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2分ほど歩いた所に小さな森があり、森へと入っていく脇道を10メートルほど進むとこぢんまりした鳥居が立っている。奥には神社があるらしい。声はその奥から聞こえてくるようだ。
ローヒールを履いた足元に注意しながら歩いていくと開けた場所に出た。神社の境内らしいその広場には赤・黄・緑・紫・白の幕が左右に張られ、間に演舞台が設(しつら)えられている。その演舞台の上で10数人の大学~小学生くらいの娘たちが踊りの練習をしているところのようだ。
「お祭りかな? 誰かいて良かった!」
少しほっとした帆波は演舞台の方に近づいていった。リーダーと思しき娘が帆波に気付いて軽く会釈をした。帆波も笑顔で会釈を返した。帆波自身は認識していないが、誰もが心を許してしまう帆波の満面笑顔を見てその娘も見知らぬ訪問者への警戒感を緩めたようである。
「わたくし、この組の筆頭世話役をしている者でございます。あなたさまはどちらの村の方でございますか」
「えーと、村じゃないんだけど港西区です。祭りのお稽古?」
「ええ。祭りで披露をする舞の稽古をしております。あなたさまは短い袴をはいておられるところを拝見すると演武をなさるのですか」
「エンブ? うーん、ちょっとわからないし袴ではないんだけど……。あ、そうだ、ここはどこなんですか」
「坂江村でございますが……」
とその娘はやや不審そうな顔をして答えた。
「さかえ村……わからない。あの、ここから街までどれくらいかかります?」
「役所のある所であれば一刻ほどで参れます」
「いっとき? 1時間かな。じゃああの、駅かバス停はこの近くにありますか」
「なんでございます?」
「鉄道の駅かバス乗り場」
「……さあ……存じかねます」
「えー、困ったな。かなり田舎みたいだからここまで公共交通機関が延びてきてないのかもしれない」
プレゼンまでの時間が迫っているのでタクシーを呼んで街まで引き返すことにした。携帯電話は使えないので公衆電話か固定電話を見つけなければならない。しかし見渡したところ近くにコンビニや商店はなさそうだ。ならばこの中で家が近い娘の家の電話を借りるしかない。
「あの、この中でいちばん家が近いのはどなたですか」
「わたくしでございます」
と手をあげたのはさっきから興味深そうに大きな黒い瞳で帆波を凝視している娘だった。
「タクシーを呼びたいのであなたのお家の電話をお借りしたいんだけど、いいかな」
「でんわ? でんわですか、そのようなもの、うちにありませぬが」
「まさか電話回線も通ってないんじゃないよね。みんなとどうやって連絡をとってるの?」
「家まで出向いて用事を済ませます」
「遠いところに住んでいる人とは?」
「同じく出向いていくか、文を認(したた)めます」
「文って手紙? メールは使わないの?」
「……めえる?」
帆波はバッグからスマートフォンを取り出し、怪訝な顔をしている娘に見せた。
「ほら、これスマートフォン。あなたは持っていなくても家族の誰かかここにいる友だちの何人かは持っているでしょう。見たことある?」
スマートフォンのボタンを押すとディスプレイに灯が入り、待ち受けに設定しているキャラクターが動き出した。会社の先輩が帆波につけたニックネームの元になっているキャラクターである。
この時、予想外の反応がそこにいる全員の娘たちから返ってきて帆波自身も驚いた。明らかに彼女たちは携帯電話の類を初めて目にしたようなのである。21世紀が始まってもう24年になろうとしているのに、この娘たちは携帯電話を知らないのだろうか。あるいは厳しい規則のある女子校で携帯電話の所持を固く禁じられているのかもしれない。
黒い瞳の娘が帆波のスマートフォンを見て異常なほど興奮している。
「あのこれなんですか! なんでこれ動いているんですか! 生きてるんですか! なんでですかなんでですか?」
「これ? これはグルグルストアでダウンロードした無料のアプリだよ」
「え、ちゃんとわかる言葉で言ってください!」
「いや、あの、だからだうんろーどでいんすとーるして……」
「平がなで言ってもわかりません! ちゃんと理解できるように話してください!」
「えー、どう説明すればいいのーっ?!」
困っている帆波の前に筆頭世話役の娘がやってきて小声で言った。
「あなた、これは南蛮渡来のご禁制の品ではありませぬか」
「なんばんとらいのごきんせー? なにそれ」
「わたくしは藩校で法度を学んでおります。悪いことは申しませぬゆえ、その品をしまわれて早くここをお去りなさい」
「お去りなさいって言われても、街がどっちかもわからないしタクシー呼べてないし」
「今日の演舞台に出られるためにここへお見えになられたのではないのですか」
「違うちがう。プレゼンをするために取引先へ向かっていたのに、乗ったタクシーからここに連れてこられて右も左もわからない、携帯もGPSも使えず困っているの!」、
いぶかる表情をしつつも帆波が本気で窮状を訴える姿を見て、この娘にも帆波に対する心配と同情の気持ちが芽生えてきた。
「わたくし、とみと申します。あなたさまのお名前をうかがっておりませんでした。」
「とみさんね。わたしは帆波です。ヨットの帆にウェーブの波と書いて帆波。よろしく」
「ではほなみさま、まずはそこの桟敷で休まれて気をお静めください」
とみに促されて演舞台を囲むように組まれている桟敷席の低い場所に二人は腰を下ろした。時計を見るともうプレゼン開始まであと10分しかない。
「もう絶対間に合わないよ。怒られるなあ。なんて説明すればいいんだろ。下手したらクビかも……いや、もう間違いなくクビだ!」
悲嘆に暮れる帆波にとみが尋ねた。
「変わったお着物をお召しになっておられるのですね。異国の方のよう」
「え、これ変わってる? ファッションセンスは自信ないからなー。とみさんたちの着物もきれいだね」
「年に一度きりの晴れ舞台ゆえ、皆で金を出しおうて揃いの着物を作りました」
「ね、ね、何を踊るの?」
「黒田節にございます」
「あ、知ってるよ!『さーけーわあ のーめえ のーめ』って歌でしょ」
「その通りでございます。わたくしどもの組とほかにこの辺りの村から三組が踊りを競おてまいります。ほなみさまは黒田節を踊られたことがございますか」
「あるよ! 日本舞踊じゃないけど曲の振り付けの中に黒田節が入ってたの」
「そうでございますか。ではほなみさまにも馴染みの深い音曲でございますね」
とみはこの娘たちの世話役を務めているだけあって、相手の話を聞いて上手に返す術を心得ているようだ。帆波の心も次第に落ち着きを取り戻してきたらしく、冷静に考える余裕ができてきた。
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