績を特別に見せてもらったのだが……その時の彼女の成績は――


「私なら出来るという確信を持って、この条件を引っ張ってきましたね? 先生」

「本来はもっと要求を下げたがったが、こちら側からはこれが限界だったんだ。代わりに卒業まで授業料無償化はもぎ取ってきた」

「はぁ~……ここまでお膳立てされたら、頑張るしかないじゃないですか……私だって、お姉さまと離れ離れになるのは嫌ですし」


 そう言って困り顔をしながら胡桃ちゃんは小さく笑った。亜紀もそんな彼女の姿を見て、振り上げていた両腕を大人しく降ろす。


「胡桃、本当にそれでいいの? お姉ちゃん、力使おうか!?」

「それ不正ですし、お姉さまが心配しなくとも大丈夫ですよ。この前、商業区の図書館にあった大神田学園の赤本を解いてみましたが満点でしたし」

「はは……末恐ろしいな。あと亜紀、力使ったら問答無用で折檻せっかんだからな」


 前向きになってくれたようで良かった。亜紀も精神状態が力を発現させるまでには不安定になっていない、上々の結果を引き出せたのではないだろうか。

 『今すぐ勉強しないといけなくなったので、お姉さまは先生をお見送りしてください』と胡桃に家から追い出された俺と亜紀は、アパートの階段を降りる。


「ありがと、せんせ」

「ん? 礼を言われるようなことは何もしてない」


 カンカンと階段を鳴らす音を聞きながら、お礼を言って来た亜紀に俺はそう返す。うぅんしたよ、と数段下にいた亜紀が振り返って弱弱しく微笑んだ。


「あーしらは、さ。両親がいないから、二人でなんでもしなきゃいけなくて……でもあーしは馬鹿だから、胡桃に迷惑ばかりかけて」

「…………」

「胡桃はあーしと違って賢いからさ、良い学校に行けるようにってあーしはバイトいっぱい頑張ってお金貯めてたんだ」


 ほら、胡桃は普通の女の子なんだからおしゃれとかジューヨーじゃん?と人差し指をくるくる回しながら亜紀は続ける。


「食費とか光熱費とかさ。あーしが寮にいけば、その分が浮くって最初は喜んでたんだけど……やっぱりあーしの一番は胡桃。一人ぼっちにさせたくなかったから、さ」

「多分、胡桃ちゃんも亜紀が一番だと思うぞ」

「え?」


 不思議そうに顔を傾ける亜紀に、お互い様だと俺は笑った。


「胡桃ちゃんが一番最初に寮に賛成した時、言いよどんでいただろう? あれは『自分のせいで不自由している姉を護るために自分が我慢しなきゃ』とか思ってたんじゃないかなーと、俺は思う」

「そんなこと……あーしは望んでないのに」

「お互い自分が我慢すれば相手が幸せになるって思い詰めすぎてるんだよ。もっと先生大人を頼りなさい」


 撫でやすい位置にある頭を優しく撫でてやると、うわーん!と亜紀が抱き着いてくる。


「せんせー! せんせぇ~!」

「胡桃ちゃんを信じて、バイトを減らし勉強しなさい」

「ぐす……うん、努力する……」

「努力か……まあ、一歩前進だな」


 やる、とは言わないのは亜紀らしいというか何というか。胡桃ちゃんなら大丈夫だろうし、亜紀も馬鹿だが素直な性格だからバイトを減らして勉強に充てる時間を確保するだろう。


 こちらも万が一のために助けられるよう学校側と交渉は続けるつもりだが……納得してくれたみたいで良かった。

 さて……あと3件、ここからはこれまで以上に説得に骨がかかる家庭だらけになる。


 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら俺の胸で泣きじゃくっている亜紀の頭を撫でながら、俺は未来の苦労に肩を落とすのだった。

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