第15話 解決と顛末
やっぱりか……!
男の影を見て、ホルスは咄嗟に思ったが、直後、こんな声が聞こえた。
「大丈夫か!?」
よく見れば、アリスターの家を教えてくれた、あの男たちがいた。体の力が一気に抜けた。上げかけていた手を下ろす。緊張の余韻で、まだ心臓がバクバクいっている。
「どうして、あなたたちが……?」
「銃声が聞こえて、まさかと思ってさ、音の方を確かめに行ったんだ。そしたら、アリスターが拳銃バンバン撃ってて。俺ら以外にも人はいて、その人たちが既に警察は呼んでくれてたみたいで――」
一番若い男が、駆け足のような早口でせかせかと言った。彼はその後も、興奮の冷めやらぬ様子でまくし立てた。簡単に説明すると、銃はすぐに弾切れになり、彼らがアリスターを取り押さえたらしい。そして、やって来た警察に彼を引き渡し、外から先回りしてホルスたちを待っていたという。
「おい、その子は?」
説明する若い男を遮って、隣の男が声を上げた。ホルスの腕の中を覗き込む。
「すごい血じゃないか! 撃たれたのか? 早く病院に――」
「大丈夫!」
とっさに上げた声は、喉でひっくり返ってしまった。男たちが、きょとんとしてホルスを見る。落ち着け、ちゃんと考えろ。自分に言い聞かせ、深呼吸して心のさざ波を静める。
「この子はアレルギー体質で、消毒液とか、そういう化学物質がだいたい駄目なんです。具合悪くなっちゃう。普通の病院は逆に危ないから、俺がかかりつけの病院に連れていきます」
ホルスが言い切ると、三人は目配せし合った。どうする? という感じに、空気が揺らぐ。そのうち、若い男が肩で大きく息をつき、また口を開いた。
「分かった。でも、その代わり、連絡してくれ。心配だし、無事を確認したい」
そう言い、ポケットから出したガムの包み紙に、十桁の数字を書いて寄こした。
「ほら、この番号で俺の通信機に繋がる。機器は持ってるだろ?」
「はい、分かりました」
若い男はニコッと笑った。
「俺はショーン。本当に連絡くれよ。それと……」
言葉が止まり、顔が伏せられた。どうしたのだろう? と思っていると、ショーンは目を閉じて一つ息を吐き、再びホルスを見た。
「分かっていながら、どうして助けてやらないのかって、あれ。その通りだ。ハッとしたよ。ありがとう」
ホルスは口ごもった。あの時の自分の言葉など、すっかり忘れていた。目を瞬くばかりのホルスに、ショーンは笑った。
「とにかく、連絡よろしく。アラメアは俺たちが警察に連れてくから、大丈夫。虐待の話もするよ。あんたは、その子を早く病院へ」
「ありがとう」
今度はホルスが礼を言う。そうして背を向けた時、視界に一瞬、アラメアの姿がよぎった。覚束無い表情が、少し胸に沁みる。けれど、ホルスは振り返ることなく、トドゥルユルを抱える腕へ力を込めて歩いていった。
ホルスはトドゥルユルを連れて、ホテルへ戻った。受け付やロビーでは人の目に触れるだろうと考え、自分の上着でトドゥルユルの体を包み、部屋まで行った。中へ入り、ベッドへトドゥルユルを横たえてから、上着をどける。右腕、肩付近の傷を確認すると、もう血は出ていない。縛ったハンカチをほんの少し緩めると、再び血が滲んできた。一気に解くと危ないな。そう思い、それ以上は緩めずにコップに水を入れ、傷口へ注いだ。途端に、トドゥルユルの体がビクリと緊張する。瞼を押し上げた彼の目に、数秒で意識の色が戻ってきた。
「ここ、どこだ? アラメアは?」
「宿だよ。戻ってきたんだ。アラメアも無事だ。近所の人たちが警察に連れて行ってくれてる」
ホルスは話しながら、再び傷口へ水を垂らした。眉間を歪めたトドゥルユルに、ごめんねと言う。
「傷口を洗わないと。銃で撃たれたから、細菌も入る。放っといたら、腕を切断しなくちゃいけなくなるよ。俺はこれから抗菌薬をもらってくるから、君はここで休んでて」
ホルスは一度言葉を止めると、丸い目をじっと見つめた。
「今度は絶対についてきちゃ駄目だよ。本当に死んじゃうからね」
「分かった」
トドゥルユルは口答えせずに、首を縦に振った。ホルスはにっこり笑ってみせて、立ち上がる。
「じゃ、行ってくるよ。すぐ戻るから」
うん、と短い返事が来た。その声に、何やら切なさに似た響きを感じて、トドゥルユルの方を見る。帽子を取って、丸耳に触っていた。
