第5話 ノアの支配欲

「ふふっ、美味しいですか? グレイグさん」


 目の前に座るノア様が優しげな声音でそう尋ねる。


「は、はい……美味しいです……けど……」


 俺は震える片手でスープを啜りながら、ノア様の顔色を伺う。


 俺はノア様のことをだいたい分かってきた。


 ノア様はきっと俺のことを大切なペットだと思っている。


 料理を作って餌付けして、嬉しそうな表情で反応を待っている。


 どうして、モブであるはずの俺がペットのような扱いをノア様から受けているのかは分からない。


 俺はただのモブのはずで、ノア様を庇って死ぬはずだったんだからもう何もかも分からない。


 それでも、俺の今置かれている状況は、俺にとっても世界にとっても悪いことなのは確かだった。



「ノア様……? ここまでしてくれるのは嬉しいんですけど、明日からノア様は大事な仕事がありますよね? ずっとこんな所にいて良いんですか?」


 俺はノア様手作りのクソウマ料理を平らげると、勇気を振り絞ってそう切り出した。


「大事な仕事……? そんなのないですよ。グレイグさんと一緒に過ごす以上に大事なことはもうありません」


 ノア様は手にぎゅっと力を入れながら、そう言い放った。


 大事な仕事なんてない、と最強美少女勇者であるノア様は言い放ってしまった。


「い、いや! そんなことないですよね? ノア様は勇者として世界を救わなきゃダメですよね?」


 俺はノア様の深紅の瞳をじっと見つめ、そう訴えた。


 そうだ。ノア様は俺みたいなどこで死んでもいいようなモブに構っている暇は無いはずだ。


 魔王を倒し、世界を救う。


 それが最強美少女勇者ノア様の使命のはずだ。


「グレイグさんは私と世界のどっちが大切なんですか? 私より世界の方が大切って言いたいんですか?」


 すると、ノア様はドンと机を叩き、綺麗な瞳で俺の目を見つめてくる。


 ノア様の態度の豹変に、全身の血の気が引くのが分かった。


「そ、それは……ギリギリ世」


「そうですよね? 私ですよね? 私も同じです。世界なんてどうでもいいです」


 俺が言葉に詰まっていると、ノア様は椅子から立ち上がってそう言った。


 急に立ち上がったノア様に、俺はビクッと全身を震わせてしまう。


 ノア様はゆっくりと俺の前まで歩いてくると、俺のもう片方の手を掴んだ。


「グレイグさんは私のことを誤解してます。私は優しくないんですよ? 目的のためなら何でもするんです」


「え……?」


 目の前に立つノア様の雰囲気に、潜在的な恐怖が呼び起こされる。


 俺の目の前に立っているのは、レベル300を超える最強の勇者。


 そして、俺はレベル30のただのモブ。


 その圧倒的な根本的な強さの違いが、何故か俺の心に恐怖を刻みつける。


「気づきました? 私はグレイグさんより強いんですよ? その気になれば、こんなことだってできるんですよ」


 ノア様は俺の両手を掴んだまま、俺を地面に押し倒した。


 ガタンと椅子が地面に転がり、ノア様はその美しいご尊顔を近づけてくる。


 俺は圧倒的すぎる力の差を前に、ただ震えてノア様の迫る瞳を見つめることしかできなかった。


「ふふっ……その怯えた顔……かわいいです」


 ノア様は息を荒くしながら甘く溶けるような声を漏らした。


「今日はもう寝ましょう。グレイグさんも疲れましたよね?」


「は、はい……」


 俺は数秒間呆然とした後、ようやく冷静になり地面から立ち上がることができた。


 未だに真っ白になったままの頭を抱えながら、俺は頬を紅潮させたままのノア様に寝室まで連れて行かれてしまった。





 *****





 結局、寝る時までノア様の魔法が解かれることはなかった。


 自分がいつも眠っているベットで、ノア様が寝るというのは心臓にも心情にも悪かった。


 それでも、俺はノア様に抗うことはできず、言われるがままに眠ることしかできなかった。


 


 朝、目が覚めると、俺のベッドにノア様はいなかった。


「あれ……?」


 ノア様がいない。


 ということは、あの魔法は解かれたのか?


 俺はすぐ身体を起こし、自分の手を見つめる。


 俺の手に赤色の紋章は消えていて、代わりに黒い紋章が刻まれていた。


「嘘……だろ……?」


 やっとの思いで、あのヤバすぎる魔法から解放されたと思った。


 そしたら、次はそれを超えるとんでもない魔法が刻まれてしまっていた。


 この黒い紋章の魔法は、俗に言う禁忌と言われる魔法だ。


 禁忌は何か大きな物を代償に、とんでもない効果を付与するという、まさしく禁忌といった魔法だ。


 昨日かけられた魔法が、ノア様が何故か死んでしまう魔法だった。


 だから、今回かけられた魔法はそれと同じくらい危険なものだろう。


 俺は一挙手一投足、全てに細心の注意を払わなければならない。


 俺は恐る恐るベットから下りて、リビングまで足音を立てないように歩く。


「あ、グレイグさん。起きたんですね。朝食、作ってありますよ」


 リビングまで行くと、やはり当たり前かのようにエプロン姿のノア様がいた。


「ま、待ってくださいノア様! これはなんですか!? どんな魔法を使ったんですか!?」


 俺は黒い紋章が刻まれた自分の手をノア様に見せながら、涙目でそう訴える。


「それは気にしないで下さい。そんなことより、席に座ってください」


 ノア様は歪な笑みで微笑むと、そう俺に言った。


 その瞬間、俺の黒い紋章が怪しく輝き、俺の体が勝手に動き始めた。


 俺の体は勝手に、ノア様の対面の椅子の方へ歩き始めた。


「まさか……」


 俺は勝手に動く体に強烈な恐怖を覚えながら、この魔法は最悪のものだと悟った。


 昨日のアレより使って欲しくない魔法なんて、そうそうないと思っていた。


 しかし、ノア様はその想像を遥かに超えてきた。


 これは『絶対遵守の魔法』だ。


 この魔法をかけられている限り、俺はノア様の言葉に逆らえない。


 俺は想像を超えた禁忌の魔法をかけられてしまった。


「これもグレイグさんの為なんです。グレイグさんは私より脆くて弱いから……仕方ないんです」


 ノア様は目を伏せながらそう呟いた。

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