第28話「アラン、おめでとう」

〈アラン、油断しちゃダメ〉


 リリーの言葉にハッとする。耳がキーンとして使い物にならなそうな中で、ジェナの方を見る彼女の姿が消えていた。どこだ?


 後ろを振り向くと、眼前までジェナが迫っていた。彼女の両脚、固そうな鉤爪が僕の頭を目掛けて、真っ直ぐにきていた。


 目に刺さる寸前で避けるも、肩に彼女の鉤爪が深く刺さり、掴まれる。口から勝手にうめき声が出てくる。僕はそのまま空中へと連れ出され、ジェナの足を切ろうと僕の手の鉤爪を振ったが、その前に投げ出され空振りに終わった。


 投げ出された体で、じくじくとした痛みを無視して、自前の翼で空中を滑り観客席のような場所に転がり込んだ。あちこちをぶつけながら、岩で出来た椅子が僕の身体で壊れる。


 すぐに攻撃がくるかもしれないと思って、すぐに立ち上がり、ジェナを探す。彼女は空中で僕を見下ろし、笑っていた。


「はははっ、てめぇ、飛べねえのかぁ? アラン」


「うるせえよ。今すぐ殺してやる」


「おーおー、怖いねぇ。空も飛べねえただの鳥にアタシ――竜人が殺せるわけねえだろ。地面に這いつくばり、死にな」


 ジェナはまた口を大きく開ける。


〈アラン、耳を塞いでっ。また来るっ〉


〈分かってるっ〉


 僕が耳を手で覆うのと同時に、またあの声が聞こえてきた。耳に刺さる、音圧そのもの。地面に押し潰れそうな圧迫感があった。頭が下がりそうになるのを、必死にジェナの方を見る。


 このままではジェナのもとに辿り着くことすら出来ない。この音とブレスが同時に出ないらしいのが、唯一の救いだった。


 僕はジェナに近付くため、耳を塞いだまま、足に力を込めた。この音を出させないように、近距離で攻撃しまくるしかない。


 音はまだ続いている。息が長すぎだろ。それとも魔法の一種で呼吸は関係ないのか?


 飛ぶ。僕自身も理解できるかギリギリの速さでジェナのもとに跳躍した。


 驚いたのか、ジェナの目が見開き、音がやんだ。彼女の顔目掛けて鉤爪を振ったが、空振りに終わる。ジェナは僕から離れようとしたのか、空中で身を翻し、飛んでいく。僕は、羽をはばたかせ、魔法も使い、どうにかコントロールして彼女を追う。狭い空間の中で、びゅんっびゅんと景色が変わる。


「逃げるなっ、ジェナっ」


「逃げてねえよっ」


 ジェナが突然動きを止め、向かってくる僕目掛けて口を開けた。どっちだ? 彼女の口内が白く光る。ブレスの方かっ!


 上下左右に方向転換し、飛んでくるブレスを避けながらジェナに肉迫する。ジェナは器用な事に、後ろに飛びながら、向かってくる僕にむかってブレスを放っていた。


 いくらブレスを放っても、まったく当たらない僕にジェナは苦々し気な表情をすると、口を大きく開け――口の中は白く光らなかった。


 僕は耳を塞ぎ、逃げなかった。むしろ速さを上げ、ジェナに突っ込む。


 ジェナが金色の瞳で僕を睨み、僕はジェナのお腹に思いっきり鉤爪を差し貫こうとしたが、彼女の両手ががしっと掴んだ。


 ニヤッとジェナが笑う。


 さっきの音がまた僕を襲った。耳に音が刺さり、力が緩みそうになる。


〈アランっ。そのまま地面にっ!〉


 リリーの言葉に目を開き、力を込める。


 ジェナは金色の瞳を見開き、僕を忌々し気に睨んだ。


 僕は一切力を緩めず、地面に向かってジェナの体を押し込んでいく。


「死ねえぇええええええっ」


 ジェナが僕を睨むように、僕も彼女を睨み返しながら、真っ逆さまに落ちていく。数秒と経たず地面に到達すると同時に、ずるっと僕の鉤爪が深くジェナの身体を差し貫いた。地面が凹み、砂埃がもうもうと辺りに立ち込める。


「ハッ……」


 上擦るような吐息が聞こえ、彼女の口から新しい血が零れた。鱗が剥がれていた場所を狙った鉤爪は、ジェナの身体を完全に貫くことに成功していた。ジェナからの音圧はいつの間にか消えており、僕の息とジェナの呻き声だけが聞こえてくる。


「ぐぞったれっ……!」


 ジェナはバタバタと暴れる。僕は血を流しながらも、罵倒し続けている彼女の口に、もう片方の鉤爪を突っ込んだ。


 目を瞑り、ひたすらに思う。


 死ねよ。


 ジェナから声はしない。口を潰したのだから当然だが、それでも彼女の身体は抵抗を示していた。僕は彼女の体を差し貫いている両手から一切力を抜かず、馬乗りになってジェナの身体を差し貫き続けた。


 死ね。死んでよ。僕のお父さんとお母さんを殺した。村を壊した。僕を痛めつけた。なんで、お前みたいなのが生きている。


 枯れた声で叫び、目を瞑っていても熱いものが溢れていく。なんで、なんで。死んでくれ。


「死ねよっ!」


「――アラン、生きてない」


 イリルの声が間近で聞こえ、ハッとする。閉じていた瞼を開くと、真っ赤なジェナが目を見開き、口を開け、ピクリとも動かなくなっていた。金色の瞳はどこも見ておらず、流れている血は固まっている。差し貫いている鉤爪からも彼女の生温い体温は感じられなくなっていた。


「殺した……?」


 まるで実感がない。自分の声すら、どこか遠くに感じる。しかし、目の前の光景と感触は間違いなく、勇者パーティーの一人、ジェナを殺したことを如実に語っていた。


 ジェナの死体を見ている視界がぶれる。そう、死んでいる。間違いなく。息をしていない。誰が殺した。僕が殺した、この手で。


 荒い呼吸音がまるで他人のように耳に入ってくる。自分の出している音なのに。


 満たされない。やっとジェナを殺したのに。なにかが足りない。僕がずっと抱えてきたものは僕の身体を縛ったままだ。なんで?


「はは……」


 空気が漏れる。やめだ。感傷になど浸っている場合ではない。まだ、勇者パーティーには二人いる。アーサーとナンシーが。


 物言わぬ死体から、両腕を引き抜く。ずるずると固まりかけの赤黒い血が、どろっと死体に垂れる。


「アラン、死体、使う?」


「いや、イリルの好きにしていい」


「やった。アラン、優しい」


 優しい。あまりにこの状況に不釣り合いな言葉に、苦笑してしまう。精霊の感覚はよく分からない。


「アラン、ダンジョン、吸収する。そこ、どいて」


「ああ、今退く」


 僕が死体となったジェナから起き上がり、二歩、三歩と下がると、死体が水の中に沈んだように、ずるずると床に消え去った。水面のように揺れていた床はすぐに元に戻った。しかし、そこには死体はおろか血痕もまったくなかった。


 不思議と恐怖は感じなかった。目の前のイリルがやっていると分かっているせいだろうか。リリーそっくりに姿をしている彼女が。


 そういえば、リリーの声を聞いていない。


「リリー?」


〈……アラン、おめでとう。ジェナを殺せたね〉


 少しの沈黙のあと、リリーはそう僕を祝福した。

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