「どうしたの?」
聞けば、彼は目を弓なりに細めた。
「かわいいって、言ってくれた」
先ほどよりも切ない、はっきりと潤みを含んだ声だった。
「そうだね」
ホルスの心へも、指先で直に触れられたような、少しの痛みと、そうして温かな幸せが来た。良かったね、と口にしようとしたけれど、それはどういう訳か声にはならなかった。
アリスター宅からアラメアを連れ去った、あの一件から、二週間が経とうとしていた。ホルスが病院から盗んで――もとい、もらってきた抗菌薬のお陰で、トドゥルユルの右腕はちゃんとくっついている。動かすこともできるようになり、すっかり元通りだ。まだ若いからか、それともネコ科肉食獣の性質のためなのか、自然治癒力は並の人間を遥かにしのいでいる。と言っても、羽を折っても折っても次々再生してしまうホルスとは比べるべくもないのだが。
ショーンと名乗ったあの青年には、トドゥルユルの状態が安定してから連絡していた。約束したから、というのもあるが、何よりホルスの方もアラメアのことを聞きたかったのだ。そして、思いもよらない展開を迎えていたことを知った。アリスターは本来のアラメアの「主人」などではなかったのだ。
事は一年前に遡る。アリスターは私欲を満たすために奴隷の少女を欲していた。そこで、彼はメネフネの多く住む港町へ出かけ、彼にとってちょうどいい年頃の少女をさらってきたのだという。それが、アラメアだったのだ。アラメアと共に暮らしていたメネフネの両親は、すぐに捜索願を出したが、まさか遠く離れた都市に連れ去られているとは思わず、なかなか見つけられなかったようだ。しかし、今回の事件でアリスターがアラメアの正規の保護者でないことが判明すると、アードウィッチの警察が行方不明のメネフネの少女がいないか調べ始めた。それでやっと、アラメアと港町の家族とが繋がったのだ。
予想だにしない出来事だったが、しかし、聞いてすぐにホルスには合点がいった。だからアリスターは、あれほど執拗に追いかけてきたのだ。自身の犯した罪を知られてはいけないと、銃まで持ち出して。その結果、彼は牢獄へ入ることになったわけだから、愚かとしか言いようがない。
また、覚悟していた警察からの事情聴取が、形式的なものだけで済まされていたことにも納得した。そもそもアリスターがアラメアを誘拐していたのだから、ホルスたちが彼の元から連れ去ったことは、さほど問題にならなかったのだ。結果として警察に引き渡したのだから、尚更だ。
「アラメア、元気かな」
トドゥルユルはあの事件以降、幾度となくそう口にした。手持ち無沙汰な時や会話の途切れた時、その隙間を埋めるように。
「それ、今日で五回目だよ」
「いちいち数えんなよ」
「だって君、さすがに多すぎでしょ」
ホルスはそう応じ、ポンとトドゥルユルの頭へ手を乗せる。
「元気に決まってるよ。だって、家族の元に帰れたんだから」
家族。その言葉がトドゥルユルにとって残酷だということは理解していたが、しかし、同時に彼にとって苦しいくらい大切なものだというのも分かる。だからきっと、家族と会えると思えば、彼は納得するし、安心する。ホルスの思った通り、トドゥルユルの頬へ幸せそうな気配が差した。
「うん、そうだな」
けれど、これで終わりにしてはいけない。ホルスはトドゥルユルの目をじっと見て、重々しい調子の声を出した。
「でもね、今回はたまたま全てが上手くいっただけだってこと、忘れないで。これから先、もしかしたら似たようなことがあるかもしれないけど、その時も全て上手くいくとは限らないよ」
トドゥルユルは眉間を険しくした。
「もうこういうことは、しないってことか?」
「そうは言わないけど、でも、君はもっと慎重になった方がいい。運が常に味方してくれるわけじゃない。人助けする時も、事は慎重に運ぼう」
トドゥルユルは嫌そうに目を細めて俯いた。でも、不満を口にはせず、ただ「分かった」とだけ答えた。ホルスも、それで満足だった。少しでも今回のことを省みてくれれば、それでいい。そう思っていた。『全てが上手くいかないこと』が、すぐに起こるとは思っていなかったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます