シュレディンガーの小林さん

蒼色ノ狐

シュレディンガーの小林さん

『深窓の幽霊姫』

『神秘令嬢』

『黒の堕天使』


 これらは彼女、小林綾香に付けられた異名のほんの一部である。

 この高校の生徒の数だけ呼び名があると言われている彼女だが、僕こと小鳥遊は普通に小林さんと呼んでいる。


 彼女は美人だ。

 腰まで伸ばした長い黒髪はツヤツヤしていて、黒曜石のよう。

 身長も下手な男子より高く、細身でスラッとしている。

 手足も長く、バレーボールをしたら活躍できると思う。

 顔も整っており、テレビに出てる芸能人より僕はキレイに思う。


 彼女は文武両道だ。

 去年の模試では全国で十位内と聞いた。

 この間の球技大会でも、彼女の活躍でチームがバスケで勝利していた。

 部活には入っていないようだけど、もし入ったらどこでも活躍できるのは想像しやすかった。


 彼女は不思議な人だ。

 いつも彼女は何かを話している。

 それも何もないように見える空中に。

 誰かが遮っても構わず話続け、よく笑っている。


 ……だから彼女は孤独だ。

 元々自分からクラスメイトに話しかける事はせず、しても事務的な事ばかり。

 みんなが気味悪がって距離を取るのを好都合かのように、彼女は何も無い場所に話しかけ続ける。

 一時期はイジメもあったという噂もあるが、本人が語らない以上は分からない。


 曰く、本当に幽霊が見えている。

 曰く、精神を病んでいる。

 曰く、皆の気を引こうとしてる。

 曰く、曰く、曰く……。

 これも生徒の数あると思うが、結局真相は小林さん以外分からない。


 そんな小林さんと僕の道が交差したのは、高校二年生になった春の時であった。



 二年生への進級。

 クラスも変わり、それぞれが新しいテリトリーを構築する中で僕は一人小林さんを見ていた。

 直接彼女を見るのは初めてであったが、良くも悪くも噂通りの人だと思った。


「フフ。それでね」


 美しい笑みを浮かべ何者もいない空中に話しかけるその姿は、確かに気味の悪いものなのだろう


「……」


 だが僕は興味の方が勝った。

 彼女の、小林さんの事を知りたいと思ってしまった。

 それは純粋な興味か、それとも別の何かが混じったものなのかは僕にも分からない。


「君は」


 だが、気づいた時には。


「何か、見えているの?」


 そう口にしていた。


「……」


 小林さんがキョトンとした表情で僕を見つめている。

 いや、小林さんだけじゃない。

 さっきまで賑やかだった教室は静まり返り、クラスメイトが正気を疑うように僕を見ている。

 それだけ雑談を小林さんに話しかける事が珍事であるかを表しているが、僕としては迷惑この上なかった。

 そしてその小林さんは段々と表情に笑みを浮かべて、逆に僕に問いかける。


「……さぁ? 君はどう思うの?」

「い、いや。どうと言われても」


 僕が返答に困っていると、小林さんは確実に僕に対して話しかけてくる。


「『シュレディンガーの猫』って、知ってる?」

「な、名前ぐらいは」

「私もよくは知らないけど。物理学者が空想上でやった実験で、一定確率で毒ガスを噴出する箱の中に猫を入れた場合。箱を空けなければ生きてる可能性と死んでる可能性は半々、といったのが大まかな内容。今は空想でもやったら団体から苦情が来そうよね」


 僕はその話を聞きながら、横目でクラスの様子を確認する。

 クラスメイトたちは只々その光景が信じられないでいるようだ。

 それも当然と言えるだろう。

 小林さんが授業以外で、この学校内において長文を明確な誰かに向けて話してる姿を始めてだと後から友人に聞いた。


「ともかく。それに例えるならば」


 そこまで言って小林さんはグッと僕に顔を近づける。


「こ、小林さん! 近い!」

「私が明かさなければ、本当に幽霊が見えている可能性とただの演技。それらの可能性は半々と言う事、分かった?」

「わ、分かった」


 僕がそう言うと、小林さんは何事も無かったかのようにまた空中に話しかける。


(結局、はぐらかされただけの気がする)


