第12話 作戦会議と作戦決行

 一ヶ月分の宿泊費を払い、ホルスはトドゥルユルを連れて部屋へ向かった。ここはサントメルと呼ばれる人種の人々が、よく使う宿だ。人口の六割を占める人種で、富裕層が多い。ミューテルに次いで高貴とされている。二人で一ヶ月泊まるのに、イグゾー紙幣を九枚も払ったが仕方がない。

「あー、やっと休める」

 部屋に入るなり、ホルスはトドゥルユルをベッドへ下ろし、自身はその隣へ体を投げ出した。大きいベッドだ。大人の男三人が寝そべっても余裕があるだろう。床には地球儀を半分に割ったような半球型の椅子が二脚とローテーブルが置いてあるのみ。天井ばかりがやけに高いこともあり、かなり広く感じられた。近未来的デザインの部屋だ。

「そんなに疲れてるなら、無理して俺を――」

「だから、君を抱いてたから疲れてるわけじゃないの」

 ホルスは口調を強めて言い、それから気持ちを切り替えようと明るい声を出した。

「それよりさ、お腹、空いたよね。何か食べよう。九イグゾーで一ヶ月は食べ放題だからさ。遠慮しないで」

 トドゥルユルの目が輝いた。

「ぶどう、あるかな?」

「そんなにぶどうが好きなの?」

 つい、笑いの混じった声が出た。トドゥルユルは顔をしかめたが、ぶどう好きのネコ科肉食獣など聞いたことがないのだから、仕方がないだろう。ホルスはトドゥルユルの頭へポンと手を置いた。

「ぶどうもあるよ」

 トドゥルユルの口角は上がりっぱなしだ。おいしいぶどうだといいな、とホルスは食べもしないのに思った。

 備え付けの通信機でフロントに適当なものを注文し、運ばれてきたそれらを床へペタリと座って食べた。椅子ではなく床に腰を下ろしたのは、トドゥルユルが半球型の椅子に座りたがらなかったためだ。

「それで、あの子のこと、どうすればいいと思う?」

 ぶどうを頬張りながら、トドゥルユルが切り出した。

 深い溜息が出た。厳しい目をトドゥルユルへ向ける。

「俺に聞かないで自分で考えなよ。さっきも言ったけど、俺は反対なんだからさ。君がどうしてもって言うから、妥協したの。俺も少しは考えるけど、全部俺に頼られてもね」

 ホルスを見つめる丸い目が伏せられた。ごめん、と言い、トドゥルユルは下げた視線を床へ泳がせている。そうしてしばらくすると、口を開いた。

「さらってきちゃおうか」

「駄目に決まってるでしょ。リスクが大きすぎるよ」

「そんなにリスクあるか? だって、夜にあの子を連れてくればいいだけだろ」

「百歩譲って連れてこられたとして、その後は? あの子をずっとここに置いてはおけないよ」

「その時、考えれば良くないか?」

「いいわけない」

 一音一音、強調して返した。深く息をつくと、トドゥルユルを正面から見据えた。

「君が考えてるより、ずっと人間社会は危険だし、複雑なんだよ。あの子のことで疑いをかけられたら、いずれ俺たちの正体もバレる。それに、あの子に正体を知られてもまずい」

「あの子は平気だろ」

 軽い調子で言ったトドゥルユルを睨みつける。

「いいや、すっごく危険だ。あの子に悪意がなくても、俺たちのことを他人に話してしまうかもしれない」

 目の前の顔が、いっぺんに難しそうに曇った。俯くと、美しい白髪に隠れて表情が見えなくなる。

 少し意地悪だったかな、とホルスは思った。トドゥルユルは初めて人里に下りてきたのだ。人間社会のことを全く知らない彼に、連れ去る以外の案や、連れ去った後にどうするかの案を出せというのも、無理な話だろう。仕方がないと、ホルスも頭を回し始めた。あの男は、あの子を酷く乱暴に掴んでいたし、怒鳴りつけていた。それに、あの子のあの怯えよう。普段から、ああいう扱いを受けているに違いない。それなら――

「あの子が虐待されてるから保護したんだって言えば、何とかなるかもしれない」

「え?」

 トドゥルユルが顔を上げた。きょとんとしている。ホルスは片方の口角を上げてみせた。

「日常的に酷い扱いを受けていることを証明できれば、俺たちがあの子をあの男から引き離そうとすることは正当化される。それに、あの子に優しい保護者を見つけてあげることもできるかもしれない」

