第21話 ハーブとプレゼント(1)
「これを、もらいたいんだが」
少しの間の後、応じたのは若い女だった。言葉の上では畏まっていたが、語尾が尻すぼみに消えてしまうような調子の声には、明らかな疑念と排他意識が滲んでいた。
「こちらの商品は、高価な物ですので、お客様にご購入頂くのは難しいかと……」
「いや、金はある」
ハーブの言葉に、再び沈黙が続いた。その数秒の間に、機械の向こうの気配が変わったのが分かった。
「大変申し訳ありませんでした。こちらへどうぞ」
女性は慌てた様子で言い、カッ、カッ、と高いヒールが床を叩く音がした。
トドゥルユルは不思議そうに目を丸くし、ホルスを見た。
「何か買ったのかな?」
「うん、そうみたいだね」
「三イグゾー二プライシーって、これのためだと思うか?」
「分からない」
そう答えはしたが、要求してきた金額の具体性と店員とのやり取りを考えると、十中八九、このためだろうと思っていた。高価で手の届かなかった物を、ホルスの渡した金で購入しようと目論んだのだ。
いったい、何なのだろうか? それは単純な好奇心から来る疑問だった。突き止めることは、そこまで重要ではない。だが、気になるものは気になる。
「何買ったんだろう?」
トドゥルユルの言葉が、胸の疑問と重なった。
「さあね」
軽く返して、ホルスは立ち上がった。
「ハーブさんの周辺は調べた方がいいし、ちょっと探ってみようか」
「いいのか?」
片方しかない丸耳がピコンと跳ね上がった。嬉しそうな様子に、ハハ、と笑いが漏れる。
「うん、あの人のこと、信用はできないし、見張ってた方がいいからね。あと、今、仕事もなくて暇だし」
この日はショーンと映画に行くつもりだったので、何の予定も入れていなかったのだ。
「でも、ハーブさんに気づかれないようにしないとね。警戒されちゃう。そしたら、きっと良くないことをするよ、あの人は」
ホルスは、トドゥルユルの失われた丸耳の辺りを見つめて言った。恐怖は、時に人を残酷にする。先程の怯えようから察するに、彼は元来、臆病なのだ。トドゥルユルへの暴力も、あの研究所に立ち込める不穏な気配に当てられて恐怖を感じていたという部分もあったのかもしれない。そう思うのは、ホルス自身がアームリムカークにいた頃、恐怖で視野が狭くなっていたからだ。きっと自分に劣らず臆病なハーブは、漠然とした不安に駆られ続け、「自分は強い」と思い込むことで、なんとか耐えていたのだろう。それでトドゥルユルをいじめ続けたのだ。神獣と崇められる存在を痛めつけることで、自分の強さを自身に証明していたに違いない。
はぁ、と息をつくと、透明なはずのそれが灰色に濁って見えた。彼が余計なことをしないよう、見張っていなくては。そのついでに、三イグゾー二プライシーの目的も探って好奇心を満たせばいい。立ち上がり、床に座ったままのトドゥルユルへ視線を向ける。行くよ、という意味を込めて。トドゥルユルは笑い、ぴょんと跳び上がるようにしてついてきた。
発信機からの情報を頼りに、道を進む。受信機に表示された地図の中を動き回る黄色の線が、ハーブの通ったルートだ。さっき買い物をしていたのは、ショーンたちの住むサントメルの住宅街のさらに向こう、町の北端にある商業施設のようだった。サントメルか、あるいはミューテルでなければ、なかなか足を踏み入れない場所だ。今はそこを出て、南へ向かっている。速度から考えて、徒歩だろう。
「町の北側から南へ移動してるね。歩きみたいだから、ちょうど良かった。バスに乗ってたら、追いかけるの、面倒だったからね」
「どこ行くんだろ?」
「うーん、自宅に戻ろうとしてるんじゃないかな。買い物を終えたなら、用事は済んだのかもしれないしね」
