第10話 女の子とチョコレート

 トドゥルユルに話した通り、ホルスは途中の村で服を買い、トドゥルユルに着せた。

「なんか……動きにくいな」

「そりゃ、何にも着てない時とは違うでしょ。すぐ慣れるって」

 そう言いつば付きの帽子を被らせる。

「はい、これで完成」

 少し離れて全身を見る。なかなか似合っている。町で見かける若者っぽい。

「良い感じだよ」

「そうか……?」

 トドゥルユルは明らかに戸惑っていたが、慣れてもらうしかない。ホルスは、トドゥルユルを再び抱き上げた。

「よーし、じゃあアードウィッチに向かうよ。少し先に駅があるから、そこで電車に乗って行こう」

「電車?」

 トドゥルユルは、困ったように眉を寄せている。

「乗り物だよ人を乗せて運んでくれる。まあ、行けば分かるって」

 ホルスは足を踏み出した。


 駅に着いた時のトドゥルユルの驚きようは、すごかった。まず、人の多さにびっくりしたらしい。大きく見張った目が、往来の人々を追って落ち着きなく動いていた。駅舎を見た時はその何倍も瞠目し、すごい、と声が漏れたし、電車を目にすると口もぽっかり開いたまま塞がらない様子だった。体の緊張も、腕を通して伝わってきた。

「すごいでしょ、これだけの人が毎日電車に乗るんだよ」

「うん……」

 言葉の輪郭のはっきりしない返事だった。ホルスは笑って、「ほら、乗るよ」と開いた電車のドアを潜る。

 ホルスはトドゥルユルを抱えたまま、電車の席に座った。その時、向かいの席から声が飛んできた。

「あっ」

 見れば、まだ六、七歳だろう女の子が、こちらを見ていた。茶色い肌に澄んだ白目が印象的な、かわいらしい子だ。彼女は駆け寄ってきて、トドゥルユルの顔を覗き込んだ。強ばっていた体は、さらに硬くなった。

「この子、もしかしてミューテル?」

 ホルスは、うん、と答えながら、トドゥルユルの頭を撫でてやった。大丈夫、という意味を込めて。

「どうして、だっこしてるの? ぐあいが、わるいの?」

「ちょっと長旅で疲れちゃったんだ。でも、大丈夫だよ」

 女の子は目を輝かせ、顔がくっつきそうな程まじまじとトドゥルユルを見つめている。

「わたし、ミューテルって、はじめて見た。きれい」

「ありがとう。でも、あんまり見ないであげて。恥ずかしがり屋なんだ」

 ホルスが言うと、女の子は「あっ」と口を抑えて顔を赤らめた。

「ごめんね、これ、あげるから、ゆるして」

 差し出されたのはキャンディだった。小さな手のひらに載ったそれを摘み上げ、ホルスはにっこり笑ってみせた。

「全然怒ってないから、許すも何もないよ。でも、ありがとう。お返しに――」

 ポケットの中を探って、目当てのものを取り出す。

「これ、あげる」

 途端に、女の子の顔が宝物でも見つけたように輝いた。

「チョコレート!」

「うん、君の綺麗な肌の色と同じ色でしょ」

 彼女は溶けそうなくらい嬉しそうな頬をして受け取った。ありがとう。そう言って、すぐに申し訳なさそうに眉を下げる。

「ごめんね。わたし、キャンディ、一つしかもってなくて」

「いいんだよ。君がそれをおいしく食べてくれたら、俺はその方が嬉しいから」

 女の子は大きな目を三日月形に細めて、もう一度「ありがとう」と言い、さっき座っていた椅子に戻っていった。


「ミューテル?」

 下から掠れた声がした。声を低めて、説明する。

「さっき言った人種の一つだよ。君はミューテルと言われる人種の人たちと、とても良く似ているんだ」

「珍しいのか? 初めて見たって言ってたけど」

「うん、少ないね。でもさっきので分かると思うけど、結構持て囃されてるよ。数の少ない美しい人種ってことで、高貴な存在とされてるみたいなんだよね。金持ちも多い。だから、外見でいじめられることはないよ」

「耳とか隠してればな」

「うん、そういうこと。だから、人に見せないように、気をつけてね」

「分かった」

 トドゥルユルの返事は、感情の波がなく、まっさらな紙のようだった。


 電車に揺られている間に、どんどん人が増えていった。止まる駅、止まる駅で人が雪崩れ込んでくる。降車駅が近づいた頃には、満員だった。

「これ、降りれるのか?」

「大丈夫。アードウィッチは大きな町だから

大勢降りるんだよ。みんなについて行けば余裕だよ」

 果たして、アードウィッチでは、本当に大勢の人が押し合い圧し合い動き出した。その波に乗り、ホルスと横抱きに抱えられたトドゥルユルは下車できた。それから、目的の改札の位置を確認し、体を斜めにして人波を進む。

「おい、あれ、さっきの子じゃないか?」

 トドゥルユルの指さした方を見ると、確かに電車で向かいの席に座っていた女の子がいた。あちこちから人に押されて、揉みくちゃになっている。近くに保護者はいないのだろうか? それらしき大人は見当たらなかった。

 ホルスは横抱きにしていたトドゥルユルを片腕で抱え直すと、女の子の方へ向かった。

「また会ったね」

 途方にくれた様子だった女の子は、ホルスを見るなり「あっ」と言って強ばった表情を解いた。

「よかった。人がすごくて、こまってたの」

「誰か大人の人と一緒じゃないの?」

「べつのしゃりょうに、のってたの。おりてから、あうことになってたんだけど、見つからなくて」

「じゃあ、とりあえず人の少ないところに移動しよう。少し待って、人が少なくなってきたら探してみるといいよ。俺たちも一緒にいるから」

「ありがとう」

 女の子は安堵のこもった声で言い、目を三日月形に細めた。

 ホルスは、片手にトドゥルユル、もう片方に女の子を抱えて人波を掻き分けた。下ろしていい、とトドゥルユルは言ったが、迷子になられたら、たまったものではない。良くないよ、とだけ返しておいた。

「よし、この辺でいいかな」

 人がほとんどいないホームの端まで行き、ホルスは二人を下ろした。そして、女の子に訊ねる。

「一緒に電車に乗ってたのは、ご家族の誰かなの?」

「ううん。旦那様」

「旦那様?」

 口に出して繰り返すと、頭の中で言葉の輪郭がくっきりとなり、理解が追いついた。この子は召使いとして、雇われているのだ。

 肌の色や小柄な体格から察するに、この子はメネフネという人種だろう。本来、南方の島に住んでいる人々だが、何十年も前、労働力不足解消のため、文明の発展した北の方へ連れてこられたらしい。それ以降、メネフネは北の町にも暮らすようになったという。けれど、人々の平等が謳われる現在は、メネフネを召使い扱いする者はほとんどいない。少なくとも、ホルスはそう思っていた。その上、この子は十にもならない幼子だ。

 思案していると、「わたし、いけないこと、いった?」と不安げに揺れる声で訊ねられた。ハッとなる。

「いやいや、全然! ごめんね、ちょっと考え事してて」

 女の子は、眉の間が広くなるくらい柔らかな笑みを広げた。素直ないい子だ。そして、ホルスが、もう少し待っていようね、と言おうとした時、声が飛んできた。おそらくは、女の子の名を呼ぶ声が。

「アラメア!」

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