第13話 突入と誘拐

 住宅街へと、足を踏み入れる。さっきの通り程ではないが、夜であることを考えれば人は少なくない。一軒家のガレージに集まり、煙草を咥えて談笑する三人の男性たちへ声をかけた。

「すみません、この辺りにメネフネの女の子を連れた男性のお住まいは、ありませんか?」

 三人の丸くなった目が、ホルスの方を向いた。彼らはちょっと目配せし合うと、再びホルスを見る。

「どうしてですか?」

 よし、と思った。もし知らなければ、「いない」と答えて終わりにするだろう。心当たりがあるに違いない。できるだけ人好きのする笑顔を作って、こう返した。

「今日の夕方頃ですけど、駅で助けて頂いたんです。それで、別れた後に、見覚えのない手帳が荷物に紛れていることに気がつきまして。おそらく、その方のものではないかと思い、お返ししたくて探してるんです」

 もちろん、手帳の話は嘘だ。男たちは、疑わしいと言わんばかりの目をホルスへ向けていた。仕方がない。深く息をついて、財布を取り出す。

「お礼はしますよ。どうぞ――」

「やめてくれ、そんなつもりはない」

 男の一人、一番若そうな男が不愉快そうに眉を 歪めて言った。ともすると喧嘩腰とも取れる言い方に慌てたのか、隣の男が話し出した。

「手帳を渡すためだけに、わざわざ自分で人探しをする人なんて、なかなかいないから、不思議に思っただけです。警察に届けてお終いにしたほうが楽でしょうし。それと」

 そこで言葉に迷ったらしく、男は仲間たちに助けを求めるよう、視線を向けた。先程の若い男が、やれやれと言いたげに、また口を開く。

「あんたの言ってるのは、アリスター・エアトンのことだと思う。でも、あの男が赤の他人を助けるなんて、信じられないね」

「いえ、助けてくださったのは、お連れのお嬢さんの方です。確か、アラメアさんという名の」

 ホルスの言葉に、男たちはようやく合点がいったと言わんばかりに表情を緩めた。

「アラメアか。なるほど」

「あの子はいい子だ」

「じゃあ、アラメアがあんたを助けたってことなんだな?」

「はい」

 名前を出すだけで、これだけ男たちの警戒が解けたところを見るに、アラメアは近隣の住人から好かれているのだろう。けれどすぐ、先程の若い男は表情を曇らせた。

「そういや、アリスターの野郎、ちょっと前に会ったら三イグゾーも手に入ったとか自慢してきやがった。あんたがやったのか?」

「はい」

「そんなことする必要、ないよ。あいつはアラメアをいつも酷く殴りつけてる。周りにバレないように顔は避けてるみたいだけど、アラメアの泣き声でバレバレだ」

 男は、アリスターというあの男のことを語るのも汚らわしいといった様子だった。しかし、ホルスは彼のその態度にも、嫌なものを感じた。

「分かっているなら、どうして助けようとなさらないんですか?」

 男は、そして二人の仲間たちは、鳩尾に重いパンチを食らったかのように眉間に皺を寄せ、頬を引きつらせた。ホルスは続けた。

「それなら、俺がアラメアを助けますよ。アリスターさんの家を教えてください」

「俺たちだって、助けてやりたいなとは思ってるよ。けど――」

「教えてください」

 厳しい調子で遮れば、男たちは気まずそうに俯いた。そのうち、最初に口を開いた若い男が言った。

「この家の三軒先の向かいだ。赤い屋根の」

 ありがとうございます、と残し、ホルスは道を進んでいった。


『分かっているなら、どうして助けようとなさらないんですか?』

 自分の言葉が、鼓膜に残っていた。ホルスは突き上げた嫌悪感をあの男たちへ向けたけれど、彼らのしていることは、言っていることは、少し前のホルス自身と同じだ。かわいそうだ。助けてやりたい。そう思いながら、トラブルに巻き込まれたくないという保身が勝って、動けないのだ。自分のことを棚に上げて、他人のことになるとあんなに強く非難するなんて、随分と勝手だ。ほとほと嫌気が差したが、頭を振って自己嫌悪を振り払う。今はそんなこと、後だ。ちゃんと、あの子を助けてあげないと――。