 どこかモヤモヤした気持ちを抱えながら、その後は話す事もなくお互い家に帰った。



 その翌日、僕は『小林係』に任命された。


「小鳥遊は小林と仲が良いんだろ? 小林も一人だと大変だろうし、お前がコミュニケーションの取り方を教えてやれ」


 と言うが先生の言い分であったが、要は生徒の問題を生徒に解決させようという事だ。


「フフ。災難ね、小鳥遊くん? いえ、『小林係』さん?」


 そう笑いながら小林さんが言った言葉が、初めて彼女から話しかけてきた第一声となった。



 その後は様々な出来事があった。

 ペアを組む授業は必ず小林さんと一緒。

 休み時間も積極的に話かけた。

 流石に体育やトイレは別々であったが、可能な限り僕は小林さんと過ごした。

 もちろん修学旅行も、文化祭もである。


 そして、話しかける内に少しづつであるが分かった事がある。

 第一に小林さんは決してコミュニケーションが取れない訳ではない。

 少なくと話しかければ答えてくれるし、面白ければ笑ってくれる。


 第二に彼女は変わっているが、精神的な異状はないように思える。

 受け答えもしっかりしているし、何より本人が否定した。


「少し変わっているからと言って、精神を病んでるだなんて酷いと思わない?」


 珍しく怒ったように口を尖らせながら、自分で作ったというお弁当を食べていたのはよく覚えている。


 第三に家族構成。

 資産家という噂もあったが、どうやら両親とも中流会社に勤めているようだ。

 それに妹がいるようで、来年は後輩になる予定らしい。



「ここまで分かっても……なぁ」


 季節は冬。

 それも年末が差し迫った頃の夜である。

 僕は自室の窓からこの地域では珍しいチラチラ振る雪を見ながらそう呟く。

 そう。

 ここまで理解しながら、僕は小林さんの本心を聞いた事はない。

 この関係について聞くと、小林さんは決まって。


「さぁ? どう思っていると思う?」


 と言ってくるのである。

 例の『シュレディンガーの猫』的に言うならば、ハッキリさせようと箱を空けようとしても箱が逃げるっと言ったところ……。


「いや、この例えはないな」


 とさっきの例えを頭から消す。

 結局のところ、僕には小林さんの本心を確かめる術がないのだと考えてた時だった。


 ピンポーン


「ん? こんな時間に配達か?」


 僕は少し面倒に思いつつも玄関へと向かう。

 一緒に暮らしている両親は長期の休暇を取って海外で年を越すため今はいない。

 故に勉強をさせるために残された僕が出るほかないのである。


「っと。確認をしてから」


 万が一の時を考え、外の様子をモニターで確認する。


「……え?」


 モニターに映っている光景が信じられず、もう一度確認する僕であったが結果は変わらない。

 急いで玄関に向かい鍵を開ける。

 そこに立っていたのは。


「遅いわよ?」


 寒さ対策でモコモコになった小林さんであった。


「えっ、ちょっ。何で?」


 混乱した頭でようやくその言葉を捻り出すと、小林さんにしては端的に答えてくれた。


「家が燃えたのよ。今夜泊めて?」

「えっ?」



 訳の分からないなりに小林さんの言葉を整理すると、近所がボヤを出して消火の際に家が濡れた。

 その為、小林一家はそれぞれ泊まらせてもらう所を確保する必要があるらしい。


「だからって僕の家に来なくても」

「私に友達がいないのは知っているでしょ?」


 そうどこか自慢げに言いながら差し出したホットミルクを少しづつ飲み始める小林さん。

 その様子を見ながら、今日家族がいないのはラッキーだったかも知れないと僕は考えていた。

 父さんはともかく母さんはとにかく噂が好きだ。

 もし見られていたら明日には町内に僕と小林さんが付き合ってる事にされるだろう。


「……くん? 聞いてる?」

「え? うわっ!?」


 考え事をしていたせいか、小林さんが触れるほど近くに寄っていた事にも気づかなかった僕は思わず大声を出してしまった。

 そんな事も気にせず、小林さんはエアコンを指さす。


「もう少し温度を上げたいのだけど、構わない?」

「う、うん。いいよ」


 小林さんは許可を取ると、リモコンを操作して二度ほど上げる。


「小林さん。ああいうの止めた方がいいと思うよ?」


 僕は思わずそう口にしていた。

 ……これ以上は、本気で勘違いしそうだったから。


「ああいうのって?」

「だ、だから! 触れるぐらい近づく……とか!」


 恥ずかしさもあり、キスという言葉が出せない僕。

 自分の事ながら情けないとは思っているが、どうしようも無かった。


「……ふーん。小鳥遊くん、ちょっとこっちに来てくれる?」

「な、なに突然」

「いいから」


 疑問に思いながらも言われたとおりに小林さんに近づく僕、すると。


「え?」


 突然視界が一回転して、気づけばソファーに叩きつけられていた。


「知らなかった? こう見えて合気道も出来るのよ?」

「え? は?」


 立ち上がろうとする僕を押さえつけるように覆いかぶさる小林さんに、僕はそんな声しか出なかった。


「さて小鳥遊くんに質問です。私がここに来た理由、どこまでが真実でしょうか?」

「……あ」


 その言葉で僕の頭は少しだけ回り始めた。

 ボヤがあって家が使えなくなったとして、年頃の男がいる家に娘を向かわせるだろうか?

 そもそもボヤがあってという部分すら嘘で、本当は単に泊まりに来ただけかも知れない。


「でも、何で」

「もう一つ小鳥遊くんに質問です」


 僕の言葉を無視しながら小林さんはもう一つの質問を投げかける。


「私がこんな事をしているのは単にからかっているから? それとも……」


 小林さんはそっと僕に耳打ちする。

 近づいて来るその顔が赤いのは寒いからか、それとも照れているのか。

 僕には分からない。


「私が君の事が好きだから? どっちだと思う?」


 ……分からないでいたかったのかも知れない。

 正直に言えば、小林さんと付き合いたい気持ちはある。

 だけど、本音を言わない彼女は告白してもはぐらかしてしまうのでないかと不安なのだ。


「……『シュレディンガーの猫』のもう一つの有名な話、知ってる?」


 中々答えを出さない僕に焦れたのか、小林さんはそんな事を口にする。

 首を横に振ると、彼女は語り始めた。


「かのアインシュタインが言った言葉らしいけど、要約するとこうね。『観測するまで答えは分からないけど、正解は確かにある』って言ったそうよ」

「そ、それで?」

「これをどう解釈するかにもよるけど、少なくとも私はこう思う。正解が確かにあるのならば、あとは確認する気があるかどうか。確認する勇気があるかってね」

「!!」


 その言葉に僕はまるで頭を殴られたような感覚に襲われる。


「ねぇ小鳥遊くん。最後の質問です」


 小林さんはそっと自分の胸に手を当て、微笑みながら質問する。


「この小林綾香という箱に入った答えを、確かめる勇気はありますか?」



 そこから先の事は正直よく覚えていない。

 ただ二人とも幸せな時間であった事だけを覚えている。


 その後、彼女の苗字が小鳥遊に変わりそれなりの時が過ぎた。

 けど僕はこの気持ちを忘れないために彼女のことをこう呼んでいる。



『シュレディンガーの小林さん』ってね。




 あとがき

 如何でしたか? 今回の短編は。

 青春的なイメージをしたのですが、少し駆け足になった気もしなくはないです。

 少しでも面白いと思ってくれたら嬉しい限りです。

 感想や意見、レビューは可能ならお願いします。

 ではまた別の作品で。

 蒼色ノ狐でした。

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