 ホルスの話すうちに、トドゥルユルの目が生き生きと色付いていった。

「そんなこと、できるのか?」

「上手くすればね」

「上手くって?」

 ホルスは顎に手を当て、うーんと考えた。

「単純な方法でいけば、あの男があの子に暴力を振るっている様子なんかを隠し撮りして証拠を集める感じだね。そのためには、まず彼らの住んでるところを突き止めないと」

 トドゥルユルの表情が、再び陰った。ポンと、頭へ手を置いてやる。

「大丈夫だよ。俺は、そういうの調べるの得意だから、難しくは――」

「そうじゃない」

 トドゥルユルが口調を強めた。

「あの子が暴力振るわれてるのを、黙って見てなきゃなんないのか?」

 ぐっと、腹へ重さが来た。言われてみれば、そういうことだ。すぐさまそこに思い至るのは、彼の優しさ故だろう。しかし、優しすぎることは、時に誰かを助けることの邪魔になる。

「そうだよ。そうじゃなきゃ、あの子をあの環境から助けられない。俺たちも辛抱しなくちゃ」

 トドゥルユルは少し悔しそうに唇を噛んだけれど、すぐ眉にキッと決意が表れた。

「なら、早くしよう」


 アードウィッチの夜は、明るい。闇はあちらこちらで灯る明かりで薄められ、昼間と見紛うほど多くの人々が出歩いている。大騒ぎをする者はいないけれど、息を潜める者も、またいない。楽しげに話しながら歩く人たちの間を縫い、ホルスは進んだ。あの男の姿を、もう一度頭に呼び起こす。ひょろりと背が高く、色白。髪は暗めの金髪で、目は青かった。人種で言えば、おそらくサントメルだろう。しかし、イグゾー紙幣三枚であの驚きよう、そしてあっさり引き下がったところを見ると、そこまで裕福で社会的地位が高い階級というわけではなさそうだ。一般的な中流階級に違いない。財布へ金をしまっている時に見えた中身も、ほとんどがイグゾー紙幣ではなく、サントメルが気軽に使えるプライシーと言われる硬貨だった。唯一不可解なのは、一般的なサントメルの人間が召使いを雇えていることだ。しかし、それは後でいい。とにかく、今は中流階級のサントメルが多く住む住宅街から探そう。

 はあと、溜息が漏れる。ある程度、知った土地とは言え、骨が折れる。発信機の一つでも手に入れて、あの男の荷物に紛れ込ませておけば良かった。

 トドゥルユルは部屋に置いてきた。人の多い場所に慣れていない彼を連れて歩き回るのは、危ないし、一人の方が身軽でいい。何より、まだ傷の癒えない彼を歩き回らせたくはなかった。

 目指す住宅街は、バーやレストランの建ち並ぶ通りの先にある。その通りは、アラメアと同じメネフネや、スキャブと呼ばれる人種の人々で溢れている。どちらも元来、暑い土地にいた種族だ。浅黒い肌に黒い髪、瞳の色も茶色からヘーゼルで、強い日差しを耐えるに適した容姿をしている。両者の違いは背の高さで、メネフネが一般的なサントメルの胸あたりまでしか背丈がないのに比べ、スキャブには大柄な人が多い。個人差はあるが、サントメルよりも頭一つ分以上、身長の高い者がほとんどだ。そんな、小柄な人たちと大柄な人たちが入り乱れる通りは、やはり夜でも生き生きとしている。それぞれの出身地の郷土料理を食べ歩いたり、民族の間で歌い継がれてきた歌を歌を口ずさんだり。

 賑やかな通りを抜けると、やや夜の気配が濃くなった。闇に息づく野鳥や野良猫の姿が見え隠れする。ここは動物も多いんだなと思うと、少し安心した。

 前方には、住宅街が見えてきていた。いくつも灯る周辺の街灯に照らされて、薄茶色の外壁の連なりがよく見える。薄闇に、ぼうと浮き上がるような家々は妙に不安を掻き立てた。メネフネやスキャブの人々と違い、サントメルには人の弱いところを突こうとする人が多い。人種がと言うよりも、環境によるものなのだろう。他者を見て、自分よりも上か下かを見定めようとする人間ばかりの中で過ごして来た人たちなのだ。ここ数十年のメネフネやスキャブの人々の増加によって、そうした風潮は表面的には緩和されてきたが、それでもサントメルの人々の心に染み付いた「癖」はすぐには抜けないだろう。出会した人に足をすくわれないよう、注意しなくては。

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