この町では、サントメルの住宅街は北側に、メネフネやスキャブの住宅街は南側にある。住宅街から離れたところに居を構えることもあるが、やはりスキャブの人々が北側に住むケースはほとんどない。
「じゃあ、あいつの家まで尾行したらいいな。住んでる場所突き止めたら、何かあった時に役立つかもしれない」
「そうだね。とりあえず近道して、スキャブの人たちの住宅街手前辺りで、待ち伏せよう」
「うん」
トドゥルユルの返事に頷いて、ホルスは先立って南の方へ通じる路地に入った。奥まで進み、大通りに行き当たる。案外、人は少ない。スキャブの住宅街周辺は、この町の中では珍しく寂れた印象の場所だ。二人は、路地に身を潜めて様子をうかがった。
道へ視線を向けて数分もすると、産毛程の髪の隙間から象牙色の肌が覗く頭が目に飛び込んできた。丈が長く、袖口の大きなコートを着ている。
「来たよ」
ホルスの声に、ぼんやりしていたトドゥルユルの表情が、はっきり意思の色を持った。彼の目は、すぐさまハーブの手元へ向かう。ボストンバッグを持つのとは反対の手。そこには、大きく四角い何かが入った袋がぶら下げられていた。
「あれ、何だろう?」
「さあ……」
見当もつかなかった。けれど、じっと目を凝らしてみれば、白い袋の中が透けて見えた。
「何か、女の子の画像がプリントされた箱だね」
言いながら、その「女の子の画像」に見覚えがある気がして、ホルスは記憶の糸を探っていた。辿り着いたのは、あるテレビCMだった。
「おもちゃだ。最近、小さい女の子の間で流行ってる最新型の。ホログラム映像の女の子に、色々服を着せられるっていう」
「なんだ、それ?」
トドゥルユルが顔をしかめる。彼も宿でテレビをよく見ているが、関心のないものは全く目に入らない様子なので、知らなくて当然だ。
「とにかく、女の子用の高価なおもちゃってこと」
「なんであいつが女の子用のおもちゃ買うんだよ? 子どもでも女でもないじゃん」
「たぶん、お孫さん用だよ」
「孫?」
うん、と応じて、説明する。
「ハーブさんには未婚の母になった娘さんがいて、ずっとその娘さんと、生まれたお子さんを養ってるんだよ」
トドゥルユルの目に、微かな驚きの気配が差した。
「じゃあ、あいつ、その女の子のために三イグゾー二プライシーのプレゼントを買ったってことか?」
「そうだね、あの様子じゃ、前から買ってあげようとしてたんじゃないかな」
「そうか……」
トドゥルユルが下を向く。その頭へ、ホルスはそっと手を乗せ、撫でてやった。他人の知らない一面を知ることで、これまでの自分の考えを覆されることもある。特に嫌っている相手の優しさを目の当たりにするのは、複雑なものだろう。
ホルスはハーブへ目をやった。もう二人の潜む路地の辺りを通り過ぎ、背中しか見えなくなっている。スキャブの住宅街へ続く階段を上っていく。かなり、傾斜の急な階段だ。
「とにかく、お金の目的は分かったね。あとは、彼の家まで――」
声を呑み込んだのは、ハーブに動きがあったからだ。ジャケットのポケットから、通信機を取り出したのだ。旧型の電話式の通信機だ。
盗聴器。瞬時にその言葉が浮かんだ。自宅へ連絡するだけかもしれないが、しかし、油断はできない。ホルスは受信機を掴んで耳を傾けた。
『ハーブだ。少し前まで警備員として働いてた。ジマーマン所長に繋いでくれないか?』
ドッと心臓が大きく鳴った。受信機を持つ手が震える。
「トドゥルユル、予定変更だ」
そう言うや、ホルスはタンッと地面を蹴り、瞬きの間にハーブの手首を掴んだ。
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