「三軒先の向かいって言ってたよな」

 背後から突然声がして、戦慄が走った。ギョッとなって振り返れば、ホテルでじっとしているはずのトドゥルユルがいた。

「何してんの!?」

 できるだけ声は低めたが、それでも驚きと焦りで切羽詰まった調子になっていた。一方のトドゥルユルは涼しい顔だ。

「後、ついてきた」

「なんで??」

「気になるから」

 言葉にならない焦りが胸の中で渦巻く。どうしてこんなことをするんだというトドゥルユルへの苛立ちも、なぜ気が付かなかったのかという自身に対する後悔も綯い交ぜになっていた。しかし、ここまで来てしまったのでは、どうしようもない。

「君、気配消すの、上手すぎ」

「岩山では、他の生き物に見つからないようにしなきゃなんなかったからな」

 しれっと答えてくるのが憎々しい。

「しょうがない。行こう」

 そう言い、前へ向き直ったホルスは、こうつけ加えた。後でめちゃくちゃ説教するからね。

 男たちから聞き出した家まで来た。やはり、サントメルとしては特別裕福そうとは言えない、普通の家だ。二階建ての母屋に平屋建てのガレージが付いている。煙突付きの赤い屋根はくすみ、白かったのだろう外壁は薄茶色どころか黒ずんでさえ見えた。家の手入れも十分にできないことがうかがえた。トドゥルユルが、そっと見上げてくる。

「なぁ、ここ、あの子の家で合ってるかな?」

「そういう話だったし、そうなんじゃない?」

 ホルスは敷地へ足を踏み入れる。母屋の窓を覗けば、閉められたカーテンが視界を遮ってはいるものの、その細い隙間に中の様子が見えた。床に何かが散らばっているようだ。男の――アリスターの足が見える。その足は打ち付ける勢いで、ダンと床を踏んだ。窓枠までジィンと揺れる。

「お前のせいで、大恥かいたぞ!」

 ホルスが手早くカメラを構える間に、もう一度、ダンと足が踏み下ろされる。

「何とか言え!」

 少しの間。またアリスターの怒声が、空気を震わせる。

「聞こえねぇんだよ!」

「ごめんなさい……!」

 涙の滲んだ、悲鳴のような声だった。カメラを持った手に、ぐっと力が入る。我慢だ。そう自身に言い聞かせた。証拠を、言い逃れできない十分な証拠をカメラに収めるんだ。アラメアの姿がしっかり撮れるまでは――。

 考えていると、隣の気配が動いた。見れば、トドゥルユルが大きく跳び上がり、二階の屋根を掴んだ。ぐいと力を込めて上った彼に、声を低めて呼びかける。

「トドゥルユル……!」

 返ってきたのは、全く遠慮のない、よく通る大きな声だった。

「ここから中に入るよ!」

「は?」

 困惑したのも束の間、アリスターの声が飛んできた。

「誰かいるのか!?」

 やばい……! 胸へ一気に焦燥感が吹き上がった。足音が近づいてくる。その場を離れたホルスは、ガレージに身を隠した。トドゥルユルを追って屋根へ上がることも頭をよぎったが、翼を折った状態では難しい。彼にはトドゥルユル程の跳躍力もない。と言うか、あの子は何をする気なんだ? 思った直後に、屋内で大きな音がした。軽く地面を揺らすくらいの音が。ホルスは反射的に、ガレージの小窓から中を見ていた。先程よりも視界が広い。最初からこちらへ来ていれば良かった。四角く切り取られたリビングでは、アリスターとアラメアが揃って立ち尽くしている。彼らの視線の先にあるのは、暖炉。灰を巻き上げるその中から、トドゥルユルが現れた。煙突から中に入ったのだ。

「アラメア、行こう」

「お前、駅の……!」

 怒りと苛立ちの詰まった声がした。敵意剥き出しのそれを聞いたホルスの頭には「まずい」という言葉が浮かんでいた。まずい。このままでは、トドゥルユルはアリスターを傷つけてしまうかもしれない。ハーブにしようとしたように。それは、まずい。

 とっさに手にしたのは、大きなシャベルだ。持ち手がホルスの肩程まである、剣のように先の尖った鉄製のそれを、力いっぱいガレージの外の庭へ放った。ガシャンと鼓膜を引っ掻くような鋭い音。

「なんだ!?」

 再びアリスターの荒らげた声がした。彼の目は庭の方しか見ていない。すかさずホルスは屋内へ続くドアを開けた。

「こっち! 早く!」

 声を張ると、トドゥルユルはアラメアを抱き上げて大きくジャンプした。彼がホルスの目の前に着地するや、ホルスはアラメアを受け取り、「急ごう」とだけ言った。そうして、二人でアリスター宅からメネフネの少女を連れ去った。

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